──
初めにお断りしておくが、これは、メダルを獲得した選手を貶(おとし)めるものではない。その逆だ。彼女たちは、とんでもない抵抗勢力の力を押し切って、見事にメダルを獲得したのだ、と称賛したい。
たいていの五輪選手は、周囲のサポートを得てメダルを獲得して、「周囲の皆さんのおかげです。感謝します」と語る。
しかし、シンクロの選手だけは違うだろう。たぶん本心ではこう思っているはずだ。「周囲の人々の圧力に抵抗して、かろうじて頑張ってきました。周囲の圧力にくじけなった自分を褒めてあげたい」と。
では、どうしてそうなのか? そこにひそむ闇を語ろう。
──
まず、記事を引用しよう。
一度は止まった歴史を再びつないだ。16日にあったシンクロナイズド・スイミングのデュエット決勝で乾(いぬい)友紀子(25)、三井梨紗子(22)組が3位になり、日本にとってこの種目で2大会ぶりとなるメダルを獲得した。
その場にへたりこんだのはシンクロチームの主将でもある乾だ。「画面を見られなかった。喜ぶ声を聞いて、ほっとしてしまった」。それだけの重圧を、彼女たちは背負っていた。
シンクロが五輪の正式種目に採用されたのは1984年のロサンゼルス大会から。日本は08年北京五輪まで、いずれかの種目でメダルを取り続けた。
それが12年ロンドン五輪で途切れた。デュエット、チームともに5位。
復活を託されたのが、04年アテネ五輪まで日本を率いていた井村雅代コーチだった。14年に日本代表のコーチに復帰すると、1日10時間におよぶ猛練習で選手たちを鍛え上げた。昨年の世界選手権では8年ぶりに表彰台へと返り咲き、成功体験を積んだ。
決勝があった16日は、井村コーチの66歳の誕生日だった。乾と2人でそれぞれのメダルを井村コーチの首にかけ、笑顔で喜びを分かち合った。
( → シンクロ、2大会ぶりメダル リオ五輪:朝日新聞 2016-08-17 )
読めばわかるように、井村コーチ時代にはメダルを取り続けた。井村コーチがいなくなると、メダルを取れなくなった。井村コーチが戻ると、またメダルを取れるようになった。
つまり、井村コーチは能力が抜群であり、井村コーチのいなかった時期だけは日本の暗黒時代だったわけだ。
では、なぜ、こうなったか?
──
実は、この件は、私には深い思い出がある。2004年のアテネオリンピックでは、日本のシンクロはデュエットとチームの双方で銀メダルを獲得した。これは歴史上に燦然と輝く、素晴らしい成果だった。( → Wikipedia )( → 画像と解説)
にもかかわらず、この直後に、井村コーチは退任することが決まった。その理由は明かされなかったが、私は唖然としたものだ。これほどの華々しい成果を上げたコーチが退任するとは、一帯どういうことだ? わけがわからない。そこで私は推測した。
「たぶん、協会の首脳部に嫌われて、クビになったのだろう」
これは、ゲスの勘ぐりかもしれないので、私の胸にひそめておいた。ただし、このとき、こう思った。
「こんなことをすると、有能なコーチを他国に引っ張られて、日本はメダルを失う一方で、他国がメダルを獲得するぞ」
と。これは、杞憂になるかもしれなかったが、一応、懸念していた。
──
その後の経緯は、ご存じの通り。
井村コーチは、退任してしばらくたってから、中国のコーチに迎えられた。「シンクロの技術がまったくない中国を指導してください。次の北京大会で何とかできるようにしてください」と。これを受けて、中国コーチに就任した。私の懸念は、半分当たった。
さらに、2008年の北京では、日本のシンクロは、デュエットでは銅メダルだが、チームはメダルなし。一方、中国のシンクロは、それまで無名も同然だったのに、一挙に大躍進。デュエットでは惜しくも4位だったが、チームでは銅メダルを獲得した。(日本・チームは6位と同率の5位。)( → Wikipedia)
さらに、2012年のロンドでは、日本のシンクロは、デュエットもチームもメダルなし。一方、中国のシンクロは、さらに大躍進を遂げて、デュエットではついに銅メダルを獲得し、チームでは銀メダルを獲得した。華々しい成果と言えるだろう。
かくて、私の懸念は、完全に「その通り」というふうになってしまった。
そして、これに懲りたらしくて、日本のシンクロ界は、井村コーチを呼び戻した。そのおかげで、今回はようやく、メダルを取るに至ったわけだ。(失った8年間はあまりにも痛かったが。)
──
では、どうしてこうなったか? 謎を知るために、あらためて調べてみた。
まずは、次の記事を見つけた。(転載・要約)
《 シンクロの井村雅代コーチへの中国の報酬が凄い 》
中国の報酬と経費が凄い!
中国のコーチを引き受けて日本を離れた時に、日本を裏切ったとか言われていましたが、中国は北京オリンピックが自国での開催なのでなんとしてもメダルが欲しかったのだと思います。
それで報酬や経費に糸目をつけなかったと聞いています。
例えば日本でのコーチとしての報酬は2002年まで日本の水泳連盟からもらう報酬は一日1000円で、その後2000円になったり、20日間の合宿の後2万円から4万に上がるくらいだったそうです。
安! まるでボランティアですね。
一方中国が出した報酬は、年俸で1億円。
金メダルを取ったらさらにボーナスが出ます。
指導方法には口を出さないと言う約束で、住まいは高級マンションを貸してもらい、専属の通訳とマッサージ師や専属のコックまで付いていたそうです。
( → スパルタの指導の結果は? )
日本時代は時給 100円か 200円というタダみたいな金額。それが中国に移ると、一挙に年俸1億円。
あまりにもの格差に、口あんぐりである。
これなら仕方ない……と思えるが、ちょい待った。
中国へ行ったのは、日本で退任した(クビになった)後である。退任した(クビになった)ことには、中国は影響していない。ではなぜ、退任した(クビになった)のか?
それを探ってみる。
──
井村コーチは、所属していた浜寺水練学校というところで、ひどいあしらいを受けたそうだ。
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/noripii/chikagoro.html
シンクロ指導者 井村 雅代さんの記事(2003年10月)
日経新聞の夕刊の囲み記事に、女子シンクロナイズドスイミングのコーチ井村さんの話が載っていました。浜寺水練学校でコーチをしてロス五輪でシンクロの銅メダルを獲った直後に、10万円の給料を0円にされたそうです。そして浜寺水練学校を辞めたそうです。浜寺水練学校に移って2年後にロス五輪で銅メダルを獲得したわけですから、先輩方からはずいぶん嫉まれたでしょう。
結局、浜寺水練学校を辞めた井村さんは、井村さんを慕ってついてきた選手のためにシンクロクラブを作ったそうですが、浜寺水練学校から井村さんにプールを使わせるなというお触れ書が回っていたため、プールが使えなくて苦労したそうです。嫉みっていやらしいですね。
( → 人力検索はてな )
ひどいありさまだ。では、この浜寺水練学校とは何か? どうやら、日本のシンクロ界の総本山であるらしい。
→ 学校の歩み || 浜寺水練学校
歴代の選手や協会幹部を輩出しており、ほぼ独占状態だ。まさしく「栄光のかたまり」という感じだ。ここに所属してから、シンクロ界の幹部に収まっている人々にとっては、「浜寺水練学校出身」というだけで、偉大なる後光に飾られていただろう。
そこへ、井村雅代が出現した。彼女はシンクロ界であまりにも目覚ましい業績を上げた。1回だけならまだしも、何度も業績を上げて、「デュエットとチームの双方で銀メダル」という燦然たる業績まで上げた。
ここに至って、嫉妬深い幹部はぶち切れたらしい。それで、「井村コーチをクビにする」という方針を出したようだ。
──
このときの事情について、ネット上に情報を求めたが、ほとんど情報は見つからなかった。2004〜2005年の記事では、唯一、2ちゃんねるの書き込みだけが見つかったので、参考のために部分抜粋する。
《 【五輪/シンクロ】井村雅代コーチ率いる中国、躍進の銀 》
銀で終わったって理由で辞めさせられた井村派コーチ陣が世界中で結果出して
日本だけ没落したんだっけw
──
危機感を持った日本水連は、10年春、若手コーチに助言する立場での代表入りを
井村雅代元監督に要請した。井村氏も復帰に意欲を示しヘッドコーチ相当の立場を
求めたが、あくまで若手の補佐で権限や責任は与えないという日本水連との溝が
埋まらず、再び中国へ。代表にデュエットの2人はじめ、井村ク所属が4人もいたのは
皮肉だった。
──
土下座して戻ってきてもらえよ
シンクロの没落が酷すぎる
いなくなって初めて気付く井村の偉大さ
少し前までロシアと争っていたのに今の日本シンクロ余りにも酷すぎる
──
36
水連かシンクロ協会のお偉方で、
井村を嫌ってる人がいたからだったはず。
一人はオバサン、女のいがみ合いは恐い。
どっちかというと、偉い人のほうが売国奴。
国益より自分の好き嫌いを優先している。
──
結局日本水連のメンツの問題で井村をしっかりとした形で戻せないんだろ
──
ニュース番組で井村ジャパンだった頃見たとき
本当に少しのズレだけでも指摘して修正し叱咤していた
「何のために練習してるか」ということも含めてくどいぐらい叩き込んでいた
今の日本がそうした練習をしてるとは思えない
柔道と同じ
──
>>36 井村を追い出したらこうなるという事は4年前から分かってた。
日本水連が対抗策でやった事は水着のキラキラ度アップ&メイクの専門家を雇った事だ・・
実力で劣る部分を見た目でカバーとか頭おかしいとしか思えない。
──
今年の中国を率いているのは、
銀メダルをとり続けてきた「井村」だと。
いま、名前でメダルをとれるコーチを
世界で3人挙げるとしたら、
井村さんはそこに入るんですよ。
その井村さんが退任して
フリーだったわけですから、
中国がとりにくるのは当然です。
中国が来なければほかの国が来ていたでしょう。
それは、もう、まちがいがないことです。
オリンピックの採点競技というのは
そういう争いからはじまるものなんです。
http://www.1101.com/kariya_2008/2008-08-06.html
──
コーチ一人代わるだけでこんなに成績上がるスポーツも珍しいな
──
>>52
この人は追い出されただけ
──
>>52
井村は長いこと持ち出しでやってきた
──
売国も何も水連が特定のスイミングスクール利権を許して井村排除をしたのが問題。
北京での反省が全くなされてないからこういう結果も当然
──
>>52
よく言うわ
関東組が井村ら関西組を追い出したのに
それに怒った井村らに育てられた関西組の選手らも辞めた、彼女らはベテランだった
井村は、関西、関東を交互に世代交代させてきた
──
>>12
水連アホやなもう無理だろw
──
井村雅代を追い出した日本の水連のどす黒い権益争いに問題あり
──
井村シンクロクラブ、東京シンクロクラブ
井村雅代、金子正子
この辺をググって自分で判断すればいい。
──
いろいろな国がオファー出す中で中国に行っただけ
スペインを強くしたのも井村門下だし
追い出した奴が屑
──
井村シンクロクラブvs東京シンクロクラブ
井村雅代vs金子正子・小谷実可子
いま水連を握っているのは小谷(東京シンクロ)だから、
井村派は冷や飯。
北京の後、チームの選手全員が辞めてしまって、
いまのロンドンのチームは一から作った。チームには井村シンクロ出身の選手もいるけどね。
──
問題は井村がいないことじゃなくて
井村を追い出してその結果凋落しても
何も変わらない日本シンクロ界の体質にあると言えよう
──
なんであんな名コーチを放出しちゃったの?
( → ログ速@2ちゃんねる(net) )
掲示板(スレ)の 170番まで見て、抜粋した。(以後は省略。)
ここまで見てわかっただろう。
「なんであんな名コーチを放出しちゃったの?」
という問いへの解答は、「水連(協会)の幹部との対立があったから」である。対立といっても、喧嘩があったのではなく、上の方から一方的に嫌われて追い出されたわけだ。
で、上の方(金子正子)は、井村コーチを追い出したあとで、自分または子飼いがコーチをした。その結果が、前回までの2大会連続の失敗だ。
→ 金子正子 - Wikipedia
→ シンクロナイズドスイミング 井村雅代コーチと金子正子前シンクロ委員長
後者から一部抜粋しよう。
■ 続けてやめていくコーチ
シンクロナイズドスイミング:日本代表の友松コーチが辞任へ
シンクロナイズドスイミング日本代表の友松由美子コーチ(35)が2日までに、辞任を申し入れた。日本水泳連盟の金子正子シンクロ委員長が2日、明らかにした。
4月の北京五輪最終予選が終わった後、金子委員長に「自分には無理」と辞意を伝えたといい、2日から始まったジャパンオープンにも参加していない。友松コーチはシドニー、アテネ両五輪で、井村雅代・前ヘッドコーチの下でコーチを務めた。アテネ五輪後は代表コーチを外れていたが、昨年9月にヘッド格のコーチとして加わった。
毎日新聞 2008年5月3日 東京朝刊
また2009年には、世界選手権(ローマ)日本代表のコーチ陣から、昨年12月のワールドトロフィーでヘッドコーチを務めた鵜飼美保氏も辞めている。
本当は井村コーチは日本に帰りたいのではないかと思えるような発言も多く、井村コーチが中国へ言ったのは金子正子氏と仲互いをして追い出された形という見方も強い。
北京では自分が率いる中国チームが勝てば自分のやり方の方が正しかったという証明ができるため、その結果「やはり日本には井村が必要だ」というシナリオで日本のコーチに復活するのではないかという声もあった。
■ 日本チームを心配する井村氏
中国の井村雅代ヘッドコーチは、大会を振り返り、「日本にはいい選手がいる。その伸ばし方を真剣に考えないといけない。危険信号が出ている」と、古巣に対して辛口の評価を口にした。今大会は五輪代表メンバーの派遣はなかったが、「中国はメダルを取ったことがなく、チャレンジャーというのが強み」と、自国開催の五輪に向けて、自信をのぞかせた。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20080506ddm035050068000c.html
ここまでの情報を見れば、もはや事情は明らかだろう。
私がかつて想像していたことは、まさしく事実だったのだ。
シンクロ界には、そういう闇がある(あった)。
なのに、今のマスコミは、「銅メダルを取った!」と浮かれているばかりで、闇には目もくれない。……だから、私が、ここで真相を明らかにするわけだ。「光の裏には陰がある」というふうに。
[ 付記 ]
この問題の本質はどこにあるか? 私の考えでは、こうだ。
「独創性のある人物に対する、やっかみ」
そもそも、シンクロナイズド・スイミングは、日本人にとってはきわめて不利である。日本人は手足が短いからだ。普通に同じ演技をやるだけでは、大差で負けてしまう。だから、体格の差を補うために、何らかの点で逆転しなくてはならない。といっても、技術の練習方法自体は、各国で大差はないから、残るは「独創性」ということになる。
井村コーチは、「和」というテーマで、日本ふうの独創性あふれる演技をなした。このことで、高い点数を得て、優秀な成績を収めた。一方で、それは、独創的であるがゆえに、コーチばかりが目立って、他の選手や協会(組織)は目立たなくなる。……こうなると、協会(組織)の人々は、やっかみを高めて、腹が立つようになり、独創性のあるコーチを追い出したがるようになる。
こういうこと(独創性のある人物の排除)は、特にシンクロナイズド・スイミングに限ったことでなく、あらゆる分野で見られることだ。
ただ、スポーツの分野では、そもそも独創性のある指導者というものが、存在しないようだ。かわりにどういう指導者がいるかというと、やたらと「スパルタ教育」みたいな猛練習をやる指導者ぐらいだ。独創性のある指導者は、ほとんど見られない。だから、成績も、たいしたことがない。
その証拠に、団体競技では、日本が3位以内に入ることなどは滅多にない。野球、バレー、バスケットボール、ラグビー、いずれにしても、日本が3位以内に入ることなどは滅多にない。
- ( ※ 野球はちょっと例外で、もともと参加している大国は、日本・米国・キューバの3国ぐらいしかないから、3位以内でも当然かな。)
( ※ 体操や卓球の「団体」は、団体競技ではない。個人競技の得点を単に加算しているだけだ。水泳のメドレーもほぼ同様だ。いずれも、3名以上の人が同時にプレーすることはない。せいぜい二人で組む「ダブルス」というのがあるぐらいだ。これは団体競技とはちょっと違いますね。)
シンクロナイズド・スイミングの場合には、運良く、独創的な指導者が現れた。だから、「デュエットとチームの双方(つまり全種目)で銀メダル」という画期的な業績をなし遂げた。
( ※ 以前は「ソロ」もあったが、近年では「ソロ」はない。2004年もそうだ。)
そして、独創的な指導者が現れたからこそ、輝かしい業績を上げることができて、同時に、周囲の「やっかみ」をもたらして、追放される結果となった。
あまりにも日本的。
1984年 ロサンゼルス・オリンピックのシンクロ競技で、銅
2008年 北京オリンピックに、小山順子(総務)、久由利子(コーチ)、橘雅子、小林寛美(いずれも選手)が派遣される
たしかに、闇がありそうだ。
昔、浜寺海水浴場でおもいっきり塩水を飲んだことを思い出した。
http://kyuno.web.fc2.com/genhukei-mokuji.html
http://www.osaka-park.or.jp/archives/archives.php?p=14&g=0
──
もう一つ追加。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/plaza_hoso/hamadera/rekishi1.html
以下、引用。
──
しかし、その浜寺海水浴場の栄華も長くは続かなかった。
昭和36年、折からの高度成長期に呼応して大阪市に隣接する堺市から高石市にかけての海岸部を埋め立て、南北12キロ、沖合4キロの大規模な工業地帯が誕生することとなった。
この泉北臨海工業地帯造成のため昭和36年、「東洋一の海水浴場」といわれ、その設備や、松林と砂浜の織りなす自然景観、内海ならではの波の静かさと良好な海の水質、遠浅という海水浴場としての条件、砂浜の広さとキメの細かい砂質の良さ、そして交通の便の良さをうたわれ、明治時代からの伝統を誇った浜寺海水浴場も、永い歴史の幕をとじた。
これは知りませんでした。親類に連れられて一度だけ行った海水浴場ですが、明治のころから伝統ある場所と知りました。遠い夏の思い出です。
これは、過去最高の双方銀メダルに劣ると見える。しかし今回、双方で銀メダルを取ったのは中国だ。その中国を指導してレベルアップしたのが井村だ。井村が中国を指導しなければ、日本は今回も双方銀メダルだった。したがって前回に劣るとは言えない。
前回と比べて差が付いたのは、日本の協会が中国に二つの銀メダルをプレゼントしたことだけだ。敵に塩を送るといえば言葉はいいが、その間、自分の塩をなくしてしまったわけだ。まったく、何をやっているんだか。