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なぜ日本人はグループシンキング(集団思考)にとらわれるのか?

雑記

昔から感じていたことですが多くの日本人は、集団でなにかをしたりすると落ち着きます。もし周りと違った行動をしていると、仲間はずれにされているような気がして不安な気持ちになります。

 

自分の意見が本当は皆の意見と異なっていてもそれを主張しない人が多いです。今回はこのグループシンキングの違和感について考えていきます。日本人にとってのインディビジュアル(individual)とはどういったものなのでしょうか。

 

 

マイノリティ(少数派)=間違い?

自分の意見が他の人と違っていたからといって、それが間違いであるとは限りません。更にはマジョリティ(多数派)に意見を合わせて自分の考えを言わない人も多くいます。

 

時には同調したり、空気を読んだりすることは大切ですが、いつも周りに合わせてばかりというのは感心しません。たしかに一人になると不安ですし、時には自分の意見が間違っていることもありますが、自分の考えを主張することも大切です。

 

例えば、「誰々が行かないから私も行かない」という人がよくいます。あなたが行きたいかどうかを訪ねているのだから、あなたの意見を聞きたいのに、他人に合わせた意見になってしまっています。

 

 

幼稚園から教育された集団行動

今思えば、この集団行動の基礎は幼稚園〜中学までの義務教育の過程で培われました。小学校の時には、登下校や食事などすべてグループで行動することが求められ、グループ行動が出来ない子は問題児扱いされていました。

 

修学旅行なんかに行くと必ず班で行動するので、どの観光地に行くかはグループで話し合って決めていました。修学旅行は未成年の学生が見知らぬ土地を観光するという危険性があるので、班行動をすべきでしょう。個人行動を許したら、迷子や誘拐のリスクが飛躍的に高まります。

 

しかし、それは高校生くらいまでの話です。20歳をこえた大学生が集団行動しないと不安で仕方がないというのは、非常に情けない話です。集団で固まって行動すると安心するのはわかりますが、そのせいで自分のやりたいことができなければ本末転倒です。

 

 

「どっちでもいい」って言うな

先日こんなことがありました。

「車でレストランに行きたい人は何人いる?」

と僕が訪ねました。

 

すると多くの人が「どっちでもいい」答えました。この返答一番やめてほしいです。行きたいか、行きたくないかどちらかでこたえてほしいです。

 

このときは車に乗れる人数が決まっていたので、いわゆる「譲り合いの精神」で「どっちでもいい」とこたえた人が多かったのだと思います。私のことは後回しにして、他の人を優先して〜といった感じです。

 

僕はこの「譲り合いの精神」があまり好きではありません。日本人らしいよいところでもあるのですが、はっきり自分の意見を言えよ!と思ってしまいます

 

 

インディビジュアル(individual)とはなにか?

アメリカ人の教授の授業で、インディビジュアル(individual)という概念について学びました。アメリカはつい数百年前にできた新しい国です。そして建国の理念には「自由」というフランス革命の考え方があります。

 

彼らはドナルド・トランプのように個人の強烈な意見を主張することに日本人ほど抵抗がありません。日本なら異端者扱いされてしまうかもしれないからと尻込みするようなことでも議論の対象になります。他の誰でもない「個人」というものを非常に大切にしています

 

日本人にとってのインディビジュアル(individual)とはどういったものでしょうか。日本では、集団の中にいる以上、個人は抑制されるべきであるという考え方が主流です。上からの指示や、マジョリティ(多数派)が圧倒的優位なことは疑いようのない事実です。

 

 

まとめ

とりあえずみんながやってるから私もやろうという考えはあまり好きではありません。昨年のラグビーワールドカップや、ポケモンGOなどは日本人のグループシンキングの異様さを表す顕著な例と言えるでしょう。

 

ポケモンGOに関しては、自分がこのゲームをやりたいという思いよりもみんながやっているからとりあえずインストールしようという人が圧倒的に多かったように感じます。

 

この熱しやすく冷めやすい「国民性」と、自分の意見を主張しない「個人」という日本人の特徴に違和感しかありません。自分の意見をしっかりと持ち発言することが重要です