ヘンリー・キッシンジャーは1970年代に国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官を歴任した米国のエース外交官です。
キッシンジャーは「ピンポン外交」で米中国交回復を実現した他、ベトナムからの米軍の引き揚げ、米ソの戦略兵器制限交渉(SALT)など、数々の実績を残しました。
しかし一般のアメリカ人がキッシンジャーに対して抱くイメージは、もっとプレイボーイ風なものです。たとえば、以前、ワイフとこんな会話をしたのをおぼえています。
そう言った時、ワイフの瞳がハート型になったのを、僕は見逃しませんでした。
よくアメリカのアクション映画には、邪悪な帝国(Evil Empire)を操る政府高官のキャラとして、太い黒縁眼鏡をかけた、キッシンジャーのカリカチュアが出てきます。

なぜキッシンジャーがこのように大衆文化に浸透しているか? と言えば、その最大の理由は、彼自身が、メディアからの注目、今風に言えば「炎上」を、積極的に求めたことに因ります。
キッシンジャーはワシントンDCの隣のオシャレな街、ジョージタウンで夜な夜な、どえらい美女たちとデートしてゴシップを振りまきました。
たとえば、シャーリー・マクレーン。

あとキャンディス・バーゲン。

それからリヴ・ウルマン。

そしてけしからん乳首を露出している、ボンドガールを演じたジル・セント・ジョン。

キッシンジャーはそういう女性関係を隠さなかったし、むしろそれを誇示しました。言い換えればキッシンジャーの精力絶倫なイメージは、ていねいにキュレーションされた演出に他ならないのです。
なぜキッシンジャーはメディアへの露出にこだわったのか?
それはセレブに祭り上げられれば、パワーを持つことが出来るということを、彼が良く理解していたからです。(これは今日でもそうですよね。イケダハヤトや、はあちゅうサンも、基本、おなじ成功の方程式に基づいて行動しています)
だからヘンリー・キッシンジャーは、ヘンリー・キッシンジャー自身について語るのが、何よりも好きでした。
キッシンジャーは幼少の頃にナチスのユダヤ人迫害を逃れるためアメリカに逃げてきました。そして1930年代にニューヨークに逃れたユダヤ人家族たちの大部分がそうするように、マンハッタン島最北端、ハーレムよりもっと北にあるワシントン・ハイツに落ち着きます。

そこでジョージ・ワシントン高校に入学するわけです。
話が脱線しますがワシントン・ハイツのユダヤ人家族たちはとても教育熱心で、ジョージ・ワシントン高校はアラン・グリーンスパンFRB議長、ハイマン・ミンスキー教授、イスラエルの国防相、モーシェ・アレンスなど、錚々たる卒業生を輩出しています。
この難民経験からキッシンジャーは味方より、むしろ自分の敵を理解し、それらの敵と折り合える妥協点を模索するという基本的な習性を身につけたのだと思われます。
キッシンジャーから一目置かれようとすれば、彼に対してお追従を言うのではなく、批判すれば良かったです。なぜなら、キッシンジャーは自分の批判者、それも理路整然と自分に挑みかかってくる相手をリスペクトする傾向がありました。
(それで思い出したけど、田端信太郎さんが「就活生よ! 会社を褒めるな! むしろ正しくディスれ! けなせ!」というnote記事を書いていますが、まさにアレですね)
自分の味方ではなく敵を理解することに大きな労力を費やするということは、信条、宗教、政体の違いなどは、マイナス要因ではなく、むしろウイン=ウインの関係を築くためのチャンス、もっといえばキッシンジャーの策士としての得点を稼げる利潤機会ですらあったわけです。
キッシンジャーは正義や理念ではなく、リアルポリティーク(お互いの利害から、妥協点を模索する交渉術)に基づいて外交を進めました。
未だキッシンジャーが大学院生で、助教授になる前、マンハッタンのミッドタウンにある外交問題評議会(CFR)でスタディ・グループを主宰することを任され、そこで核に関する討議をしたことをひとつの本にまとめました。
その働きぶりがネルソン・ロックフェラーの目に留り、彼の下で働き始めるわけです。
でも本当にキッシンジャーの才能が開花したのはリチャード・ニクソンと出会ってからでした。
リチャード・ニクソンはオーストリアのクレメンス・フォン・メッテルニヒの「バランス・オブ・パワー」に基づいた外交術を信奉しており、それを通じて外交上の「デカい功績(Big Play)」を上げることを大統領としての最重要アジェンダだと考えていました。
そのためには、世界をアッと驚かせるような、逆張り的な外交をする必要があります。ヘンリー・キッシンジャーこそが、そういう自分の野望を実行に移す際、役に立つ人材だと思ったのです。
そこでリチャード・ニクソンは、キッシンジャーが自由に動き回れるような「場」を提供します。その「場」とは、ひとことで言うなら秘密主義です。つまり中国との国交回復も、ベトナムからの引き揚げの際も、戦略兵器制限交渉(SALT)のときも、カンボジア爆撃のときも、ニクソンとキッシンジャーは国務省を蚊帳の外に置きました。
ニクソンは何時間も執務室に籠り、だらだらと色んなデカいアイデアをキッシンジャーと二人でブレインストーミングするのが大好きでした。
そしてキッシンジャーはそれを直接、マスコミにリークするわけです。キッシンジャーはつねにオフレコで記者の質問に答え、外交問題のバックグラウンドを説明します。記者たちはそれを「某高官によると……」という風に報道するわけです。当然、何も聞いていない国務省は仰天します。
つまりキッシンジャーのチャーミングなメディア戦略で、まずマスコミを動かし、既成事実を作ってしまうわけです。
現代風に言えば、ガバナンスもへったくそも、あったもんじゃないわけです。
そういう個人プレーに加えて、キッシンジャーは権威主義的な性格であり、部下には横柄、、目上にはぺこぺこ、常に自分の評判を気にする、同胞は裏切る、陰口ばかりたたく、二重に裏切る、そしてどうしようもない嘘つきで、自然に嘘が出る……など、悪い面も沢山持っていました。
キッシンジャーとニクソンは既成概念に囚われない型破りな発想で、華々しい外交上の業績を次々に挙げました。特にキッシンジャーの外交術は、名人芸的な美技の連続だったと思います。
キッシンジャーほど権力というものの本質を理解した策士は居なかったと思います。
その反面、キッシンジャーは倫理観に欠如していたし、ひとつ筋の通った価値観もなく、すべてを秘密のうちに運びました。
結局、キッシンジャーが人々から尊敬されず、また共感を得ることが出来なかったのは、そのためだと思います。
キッシンジャーは「ピンポン外交」で米中国交回復を実現した他、ベトナムからの米軍の引き揚げ、米ソの戦略兵器制限交渉(SALT)など、数々の実績を残しました。
しかし一般のアメリカ人がキッシンジャーに対して抱くイメージは、もっとプレイボーイ風なものです。たとえば、以前、ワイフとこんな会話をしたのをおぼえています。
ワイフ:ヘンリー・キッシンジャー? もちろん、よく知っているわ。「権力ほどパワフルな催淫剤は無い」って言った人でしょ。
そう言った時、ワイフの瞳がハート型になったのを、僕は見逃しませんでした。
よくアメリカのアクション映画には、邪悪な帝国(Evil Empire)を操る政府高官のキャラとして、太い黒縁眼鏡をかけた、キッシンジャーのカリカチュアが出てきます。
なぜキッシンジャーがこのように大衆文化に浸透しているか? と言えば、その最大の理由は、彼自身が、メディアからの注目、今風に言えば「炎上」を、積極的に求めたことに因ります。
キッシンジャーはワシントンDCの隣のオシャレな街、ジョージタウンで夜な夜な、どえらい美女たちとデートしてゴシップを振りまきました。
たとえば、シャーリー・マクレーン。
あとキャンディス・バーゲン。
それからリヴ・ウルマン。
そしてけしからん乳首を露出している、ボンドガールを演じたジル・セント・ジョン。
キッシンジャーはそういう女性関係を隠さなかったし、むしろそれを誇示しました。言い換えればキッシンジャーの精力絶倫なイメージは、ていねいにキュレーションされた演出に他ならないのです。
なぜキッシンジャーはメディアへの露出にこだわったのか?
それはセレブに祭り上げられれば、パワーを持つことが出来るということを、彼が良く理解していたからです。(これは今日でもそうですよね。イケダハヤトや、はあちゅうサンも、基本、おなじ成功の方程式に基づいて行動しています)
だからヘンリー・キッシンジャーは、ヘンリー・キッシンジャー自身について語るのが、何よりも好きでした。
キッシンジャーは幼少の頃にナチスのユダヤ人迫害を逃れるためアメリカに逃げてきました。そして1930年代にニューヨークに逃れたユダヤ人家族たちの大部分がそうするように、マンハッタン島最北端、ハーレムよりもっと北にあるワシントン・ハイツに落ち着きます。
そこでジョージ・ワシントン高校に入学するわけです。
話が脱線しますがワシントン・ハイツのユダヤ人家族たちはとても教育熱心で、ジョージ・ワシントン高校はアラン・グリーンスパンFRB議長、ハイマン・ミンスキー教授、イスラエルの国防相、モーシェ・アレンスなど、錚々たる卒業生を輩出しています。
この難民経験からキッシンジャーは味方より、むしろ自分の敵を理解し、それらの敵と折り合える妥協点を模索するという基本的な習性を身につけたのだと思われます。
キッシンジャーから一目置かれようとすれば、彼に対してお追従を言うのではなく、批判すれば良かったです。なぜなら、キッシンジャーは自分の批判者、それも理路整然と自分に挑みかかってくる相手をリスペクトする傾向がありました。
(それで思い出したけど、田端信太郎さんが「就活生よ! 会社を褒めるな! むしろ正しくディスれ! けなせ!」というnote記事を書いていますが、まさにアレですね)
自分の味方ではなく敵を理解することに大きな労力を費やするということは、信条、宗教、政体の違いなどは、マイナス要因ではなく、むしろウイン=ウインの関係を築くためのチャンス、もっといえばキッシンジャーの策士としての得点を稼げる利潤機会ですらあったわけです。
キッシンジャーは正義や理念ではなく、リアルポリティーク(お互いの利害から、妥協点を模索する交渉術)に基づいて外交を進めました。
未だキッシンジャーが大学院生で、助教授になる前、マンハッタンのミッドタウンにある外交問題評議会(CFR)でスタディ・グループを主宰することを任され、そこで核に関する討議をしたことをひとつの本にまとめました。
その働きぶりがネルソン・ロックフェラーの目に留り、彼の下で働き始めるわけです。
でも本当にキッシンジャーの才能が開花したのはリチャード・ニクソンと出会ってからでした。
リチャード・ニクソンはオーストリアのクレメンス・フォン・メッテルニヒの「バランス・オブ・パワー」に基づいた外交術を信奉しており、それを通じて外交上の「デカい功績(Big Play)」を上げることを大統領としての最重要アジェンダだと考えていました。
そのためには、世界をアッと驚かせるような、逆張り的な外交をする必要があります。ヘンリー・キッシンジャーこそが、そういう自分の野望を実行に移す際、役に立つ人材だと思ったのです。
そこでリチャード・ニクソンは、キッシンジャーが自由に動き回れるような「場」を提供します。その「場」とは、ひとことで言うなら秘密主義です。つまり中国との国交回復も、ベトナムからの引き揚げの際も、戦略兵器制限交渉(SALT)のときも、カンボジア爆撃のときも、ニクソンとキッシンジャーは国務省を蚊帳の外に置きました。
ニクソンは何時間も執務室に籠り、だらだらと色んなデカいアイデアをキッシンジャーと二人でブレインストーミングするのが大好きでした。
そしてキッシンジャーはそれを直接、マスコミにリークするわけです。キッシンジャーはつねにオフレコで記者の質問に答え、外交問題のバックグラウンドを説明します。記者たちはそれを「某高官によると……」という風に報道するわけです。当然、何も聞いていない国務省は仰天します。
つまりキッシンジャーのチャーミングなメディア戦略で、まずマスコミを動かし、既成事実を作ってしまうわけです。
現代風に言えば、ガバナンスもへったくそも、あったもんじゃないわけです。
そういう個人プレーに加えて、キッシンジャーは権威主義的な性格であり、部下には横柄、、目上にはぺこぺこ、常に自分の評判を気にする、同胞は裏切る、陰口ばかりたたく、二重に裏切る、そしてどうしようもない嘘つきで、自然に嘘が出る……など、悪い面も沢山持っていました。
キッシンジャーとニクソンは既成概念に囚われない型破りな発想で、華々しい外交上の業績を次々に挙げました。特にキッシンジャーの外交術は、名人芸的な美技の連続だったと思います。
キッシンジャーほど権力というものの本質を理解した策士は居なかったと思います。
その反面、キッシンジャーは倫理観に欠如していたし、ひとつ筋の通った価値観もなく、すべてを秘密のうちに運びました。
結局、キッシンジャーが人々から尊敬されず、また共感を得ることが出来なかったのは、そのためだと思います。