青田貴光
2016年8月16日03時00分
1945年7月。攻撃機の製造に徴用された19歳の兄は、動員先の名古屋への空襲で命を奪われた。「どうせ死ぬなら兵隊として死にたい」。生前そう語っていた兄の無念を背負い、草津市の原田晴雄さん(84)は兄の生涯をほとんど語らず戦後を生きてきた。終戦71年の15日。「もう区切りをつけたい」と東京であった全国戦没者追悼式に臨んだ。
■追悼式参列「区切りついた」
「こんな戦争、いつまで続けるんや」「もう名古屋へ戻りたくない」。45年7月半ば。近視のために徴用工となり、動員先から休みをもらって近江八幡市の自宅に戻った兄・善夫さんは、六つ下の晴雄さんらに繰り返した。
善夫さんはこの直前、爆撃され…
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