中国女子バレーボールチームを金メダル獲得に導いた郎平、その立志伝中の人物ともいえる人生を紹介する。
郎平(ろうへい/ランピン/LangPing, 1960年12月10日 - )は、中国の元女子バレーボール選手、バレーボール指導者。天津市出身。1980年代の中国バレーボールの黄金時代を築いた。
若き日の郎平
郎平の生まれは天津、1960年大寒の冬の日だった。自然災害などの諸々の影響により、家庭の経済状況はとても貧しかった。郎平は体が弱かったので、母はおかゆで彼女の栄養を与えるだけで、特によく面倒を見ることもなかった。母親は貧窮した生活にも平常心を保つという考え方の持ち主で、郎平のその後の人生に大きな影響を与えた。
7歳の時に、郎平は小学校の門をくぐった。北京市朝陽区東光路小学校に入学した彼女は少年時代の勉学生活を開始した。郎平の性格は、東北地方で育った父親の豪放磊落な性格と、また南方出身の母親の冷静で細やかな性格を併せ持っていた。この優秀な性格は、彼女をまるで男の子のように勇敢で頑強な“運動”の道へと向かわせ、“冷静”な部分は他の女の子よりもさらに文化的で落ち着いた性格を持たせることになった。郎平の少年時代の記憶の中で、バレーボールはとても素晴らしい印象を与えた。そして年月とともに、郎平の背丈はどんどん伸びて行った。
栄光の現役時代
1973年、13歳の郎平は、北京工人体育館少年スポーツ学校バレーボールチームに入団した。そこで力を付けた郎平は、中学卒業後、北京市職業学校に入学し、北京市のバレーボール代表に選ばれた。そこで出色の能力を見せた郎平は、1978年、弱冠18歳で中国代表チームの一員となる。その後は、21歳で参加したブレーメン国際バレーボール大会で優勝とMVP獲得を皮切りに、中国を代表するバレーボール選手として、世界選手権・オリンピックで数々の金メダルを獲得し、スター選手の一人となった。なかでもスパイクの威力は“鉄のハンマー”と呼ばれ対戦相手を震え上がらせた。
1985年に、25歳で引退した郎平は北京師範大学で外国語を学ぶなどバレーボールの一線からは身を引き、自分の人生を歩んでいた。
現役時の獲得タイトル
- 1981年 ワールドカップ 金メダル
- 1982年 世界選手権 金メダル
- 1984年 ロサンゼルスオリンピック 金メダル
- 1985年 ワールドカップ 金メダル
- 1990年 世界選手権 銀メダル
バレーボール界への復帰、そして世界的名将へ
一旦バレーボールの一線から身を引いた郎平だったが1989年にイタリアのクラブチームの要請を受け、バレーボール界に復帰。監督として率いたそのチームはリーグ優勝した。
また翌年の1990年には、一時力を落としていた中国代表の状況を見かねて現役復帰。中国代表を世界選手権銀メダルに導く。
その後アメリカへ渡った郎平は、ニューメキシコ大学女子バレーボールチームの監督として、チームをアメリカ東部地区優勝へ導くなど、監督としてのキャリアを積んでいった。
1995年、郎平は中国女子バレーボールチーム代表に監督として戻ってきた。当時の中国女子バレーボールチームは、バルセロナオリンピックでの薬物事件や7位に終わった惨敗などで、低迷していた。
中国代表の監督となった郎平は中国女子バレーボールチームを立て直し、同年のワールドカップ銅メダルを皮切りに、96年アトランタオリンピックで銀メダル、97年アジアカップ優勝、98年アジア大会優勝に導いた。
1999年、中国監督を退任した郎平は、イタリアのセリエAのモデナの監督を務め、リーグタイトルを席巻。2002年には世界のバレーボール殿堂入りを果たした。
2005年、郎平はアメリカ女子代表の監督に就任し、2008年の北京オリンピックでは銀メダルを獲得。世界的名将としての評価を不動のものとした。
中国以外の代表を率いてメダルを獲得したことに、国内からは批判もでた。その後、中国代表監督復帰が何度も取りざたされたが、上述のこともあってか、就任することはなく、郎平が離れた中国女子バレーボールチームは10年近くオリンピック金メダルとは無縁の時代を過ごしていた。
2013年4月、中国バレーボール協会が郎平の中国女子代表監督の就任を発表。中国では、郎平は中国女子バレーボールチームをもう一度立て直すことが期待された。2016年リオデジャネイロオリンピックにおいて、郎平は中国女子代表の監督として参加。郎平に率いられた中国女子バレーボールチームは幾多の激戦を潜り抜けて、決勝に進出。セルビア代表を打ち破って金メダルを獲得した。
まとめ
天津の片隅で貧しい家庭に生まれた少女は、世界的名将に上り詰め、中国女子バレーボール界に再びの栄光をもたらした。豪放で冷静な彼女は、この功績に対する称賛も一笑に付すかもしれない。しかし彼女が歩んできた道は多くの人々に希望を与えるものであり続けるに違いない。(了)
【記事:高晋】
※当ブログオリジナル記事・Pic/百度
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