伊調が金 史上初の4連覇 レスリング女子58キロ級

伊調が金 史上初の4連覇 レスリング女子58キロ級
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リオデジャネイロオリンピックは17日、レスリングの女子58キロ級で決勝が行われ、伊調馨選手が金メダルを獲得しました。女子の個人種目では世界初となるオリンピック4連覇です。
伊調選手は、1回戦でチュニジアの選手にテクニカルフォール勝ちし、続く、準々決勝も競り勝ちました。
そして、準決勝では前回、ロンドン大会の銅メダリストに対し、再び圧倒的な強さを見せてテクニカルフォール勝ちし決勝に進みました。
迎えた決勝では、おととしの世界選手権で準優勝している、ロシアのワレリヤ・コブロワジョロボワ選手と対戦しました。伊調選手は第1ピリオドで先に1ポイントを挙げましたが、このあと、攻撃を仕掛けたところを突かれて、リードを許す展開になりました。続く第2ピリオドは、守りに意識を置いた相手に攻撃の形を作ることができず、ポイントを奪えませんでしたが、終了間際にタックルに来た相手を捕まえてポイントを奪い逆転勝ちしました。
金メダルを獲得した伊調選手は、これで女子の個人種目では世界初となるオリンピック4連覇を達成です。

「自己採点は30点」と厳しい評価

4連覇を果たした伊調馨選手は涙を流しながらインタビューに答え、試合後、マットの上で深く礼をしたことについて、「オリンピックは4年に1度だし、この舞台を目指してきたのでその区切りとして、『ここまで導いてくれてありがとう』とたくさんの人への感謝の気持ちを込めた」と話しました。伊調選手は、マットを降りたあとスタンドの最前列に降りてきた姉の千春さんのもとに駆けつけ、千春さんに抱き寄せられるとそれまでこらえていた涙を流していました。この場面について「姉は『よくやった、頑張ったね』とほめてくれました」と優しい表情で振り返りました。そして「この金メダルを1人でも多くの人に見せたいし、感謝の思いを伝えたい」と話しました。一方、苦しんだ決勝については「内容は『ダメダメ』で、もっといい試合をしたかったという悔しい気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいです」と振り返り、この日の自己採点を求められると「金メダルに免除していただいて30点。いつもより高いです。金メダルの分が25点」とみずからに厳しいふだんの姿に戻っていました。

姉の千春さん「馨らしい逆転」

伊調選手の姉で、オリンピックのレスリングで2大会連続銀メダルの千春さんは会場のスタンドで妹の4連覇達成の瞬間を見守りました。
千春さんは「うれしくて何回も飛び上がりました。なかなかタックルを取れなかった時は、もしかしたら負けるんじゃないかという思いもありましたが、最後の最後に、ああやって逆転するのは馨らしいなと思いました」と喜びを語りました。
そして、「いっぱい、けがもあり、両肩に痛め止めの注射を打って今回の試合出ているんですが、そういうことは誰にも言っていないと思いますし、つらさがあったと思う」と、妹を思いやり、会ったら最初にどんな言葉をかけるか聞かれると、「その場にならないと、わからないです。何も言わずに抱きしめるかもしれない」としみじみと話していました。

伊調選手 これまでの歩み

伊調馨選手は青森県八戸市出身の32歳で、姉の千春さんなどの影響で3歳の時、地元のクラブでレスリングを始めました。愛知県の高校・大学に進み、大学では先輩の吉田沙保里選手とともに、練習に明け暮れました。
オリンピックに女子が初めて採用された2004年のアテネ大会で63キロ級の初代女王に輝き、48キロ級で銀メダルを獲得した千春さんととともに姉妹でメダルを手にしました。長い手足と懐の深さを生かした守りの強いレスリングで北京大会でも金メダルを獲得、千春さんも再び銀メダルを獲得し、2大会続けて姉妹でメダルを手にしました。
北京大会後、およそ1年間、休養してからは練習拠点を東京に移し、男子との練習を重視して攻撃面を強化し、ロンドン大会で3連覇を果たしました。世界選手権では去年まで通算10回優勝しています。
みずからの「理想のレスリング」を追い求める姿勢が特徴で、去年の世界選手権で優勝した直後のインタビューで自己採点を求められた際には、「25点くらい。30点つけようと思ったが、決勝もあまり、よくなかったので悔しい」と話し、勝敗よりも試合の内容にこだわるスタイルを崩しませんでした。
2003年以来、不戦敗を除いて負けがありませんでしたが、ことし1月にロシアで行われた国際大会でモンゴルの選手にテクニカルフォール負けし、13年ぶりに試合を戦って敗れました。連勝が途切れたあとは「自分を見つめ直すいいきっかけにしたい」と敗戦を前向きに捉えて、攻撃面の基本の動きを見直し、吉田沙保里選手とともに、女子の個人種目では世界初となるオリンピック4連覇を誓っていました。
オリンピックでは今、大会から実施種目が2階級増えて階級区分が変わったため、伊調選手は本来の体重に近い58キロ級で出場しました。

地元・青森で快挙たたえる

伊調選手の出身地、青森県八戸市では地元の人などが集まって試合を観戦し、女子個人種目で世界初となるオリンピック4連覇の快挙をたたえました。
千羽鶴や寄せ書きが飾られた八戸市の観光交流施設には、伊調選手が中学生の頃まで所属していたクラブチームに通う子どもたちや地元の人たちなど、およそ150人が集まり、大型のスクリーンで試合を観戦しました。決勝戦の終了間際に逆転で金メダルの獲得を決めると、集まった人たちは立ち上がって大きな拍手を送り、女子の個人種目では世界初となるオリンピック4連覇の快挙をたたえていました。
クラブチームの会長だった橋本精二さんは「日本でも世界でも女子の4連覇は初めてなので本当にうれしい」と話していました。
チームの後輩で、この夏のインターハイで優勝した熊野ゆづるさんは「最後まで諦めないところがすごいと思った。私も馨さんのように世界で活躍したい」と話していました。
伊調選手のおばの木立節枝さん(80)は「金メダルを取ると思っていたが、ドキドキして見ていた。お疲れさまと言いたい」と話していました。

五輪での連覇の記録

IOC=国際オリンピック委員会によりますと、これまでオリンピックの女子の個人種目で4連覇を達成した選手は夏・冬を通じていませんでした。
男子ではアメリカのカール・ルイス選手が、陸上男子走り幅跳びで1984年のロサンゼルス大会から1996年のアトランタ大会まで4連覇しているほか、円盤投げとセーリングでもそれぞれ、過去に4大会連続で金メダルを獲得した選手がいます。
団体まで含めると、男子ではハンガリーの選手がフェンシングのサーブル団体で6大会連続で金メダルを手にしたのが最多で、女子ではアメリカのバスケットボールの選手や、カナダのアイスホッケーの選手が4大会連続で金メダルを獲得しています。
日本は、個人種目では柔道男子60キロ級の野村忠宏選手がアトランタ大会から2004年のアテネ大会まで3連覇したのが最多で、レスリング女子の吉田沙保里選手と伊調馨選手が前回のロンドン大会で、これに並びました。
団体では体操の男子がメンバーが入れ代わりながら、1960年のローマ大会から1976年のモントリオール大会まで5連覇しています。