8月15日の終戦記念日をもって、安保法案などに対して反対運動を行っていた学生団体「SEALDs」が解散した。SEALDsは解散のメッセージと動画を公開している。(*1)
若者の政治運動ということで、左派には注目されたが、一方では右派からは蛇蝎のごとく嫌われた。
そして僕はどう思っていたかといえば「加齢臭がする組織だな」と思っていた。
左右のメディアは彼らを「若者」として扱ったが、僕にはとても彼らが若者であるとは思えなかった。
いくら代表やその構成員が若くとも、東日本大震災を受けて、首都圏反原発連合が炊きつけた官邸前デモなどを継承した組織としか思えなかったし、その裏に反原発に傾倒しすぎて終わってしまったジジババサヨクが跋扈しているであろうことは簡単に想像がついた。違うというなら、彼ら自身がそれを否定する声を発すればよかったが、解散に至るまで、結局は傀儡であり続けたイメージしかない。
有り体に言えば、SEALDsというのは「サヨクのジジババが考える都合のいい若者像」でしかなかった。
彼らは遅れてきた「高等遊民」だった。高等遊民とは大学を出るなど、それなりの学を持ちながらも、経済的な不自由がなく、働かなくとも生きていける人たちのことだ。
左派に限らないが、高度経済成長のもとでぬくぬくと経済成長してきたジジババたちは、若者に対して「子供の頃から、多くの物に囲まれ、豊かに育ってきた」という偏見を持っている。実際には、子供を豊かに育てたのはジジババたち自身の自尊心を満足させるために他ならず、成長した若者は経済の停滞によって、苦労ばかりを押し付けられるばかりで、収入面ではその多くが、ジジババたちの豊かな経済成長生活を超えることができず、酷く自尊心を奪われているのだが、SEALDsにはそうしたイメージが全く見られない。
SEALDsは一応「再分配」もその論点として持ってはいるようだが、少なくとも解散のメッセージは「平和」一色に塗りつぶされ、「うちは蕎麦屋だから、蕎麦がメイン。うどんもあるけど、まぁ置いとかないとお客さんに言われるから……」くらいのことでしかないように思える。それもやはりSEALDsがまとう高等遊民のイメージゆえだろう。実際にどうかとは関係なく、少なくとも僕は、彼らに労働の泥臭さを感じなかった。
それはメディアが若者を「ゆとり世代で裕福に育ったバカ」として見下すことを意味した。だからメディアとしても、味方するにせよ、批判するにせよ、ステレオタイプな若者代表として扱いやすかったのだと思う。だからこそ,SEALDsの存在はメディアに注目された。
そうしたSEALDsを、普通の若者たちが嫌うのも当然だったと言えよう。
しかし何よりも一番問題だったのは、SEALDsがメインで訴える「平和」は、若者にとっては全くイシューではなかったという点だろう。
平和は大切だということは分かっている。しかし多くの若者は平和以前にもっと大きな問題を抱えている。
それは今なお続く日本社会の低成長をおっ被させられるがゆえの「貧困」や、それに伴う「自尊心の不在」である。いわゆる「右傾化」も、本来得られる成長に伴う自尊心を補うために、愛国心を都合よく利用されているに過ぎない。
左派的な話題においても「LGBT」や「表現の自由」であれば、若い人に受け入れられる土壌もあるのかもしれないが「平和」というのは、あまりにもふわっとしすぎている。だからこそ「単に安倍政権を批判するネタとして平和を持ち出している」としか思われなかったし、後ろ盾をしているジジババサヨクの論理はまさにそれなのだから、とても若者に支持されるような団体ではなかったのである。
仮にSEALDsが若者に受け入れられるとしたら、どのような手段があっただろうか。例えば最近は「最低賃金1500円」を謳い運動をしている団体がある。
若い人たちには友達のうちに1人くらいはフリーターをやっている人がおり、そうした人たちは、決してサボっていたり、能力が低かったり、人間的に歪んでいるから貧しいというわけではないということを知っている。
こうした貧困に関わる問題はジジババや一部ネットメディアに跋扈する経営者たちには理解されなくても、現実の若者には支持されたり、支持までに至らなくとも理解を示してくれる可能性は高い。
貧困だけではなく、先ほど例に挙げたような、実際に若者が関心を持つ問題を取り上げ、丁寧に主張していけばよかったのである。そしてそれは社会で何かを訴えるには当たり前のことでしかない。
SEALDsが最後に公開した映像には、実にSEALDsの全てが詰まっていると言っていい。見た感想として僕は「ああ、かっこいいっすね(笑)」としか思わない。つまりそこには彼ら独自の主張がどこにもないのだ。
ラップという表現も、それっぽいファッションも、細切れでノイジーで、やたらにアーティスティックなだけの映像も、そしてメッセージ自体も、すべて「どこかで見たもの」ばかりで、一切、真に迫るものは存在しなかった。
それはそうだ。だって彼ら自身は反安倍を演出するだけの、ただの操り人形に過ぎなかったからだ。彼らを上から高度経済成長のもとで多くを手にしながら、反政権を老後の楽しみにしている老人が操っている。そこには一切の魂がない。だからSEALDsは見限られた。見限られて当然だった。
最後に平和の話をする。
Twitterを眺めていたら「人形を持って歩いていたら、警官に職質された。警官になぜ職質したのかと尋ねたら、人形に「平和」と書かれていたからだという。もはや平和は罪なのだ」というような内容のツイートを見つけた。
素晴らしい。そのとおりだ。もはや今の日本社会にとって「平和は罪」なのだ。
何の罪かと言えば、社会そのものが大きく変化する中で、さも「変わらない平和」を享受しているかのように装うことにより、内部で発生している著しい歪みを無視し続けることが、平和の罪なのである。
この日本社会の理不尽に晒されていればいるほど、平和はとても憎らしい物事となる。
平和の対義語は戦争ではない。平和の対義語は変化だ。若い人は変化を求めている。僕はもう若者とは言えないけど、それでも平和を守るために理不尽を押し付けられたまま犠牲になる気など、さらさらない。
平和のためにではなく、変化のためにこそ物事を考えられる人間でありたいと思う。
*1:TO BE(SEALDs)
記事
- 2016年08月21日 08:47
平和は罪だ
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