1度目の起業に失敗、妻に離婚届を渡され、家族も失いかけた。2年間のホームレス生活を経て2000年に兼元謙任氏が生んだ国内初のQ&Aサイト「オウケイウェイヴ(OKWAVE)」。どん底からはい上がり、06年には上場。海外展開も視野に入れる。約20年前、「これしかない」とサービスを思い立ち、事業を立ち上げた兼元氏の思いに迫る。
■初めての「カキコミ」で叱られる
――インターネット上でユーザーの質問に対して分かる人が答えるQ&Aサイトは、今では広く認知されています。2000年当時、その仕組みはほとんどありませんでした。なぜ、つくろうと思ったのですか。
「自分が困って、実際にネットを通して質問したことがきっかけです。20年前、私はパソコンだけを持ってホームレス生活を送っていました。大学卒業後に工業デザイナーとして働きながら、車椅子でもぬれないレインコートをつくりたい、と会社を準備していました」
「自分が手足のまひなどを伴う難病、ギラン・バレー症候群にかかり、車椅子生活で苦労した経験があったからです。ところが頓挫した。妻にも別れを切り出されてどん底だった。これではいけない、と少しずつ始めた仕事が名刺のデザインです。その延長で『ウェブページを1枚1000円で作ってくれ』という依頼があった。ウェブなんか分かりませんでした。しかし、お金を稼がなければいけないから仕事を断るなんて選択はなかった」
「そこで、あるサイトに書き込んだのです。『仕事でウェブの制作を頼まれたのだが、食うためにもやらざるを得ない。どうしたらいいのか』と書いたら、『商売のためにこんなところに質問するなんて、お前、マナーがなってない』と注意されてしまった。そこで、困ったときに誰かに相談できる場所があればいいのにと思いました」
■カイゼンの「生みの親」の言葉を思い出して
――自分の経験が出発点だったのですね。
「私の生い立ちにも関係しています。在日韓国人の三世として生まれました。いわれなき差別を受け、つらい経験をしたこともあった。なぜこんなことがあるのか、こんなことがあっていいのか、誰にも相談できないままでした」
「大人になってからも、仕事が忙しいと家にもろくに帰らず育児をほったらかしにして、嫁に愛想をつかされても、誰にも相談できる場所がない。トヨタ生産方式を生み出した大野(耐一トヨタ自動車工業=現トヨタ自動車=元副社長)さんのいった『5回なぜを繰り返すと答えが見える』という言葉を思い出したのです。一人で5回掘り下げて答えがわかるなら、たくさんの人とやりとりして共有すれば、よりいい気づきが得られる、と思った。それがQ&Aサイトが生まれた理由です」
「このサービスがあれば助かる人がいると、誰かにやってほしいと、いろいろな人に相談しました。ところがみんな『お前がやれ』と(笑)。それで、自分で立ち上げを決めました。しかしどこからも資金を貸してもらえなかった」
■妻が待っていてくれた
――お金もない、貸してくれる宛てもない。どうされたのですか。
「ある映画監督が映画を撮るために結婚式を開いた、という話を聞いて。上野公園にテーブルをおいて、集めたご祝儀を元出に映画を撮ったんだけど、お前もこういうことやれば、といわれたのです。このとき、嫁さんを思い出しました。公園で寝ながら妻に悪いことをしたと思っていたし、ホームレスをしながら稼いだ金は手紙と一緒に送っていました。彼女はそのお金、約400万円をためていてくれたのです。謝ってこの仕事がしたい、と話したら『このお金を使っていいよ』といってくれた」
――今、オウケイウェイヴは上場もしていますが、人の善意を元手にビジネスがうまくいくかわからないですよね。
「そもそも『見ず知らずの人の質問に正しくまじめに回答してくれる人がいるはずがない』といわれました。でも本当にそうかな、と。継続的に正しく書いてもらう工夫もしました。Q&Aにしたり、回答をしてくれた人にお礼をしたり、ランキングにしたり。スタートしたときに回答してくれたのは10人くらい。この10人が大事で、100人が1000人になっていく、と信じたかったです(笑)。今は月に閲覧者が約3000万人、回答者数は100万人を超えています」
「ビジネスも最初はうまくいきませんでした。事業計画には広告の収益などを書いて投資家を集めましたが、相手にもされません。助けてくれたのは、ユーザーでした。ユーザーがビジネスにするアイデアをくれたのです。コールセンターの代わりになるウェブ上のQ&Aサービスを顧客向けに自分の会社で使いたい、といわれて。今の主力ビジネスである『オウケイビズ』が生まれました」
■なぜくじけないのか
――仲間も失い、家族も失って、ホームレスになる。それでも兼元さんはなぜ立ち直れたのですか。
「24時間365日考えてきたものを失ったり、妻に離婚届を渡されたり……。あのときは、プツンと切れてしまった。ゴミを拾って食べる自分を見て、子供を連れた母親が『あんな風になっちゃだめよ』といっても『別にいいじゃん、なるかもしれないじゃん』と思っていました」
「取り払ってくれたのは、働きながら大学に通うある中国人女性でした。今までのことを泣きながら話したら、立て続けに何発も殴られたのです。彼女は中国の奥地に生まれて、物乞いをするような貧しい生活をなんとかしなければ、と日本に渡ってきた。『敗戦を乗り越え国内総生産(GDP)を世界2位にするまで成長した国に憧れて、私はこの国で勉強したいと必死で働いている。30歳そこそこでちょっといじめられたくらいで、こんなところで寝るな』と怒られたのです」
「しばらく悩みました。その後さらにショックなことがありました。あるチェーン店に余ったハンバーガーをもらって食べたら、妙にジャリジャリしているんです。腹痛と吐き気に襲われました。光の下でよく見ると、吸い殻が丁寧にハンバーガーに挟んであるのです。ホームレスに来られるのが嫌で、わざと渡している、このままじゃダメだと思いました。急にじゃないけど、ゆっくり立ち直りました。会社を回って頭を下げて、デザインの仕事をもらうようになりました」
――ホームレスから立ち直り、起業した。何が支えとなったのですか。
「諦めたら終わりです。Q&Aサイトは、自分がずっとつっかえていたものが取れると思いました。入院していた子供のころ、昨日一緒にしゃべっていた隣の子のベッドの上に、花が置いてあることもあった。次は自分の番かと思いながら、不安で仕方がなかったけれど、親にもその気持ちを相談できなかった。このサービスがあれば、世の中が明るくなると信じていたし、今も信じています」
「私がやりたかったのは、フローよりもストックです。スレッド(掲示板)でもメールでも、人に共有されないですよね。たとえば『この人ともう別れたほうがいいでしょうか』という質問に対して、様々な回答が書き込まれます。そのほかにも、関連質問として違う恋愛相談が表示されたら、『俺だけじゃない』『こういう場合もあるのか』と気が楽になる。だから、私はQ&Aを積み重ねて、消さないことにこだわりました。『エクセルの使い方』など、IT(情報技術)系の疑問は共有すれば、読んだ人の助けになります。掲示板に質問を残したくない、とユーザーにいわれることもありましたが、みんなの共有財産になるし、相談できないけど同じことに悩む人の助けになるでしょう」
兼元謙任氏(かねもと・かねとう)1990年愛知県立芸術大学卒、デザイン会社や建築塗装会社などを経て、2000年にオーケーウェブ(現オウケイウェイヴ)設立。愛知県出身。50歳
(松本千恵)
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