8月8日、天皇陛下はビデオメッセージを通じて、天皇が「高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか」について、「個人として」「これまでに考えて来たこと」を発表した。「現行の皇室制度に具体的に触れることは控え」られていたものの、天皇の生前退位を制度化する必要を示唆するものだった。

 憲法2条は、皇位は世襲と定めるのみで、生前退位を禁止しているわけではないから、その制度化には、憲法改正は不要で、皇室典範を改正すればよい。各種世論調査では、生前退位の制度化に賛成する国民が圧倒的多数を占めている。

 今後は、天皇の政治利用に細心の注意を払いつつ、象徴天皇をよりよい制度とするための制度設計がなされることになろう。

 ところで、あまり議論されていないが、今回のお言葉については、生前退位制度の是非とは別に、誰が責任を負うのかを考える必要がある。

 天皇には、特殊な政治的影響力がある。例えば、もしも天皇が安保法制に賛成または反対だとの意見表明をしたならば、それと反対の意見を持つ者には、「国民の象徴に逆らった」というレッテルが貼られることになる。天皇がそうした政治的影響力を持つことを防ぐため、憲法は、天皇の行為を厳密にコントロールしている。

 具体的には、憲法4条は、天皇は国事行為のみを行うとする。国事行為は、首相・最高裁長官の任命、法律の公布等、憲法7条に列挙されたものに限られる。憲法4条の文言を重視するならば、天皇は国事行為以外の活動を行う必要はない。むしろ、行ってはならないという解釈もありうるだろう。

 ただ、憲法1条は、天皇は日本国と日本国民統合の象徴だと規定するため、実務では、天皇は国事行為の他に、象徴としての活動をしてきた。代表的なのは、被災地の慰問だ。被災地の苦難をおもんぱかり、復興を願う気持ちは、政治的立場を越えた日本国民の総意だろう。先の大戦の犠牲者を追悼し平和を祈る行為や、友好国への訪問なども、同様の説明ができるだろう。こうした天皇の活動を法的には、象徴行為という。

 では、象徴行為の責任は誰がとるのか。国事行為については、憲法が内閣の助言と承認が必要だと定めるので、内閣が責任を負うのは当然だ。これに対して、象徴行為を定めた憲法の明文はないので、解釈によることになる。

 政府は、象徴行為に関わる事務は、内閣が担当する「一般行政事務」(憲法73条)の一種だと説明してきた(1974年2月2日衆院外務委員会・法制局長官答弁)。この解釈によれば、象徴行為の責任は、内閣が負うことになる。

 今回のお言葉は、天皇個人の考えとして示されたが、その内容は、象徴の地位にある者がどのような状況に置かれているかを伝えるものだ。とすれば、今回のお言葉は、象徴行為の一種と理解すべきであり、内閣が責任を負うべきものということになる。

 今回のお言葉に触れ、天皇陛下の象徴行為に対する深い思いに、尊敬の念を覚える一方で、今後、天皇のお言葉が、政治的に乱用されることへの強い危惧も感じた。

 これを防ぐためには、お言葉の責任は内閣にあることを、国民は常に意識せねばならない。(首都大学東京教授、憲法学者)=第1、第3日曜日に掲載します。