賢者の知恵
2016年08月21日(日) 堀井 憲一郎

リオ五輪日本代表の"躍進"は「ゆとり教育」のおかげだった!?

競泳ニッポンの盛衰をたどる

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リオ五輪、個人400メートルメドレーで金メダルを獲得した萩野公介選手と銅メダルの瀬戸大也選手(左)〔photo〕gettyimages

 

文/堀井憲一郎(コラムニスト)

競泳メダル数のふしぎな盛衰

リオ五輪の〝日本メダルラッシュ〟は水泳と柔道の躍進から始まった。

柔道が金3銀1銅8。水泳は金2銀2銅3である。なかなかすごい。

柔道が強いのは、わかる。発祥国なので、がんばっていただきたい。

水泳は、なぜかここのところ「日本人が得意な競技」となってきた。いつもメダルが期待される種目になっている。

* * *

オリンピックでの競泳は、ほとんどメダルが取れない時代があった。そのもっと昔には、水泳王国と呼ばれる栄光の時代があった。

オリンピック水泳メダル数で日本を見直すと、ふしぎな盛衰がある。

1924年のパリオリンピックより競泳に参加した日本は、1928年のアムステルダムオリンピックで鶴田義行が平泳ぎ200mで金メダルを取る。ほかにも銀1銅1という好成績を残した。

ついで1932年のロサンゼルス大会で、日本水泳陣は大活躍する。金5銀5銅2と競泳だけで12のメダルを獲った。これはいまだに日本競泳陣のメダル最高成績である。

そのまま1936年、ヒトラー旗下のベルリン大会でも活躍は続き、金4銀2銅5とメダル11を獲得した。(前畑ガンバレで有名な前畑秀子が女性初の金メダルを獲得。)

1930年代はまさに〝競泳王国の日本〟だった。

1940年と1944年のオリンピックは戦争のために中止、1948年ロンドン大会は日本はまだ独立国ではなかったので(敗戦国だったので)参加できなかった。

ただ1948年は〝フジヤマのトビウオ〟と称された古橋広之進の全盛期であり、参加すれば複数のメダルを確実に取れていたはずである。(オリンピックと同時期に水泳日本選手権が開かれ、古橋は五輪優勝者よりも早いタイムで優勝した。1980年モスクワ五輪マラソンの瀬古利彦と並んで〝参加していれば絶対取れていた金メダル〟であり、いまだに不参加が惜しまれている大会である。)

その後も着実に活躍している。

1952年ヘルシンキでは銀が3つ。
1956年メルボルンでは金1銀4。
1960年ローマでは銀3銅2。

水泳は日本にとって「オリンピックでメダルを取れる種目」であり続けたのである。

ただ1964年の東京オリンピックから状況が変わる。日本の水泳は弱くなっていく。

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