ポケットベルと私
高校2年の時ポケベルが流行った。
同級生の誰もが持っており、私は少し出遅れてしまったが、TTM(東京テレメッセージ)の「自由人」というポケベルを買った。いや、正確にはレンタルだった。
このなのあったの覚えてますか?
どういう訳だか休み時間になると決まって公衆電話は長蛇の列…いったい誰にメッセージしてんだ??という状況だった。月額使用料金は2000円くらいしたのだろうか…はっきりと覚えていないが流行りで持ってしまった事に少し後悔があった、しかし十数文字のメッセージのやり取りはとても新鮮だった。特に女子とは…笑
PHSと私
やがてPHSが高校3年の時に流行りだす。私が買ったのはDDIポケットのPHS(機種名は忘れてしまったが)を購入し間もなくして風呂に水没させてしまい、変わってNTTパーソナルのPHSを新規で購入する。確か新規で1円…笑
画像がとても懐かしい…
PHSの弱点は電波の悪さだった。部屋の中では電波が届かず、ベランダに出ないと通話が出来なかったのを覚えている。
PHS同士でPメールというメッセージサービスがあってよく活用したものだ。
当時も携帯電話はあったのだが通話料金がバカ高く学生の分際では高嶺の花であった。高校卒業後1年PHSは利用したが電波の悪さにほとほと嫌気がさして2年使って解約した。
ケータイと私
90年代後半は携帯電話が本格的に世に広まり料金がどんどん改正され、より身近なものとなっていった。
初ケータイは、隣町の電気屋までチャリンコでダッシュして店頭に並んでいたIDOのサンヨー506Gだった。多分新規で4000円だった。
PHSとは比べものにならない通話品質だったのを覚えている。
当時の流行りのケータイは断然これ
シェアはドコモの一人勝ち?
ドコモのP203。今見ても美しい。この端末は何処探しても品切れで結局買う事が出来なかったのである。
流行に敏感な当時のイケてる若者はみんなコレだった。
イケてない私もどうしても欲しかったので…506Gは半年で手放し
IDO521Gを買った。IDOは不人気だったのだ。ダサかった…
ちなみにドコモP203のIDOバージョンである。(PはPanasonicのP)
なんと液晶が緑とオレンジの2色から自由に選べるのだ。確か漢字表記もこの頃からだった。
ケータイは電車や車といった移動中でも途切れる事はなかった。PHSやポケベルは徐々に姿を消していったのである。
521Gはとても気に入っていた。しかし、ケータイは日進月歩で進化していく。
次にドコモのD502iに飛びつく。そしてピンクを買う。理由は不明。
カラー液晶(256色)に加え「iモード」という通信サービスが利用できたのだ。
着信音も今まで単音だったのが3和音となって私はたいそう度肝を抜かれたのである。
(Dは三菱電機)
この時代の流行りは何と言ってもN502iだった。二つ折りケータイの先駆けであり、以降のケータイは二つ折りが主流となる。
ちなみにNはNECである。
その後は…
J-phone SH-07
液晶は65000色(SHはシャープ) でとても鮮やかだった。それと11万画素のカメラが着いたのだ。何とも画期的だった。カメラ欲しさに買ったようなものだった。
さらにその後auへ移り何機種か経て
au T003の緑へ(2009年)
かなり薄い端末だったがワンセグが装備されていた。ワンセグ用のアンテナがある。さらにカメラは背面中央部に322万画素まで引き上げられている。
キーが押しにくかったのでシールを貼って使用していた。
その後iPhone4sへ
ケータイの進歩はとても目まぐるしい。
通話に感動し、メール、漢字変換、カラー液晶、和音、コンテンツへの接続、カメラ、ワンセグ、おサイフケータイ、と革新的に変わってきた。(ガラパゴス化)
そして、料金も安くコロコロ変えていた。画像を見ていて当時を懐かしく感じてしまった。
ご視聴ありがとうございました。