「投資」は山あり谷あり。常に勝てるわけではないことはわかっていても、「負け」が込んでくれば、やめてしまう人も多い。そうしたなか、インヴァスト証券で実際に取引をしている個人投資家に「取引を続けるコツ」を聞いた。続きを読む
PR 2016/8/16
「倖田來未が歌っている曲のパクリ騒動は、JPOPの形骸化が招いた悲劇だ」――そんな解説が投稿動画サイト「ニコニコ動画」にアップされ、一週間で19万回閲覧されるなど大きな話題になっている。安易にヒット曲を生み出そうと、日本人好みの同じコード進行で作った曲の氾濫が元凶で、ここから脱却しないと今後もパクリ騒動が頻発する、と断じている。
...
...
[記事に戻る]
※誹謗中傷や差別的発言、不愉快にさせるようなコメント・口コミは掲載しない場合があります。
コメント・口コミの掲載基準については、コメント・口コミに関する諸注意をご一読ください。
「投資」は山あり谷あり。常に勝てるわけではないことはわかっていても、「負け」が込んでくれば、やめてしまう人も多い。そうしたなか、インヴァスト証券で実際に取引をしている個人投資家に「取引を続けるコツ」を聞いた。続きを読む
PR 2016/8/16
お知らせ
聴いていて、美しいと感じるメロディラインのほとんどが20世紀に作り出されてしまって、現代の作曲陣は相当苦労していると思う。
何もこれは邦楽だけに限ったことではなく、洋楽にも言えることだと思うね。
バンドでキーボードを担当している20代前半の知人は、'60s’70s’80sのPOPSは覚えやすくて忘れにくいと言ってるねぇ。
覚えやすくて歌いやすい歌が日本人にはウケるんだろう。
ポップス以前の演歌なんてのも単調だし。シンプルな音楽は嫌いではないが、「アーティスト」と呼ばれるほど創造性が感じられないのは確か。
厳密にはコード進行とは呼ばないらしいけど、日本人はクリシェも好きな気がする。
ついにこの話を出してきましたか。
王道進行については、作曲の学習時にこのコードの使い方を教えているらしいとの情報があり、この問題は意外と根深い可能性が有ります。
しかし、アップロード者も指摘している通り、王道進行自体には罪があるわけではないので、この点は間違えないようにしないと・・・
あとは、制作者側の意見を聞いてみたいですね。
25年位前に、とある作曲家(実は名前を忘れたが…おニャン子系だったような?)が
「売れ線ってのが有って、そのラインに沿って曲を作れば売れる」と言ってたが…
現在『売れ線』の言葉を聞かないし、最近の曲自体も聞かないからテッキリ死語→絶滅したと思っていたが…
『王道進行』と呼び名が変わって続いていた訳ですね。
ここは言葉に例えてみる。「私は海辺で一人 月を見上げている」「わたしひとり 波打ち際で月を見てる」「月を見上げる私 海の音がきこえる」この三つのシチュエーションは同じ、表意も殆ど同じであり、これが音楽で「同じコード進行を使用する」に相当する。一方、語順や言葉選びの違いが「メロディーの違い」に相当し、受ける印象の違いをもたらす。
現在のJ-POPは、ほぼ大衆音楽という言葉とイコールで結べる。そして大衆音楽に個性がないのは、おそらく聞き手が具体的なメッセージや思索機会の提供より、心地よいシチュエーション(≒心地よいコード進行)の提供を期待しているからではないか。むしろ、旋律に独自性があることを「間口を狭めるリスク」とさえ考える製作者は少なくないと思う。
つまりこの現象は、大衆音楽という状況定義、状況設定の限界性そのものが生んだ袋小路ではないかと思える。
コード依存、パクリという発想がよく分からない。
コード進行はいわゆる文書の定型文みたいなもので、12音階の決められた組み合わせの中から、安定した響きの進行が昔から好まれる傾向にあり、
長い音楽産業の中でも数多くの名曲を産み出してこれた貴重な要素の一つ。
意図的に似せて作った盗作ならともかく、メロディーの流れに無理なくハマればどんな進行だろうがあまり関係ない。
パクリだ何だと騒ぐのではなく、自分で作るなり、演奏したり、他のジャンルや演奏形態の音源を探せばいいし、楽しみ方は人それぞれ。
おいおい、動画閲覧回数を基準に記事書いててどうすんだよ。非専門家である大衆の多数決が記事の信憑性になるのかい? つまり、このJ-Cast記事自体はニコ動閲覧者の関心が高いということを伝えるものであっても、どの程度UP主の「”王道進行”説が正確で専門性を持ってるか」を保証してないわけじゃん。
それって、いつもJ-Castが言われてるように、単なる野次馬、モロにブロガー並み記事だよな。
大体、「音極道」って何様よww そんなに音を極めてんなら、ニコ動なんてショボイとこで憂さ晴らししてねえで日本”オリジナル”の自作コード進行で世界に打って出ればいいじゃん<J-popの実力の低さなんて、少し洋楽を聞いただけの素人にも判る話だし、わざわざコード進行なんて持ち出す迄も無いと思うけどね
せめてこの動画投稿(視点・主張)に対する音大出の演奏家、若しくは専門家の見解をつけて記事にしなきゃプロの仕事といえないんじゃねえか? とどのつまり、こんな匿名、自称音楽専門家の請売りでスカッとしてる連中同様、記事にしてる方も生産性が無えよな。
音楽業界の産業構造的な問題かと思いきや、作曲も手抜きしてたとはね。
それじゃあCDが売れないのは、消費者の問題だけとはいえないな。
ジャスラックやレコード会社は、結局「自分のせいじゃない」
「俺様の儲けを減らすな」って言ってるだけか。
努力しないで、産業構造だけで儲けばっか追及する業界が廃れるっていうのは、
自由主義市場経済の常識。
日本音楽も斜陽産業の仲間入りだな。
>8
貴方の意見は記事化基準の疑問など同意できる点も多いが、記事内容の検証・評価に関して「専門家」に頼ろうとするのは旧態依然であり、生産性が無いと思う。もし、彼ら権威保持者がJ-POPの現状を打開できるほどに素晴らしい音楽理論と作曲の方法論とをお持ちであるなら、理論や評論より、オリジナリティに溢れた名曲をばんばん作ってヒットさせることに忙しいだろうからだ。
また世界に打って出る、と言うだけならば簡単だが、いったいどういう方法があるのか?無名の新人が一曲二曲新しいものを作って世に問うたところで、それを受け取った既存のプロが新曲のアイデア(ネタ)に使っておしまい、というのが商業音楽業界の常識である。しかも大衆音楽市場は世界的に縮小の一途を辿っており、外部の人間を積極的に受け入れられるような「開かれた」状況にあるとはとても思えないが。
※8
「専門家の見解」とか言って、タダの権威主義者だなw
その「音大出」とかの基準は何処から出てきたんだw?
俺様基準かw?
しかも専門家の見解とやらが載ったとしても結局生産性は無い
指摘が的外れすぎる
そもそもJ-CASTがこんな話書くなよ。似ているとか気にしたってしょうがないよ、正直J-CASTがこんな記事書くなんてがっかりきた。あほやん。普通個人ブログで書くものなのでは?
そもそもニコ動閲覧者の規模基準に書くか?私でも書かない。
J-CAST大嫌い
まるでJポップだけの問題みたいに言ってるけどポップスなんて世界中そんなもんだぞ。
「誰もが気持ち良く聞こえる」新しい和声を作りえた作曲家なんてクラシックから数えても何人もいない。ポップスにそんなこと求めちゃいけない。皆が気持ちいいのがポップスなんだから。
新しい和声で曲を作るのは簡単でもそれを気持ち良いって思える人が少ないんだよ。
皆がモーツァルト、ビートルズに飽きて何も感じなくなる日が来るまでこのままだ。別に悪いことでもなんでもない。
こんな話は別に今に限ったことじゃないんじゃないかと。
やっぱり覚えやすいコード進行はある。FM-GM-Em-Am、CM-GM/B-Am-GM、CM-Bm-Em、Am-FM-GM-CM…。
それをどうアレンジししていくかは作曲者やアレンジャー、アーティストの力次第。
コード進行よりは、音圧に頼る曲作り、歌い手の没個性化、歌自体のステータス低下がヒットの生まれない理由なんじゃないかなと。
専門的な用語は忘れたが
音楽は完成してしまっているので似てくるのは仕方ない
無理に変えようとすると違和感しか感じなくなる
と音大出の知人に聞いたことがあるぞ
コード進行の新しさだけが楽曲の価値ではない。むしろ定番という様式美に価値を見いだす例は、音楽以外の芸術にいくらでもあるし、詩のフレーズなり、アレンジなり、楽曲全体に価値を見い出せるならそれでいい。
料理に例えると、定番として知られるコード進行はグルタミン酸やイノシン酸などの旨味成分であって、これを完全否定してはならない。但し、化学調味料を使うような旨味ありきの料理、あるいは露骨な旨味の強調は慎むべきだ。これが音極道氏の指摘の本質だろう。
J-POPの市場を支えているのは圧倒的に10~20代であって、彼らの多くが定番のコード進行に魅かれるのは変えられないし、変える必要もない。やがて、彼らが30~40代になって定番に飽き足らなくなればJ-POPを卒業するだろうが、その頃には新しい10~20代がJ-POP市場を支える。この繰り返しは今後も変わらない。
振り返ってみれば、商業音楽が単独で経済価値を持っていた期間はそれほど長い訳ではない。私見では、実質1960年代後半から1980年代前半までの僅か20年程だ。それ以前にも録音文化、エアチェック文化、演奏会の疑似体験ニーズ等に付随したビジネスはあったが、分断されていたし、規模も小さかった。
ビートルズに代表されるスターシステムや、放送+コンサート興行と連動したレコード産業の発明と急発展に、再生装置の普及・低価格化がシンクロし、音楽はコストパフォーマンスの良い娯楽として認知された。しかし放送サービスが行き渡って個人保有の意味が薄れたところに、ビデオの普及が決定打となり、大衆向けコンテンツとしては完全に脇役に押しやられた。
もともと音楽は、リスナーに「聞ける環境」を要求するところがある。自立した文化・産業として復活させるには、環境の再構築が必須だろう。
飽きられてるから売れないのにDL違法化とか言い出すから問題なんじゃねえの?
アニソンをランキングに入れずに紹介する番組が多いから、自分は売れていると勘違いする歌手が増えるんじゃない?
やれやれ、またココの恒例である言い掛かり、揚げ足取りが来たよ。
要するに、俺が問題にしてンのはこの「音極道」氏のツマンネエ自己顕示(と、それに追従する動画閲覧者の動向)を丸呑みした解説記事をJ-Cast記者が書いてる点に尽きる。音楽業界への提言じゃない(それと余談になるが、俺が書き込んだ時点でコメント欄は公開されていない。別段、先行の書き込みに対して云々する気はねえよ<「なるほど」と思う物もある)。
とりわけ専門家の必要性を指摘してるのも、既存権威にすがる、或いは現状打破を彼らにお願いする意味はない。取材手法を巡っての便宜的な言及の一つ。何故なら、自称専門家の主張を完全に理解してそれに沿った記事を書く「だけで」記事の客観性を担保とする事にならんからね。記事の関連付けとして、定石、手順を飛ばしてる事への指摘さ<それでは、王道進行・話題性ありきの記事にしかならない
つまり「非専門家の多数決による支持」が”自称専門家”――或いはコード進行なんてちょっと音楽かじってりゃ解る程度の技術論、その”権威”――に集中してる以上、何がどう正しいか、逆に正しくないかを事実関係として検証する事は一介の記者(及び、その正誤を判断できない読者)の手に余る。比較対照として裏づけが足りないと言う話。
何より、日本の人気バンドが洋楽のパクリを限りなく繰り返し、”出涸らしの三番煎じ”をやってるのは実感として解る。それを”王道進行”だの、サブイ命名で”音道”を極めた気になってるなら、「独創とはどういう物か、その知識を実力のない有名人の揚げ足取りに使うのではなく、ご自分の作品として世に問うて実証されては如何ですか」と、この匿名氏に向けて言っただけだろw
確かに俺の口ぶりが気に「イラネエ」つうのが多分にあるのは理解できる。でもまァ、文章表現としてはともかく、少なくとも俺は視点として、君らほど不正確な日本語を書いていない。にも拘らず、相手が問題にしていない点をとやかくあげつらうのは、議論上の作法をまるで知らないと言う事で、実に不毛。
じゃあなw
へぇ…単に機械で一定のリズム・音量でもってシャカシャカやってるだけだから同じに聞こえるのかと思ってた。
話は逸れるが、昔の歌謡曲といわれるモノは、歌詞カードが無くてもTV・ラジオ・有線などで聞こえるだけで歌詞が頭に入った。しかし、耳が病気ということではなく、10年ぐらい前からJ-POPの歌手の歌う歌詞がよく聞き取れない。近頃の小学生は、最近のアニメソングが難しいので、カラオケなどであまり歌わない(ドラえもんはわかりやすいが。)。復活したヤッターマンの歌を聴くと、これまたわかりやすい。
正直言って、近頃のJ-POPに歌詞(歌手)があることに意味があるのかと疑問に思っている。
コード進行をひねったPOPS…
それはもうPOPSと言えないんでないの?
>8
2ch的中身の無さがチト恥ずかしい典型的コメント。
もう少し大人になってからネットブラブラしたほうがいい。批判が批判になってないところが読んでいて痛々しい(笑)。素直になれ。友達出来んぞ(笑)。
>20
いや、それこそ「音極道」氏を非難する貴方の8のコメントこそ、記事の主題から外れていると思うのだが。何より、まず貴方が何やら幻想と戦っていないか?
知識など、みなそれぞれに偏って保有しているもの。貴方は「日本語の力」と言って他を非難しているが、自分が逸れにふさわしいことをどのように証明するつもりなのだろう。確かに貴方の文章はひとつひとつの収拾が適切であることは認めるし、また議題も統一されているが、文章ごとの論理のメカニズム、出所が見事にばらばらだ。統一された論理の元に主題を明確化し、主張を編み上げることも大事な「日本語の力」だと思うが、どうだろうか?
コード依存が似てるからって、、。グルーブが全くないリズムや最近のシンガーの歌い方(殆どの女の子の歌い方は一緒)も大きな原因だと思うよ。正直j-popという物はいつの頃からか芸術性は排除されてしまった。音楽が好きなやつにとってビジュアルは音の後であって先にビジュアルを先行させてる今の音楽業界はもう終わったと言える。
ぶっちゃけレコード会社の人間は音楽理論に関しては無知。 アーティストが王道の行動進行からはずれた曲を提出しようものなら「マニアックだからダメ」の一言でアーティストは王道なコード進行、リズム、歌い方に直される。こんなんじゃ良いミュージシャンは育たないよ。そんでもって売れなきゃ使い捨てだ。まだまだ書きたい事はあるけどこの辺にしておきます。。
>20=8
まあ落ち着け。
おまえが書いてるように、あの動画の内容は「ちょっと音楽かじってりゃ解る程度の技術論」なんだから、今さら専門家の裏付けなんていらないとJ-CASTが判断したんじゃないの?
勘違いしてるようだが、あの動画は「自己顕示」というより問題提起も含めたチュートリアルなんだから、あれでいいと思うぞ。音楽かじってない奴には結構いい教材だわ。
「ご自分の作品として世に問うて実証されては如何ですか」ってのもおかしいぞ。音極道がそういう努力してないって「裏付け」あって言ってんのか?あれだけアーティストの実名出して批判めいたこと言ってんだから、匿名なのは仕方ないだろ。
「少なくとも俺は視点として、君らほど不正確な日本語を書いていない」って、感情に任せて書くからこんな変な日本語書くんだよ。
Perfumeが東方神起と曲似たのもこのせいか
演歌の世界で行われていたという「いいかげんな作曲」の話を何となく思い出しますね。セオリー通りに作れば何とかカッコがつく、という。「演歌チャンチャカチャン」なんてのもありましたね。音楽にノルマみたいなものを課すというか、「収益性追求の音楽」という発想があるんだとすればそれがそもそも間違いの元のように思いますが。
コード進行が似ている、といえばそれをネタにパフォーマンスをしていた「ピアニスター」ヒロシさんとか故・宮川泰さんみたいな人もいますね。
コード進行やメロディの限界については多くの方がすでに指摘
されているように言い古されているので別の観点から。
私は今のJ-POPと呼ばれる類のファンではないのだが、だからといって洋楽のパクリ云々の話が出てくると違和感を覚える。なぜかというと日本の歌謡曲は洋楽の影響は当然受けているものの、ドメスティックな市場と民族性の違いゆえに米国原産のいわゆる洋楽とは別の発展をすでに遂げてしまっているから。むしろ私などは最近の邦楽がほとんど洋楽の主流や最先端とリンクしていないことに驚きを感じる。
上位的価値観が洋楽にあるのではなく民謡土台の「歌謡曲」がジャズやロックやヒップホップをも飲み込んでしまったという図式、つまり邦楽の価値観の方が高いところに日本文化の何でも受け入れてしまうブラックホール的な凄みや怖さ。
全米ナンバーワンヒットならマニアでなくても知っていた時代があった。今はどうだろう。
>25氏
当方商業用の曲作りの現場までは知らないのだが、実際のアウトプットを見る限り、決定権のあるレコード会社の人間が音楽に無知、というのは大いにありうることだと前から感じている。少なくとも、芸術性という視点に欠けているのは間違いないだろう。
>29氏
日本独自の楽曲の発展があるという点は同意する。ただ、それを「歌謡曲」のコンテクストに飲み込んでいくという切り口で見てしまうと、やはり音楽の内容としては定番的なものに集約されてしまうので、創造性という点でもう少しアドバンスな流れを期待してしまう。
個人的には、ここ数年はゲーム音楽に新しいものが見つかることが多いという印象があり、また売れ行きもまずまずだと聞く。やはり、音楽は創造的な現場にいて創るべきものなのかもしれない。
Jカスの2ch依存、ニコニコ依存もかなりのものがある
普通の曲では、
-----------------
外国ウンタンウンタン
楽曲ドンタンドンタン
日本ドーーンドーーン
-----------------
外人の半分しかリズムを感じてない。ユーロビートでは、
-----------------
外国ウンタンウンタン
楽曲ドンドンドンドン
日本ドンドンドンドン
-----------------
4つ打ちってのは、日本人でも外人と同じテンポを感じられる。
偶々初めてノれた洋楽がユーロだったから、ユーロで頻繁に使われるコード進行にも好感を持った。
リズムの取り方の違いは、言語や文化に依存してるんだけど割愛。
>ネオ匿名くん氏
定番的なものに集約されていくというのはその通りだが、これは氏も>>17で書いておられるように日本国内に限った話ではないという現実に個人的には諦めにも近い心境になっている。
レコード産業というものが20世紀のさらに一部分だけで栄えたという氏の指摘は意外に見落とされがちな視点だと思う。
音楽という娯楽は原始時代からあったはずだが産業として繁栄していたのはエジソン以降、録音媒体の普及と低価格化に反比例して先進国の若者が豊かになり、ティーンという概念が出来た50年代後半からCDバブル末期の90年代中頃までの40年間、と私ならば規定したい。そのピークを記録したのが氏の60年代~80年代という説なのだろう。
たったの40年しか共通認識を保てなかった文化ということを考えれば、その袋小路に幻滅する必要もないのではないか。先祖返りの伝統芸能化する過程が定番化なのかもしれない。
コードが同じでもメロディライン、歌詞が全く同じじゃなきゃパクリって言わなくね?
コード似てる曲って沢山あるし。コード似ててパクリ扱いされるなら曲が作れない。色んな曲のコード覚えて、似ないようにしなきゃ。
32さん
の言ってる事はよく分かります。私はベーシストで海外、主にイギリス、アメリカで演奏させていただいてます。しかし外人(何人を言ってるのか分かりませんが、ここでは白人、黒人としておきましょう)でもリズムがドーーン、ドーーンって取る人はよくいます。逆に日本人でも細かいリズムを取ってる人も沢山います。貴方の言っている事は一概には言えません。日本人でもファンクをやらせたら黒人に匹敵する人を何人も見てきています。少なくとも昔の日本の歌謡曲ミュージシャンにはそういった技術のある人たちはいました。今のようにコンピューターで録音したデータを綺麗に直すといった事が出来なかった時代、ミュージシャンはれっきとした職人でした。しかし今はいくらでもコンピューターで修正が可能です。そこも問題ですよね。
30氏
レコード会社の人間は大学でセールスを学んできたビジネスマンであって音楽に無知なのは当然ですよね。
人が作品の良し悪しを感じるのに「権威」が重要な役割を果たすと思う。
ある種のセオリーのようなものが判断の基準となるでしょう。
とくに頑ななのがクラシックの世界で名作曲家の名曲を、名指揮者が指揮する名オーケストラの演奏を最高だと信じるもう宗教みたい。
創造性とか芸術性とかとまったく正反対。
曲を作る人間も自分は良い曲を作っていると信じていなければやってられない。
ある種のセオリーを信じていないと不安になってしまう。
そうやって作られた自信作を集めたお金で宣伝して売り出す。
お金を出すほうもセオリーがあれば安心。
ランキングやタイアップなどの権威で聴くほうも良い曲だと感じている自分に自身を持てる。
音楽が好きな人は不安に耐えて自分の好きなように楽しんだらいいと思う。
流行の歌が似たように聴こえるのは、自分が歳をとったせいだと思って楽しんで聴きます。
流行りの曲が似てきてしまうのは、アレンジャーの力量不足、あるいは聞き手をナメてる可能性もありますよね。
元来、ビギナー向けであるJーPOPで複雑なコード進行や難解なアレンジを多用すればリスナーはついて来れません。
若年層の音楽におけるレベルが向上しているにも関わらず、アレンジャーが旧態依然とした曲作りをしていれば、飽きられて当然でしょう。
>36
私は確たる理由も無くカラヤンの演奏を嫌っておりましたが、後に聴いたアダージェットは「スゴい」と思わせる名演でしたよ。
名指揮者と言われる人達は、それに値するだけの曲の解釈をもっています。そして、名オーケストラはその指揮者の要求に完璧に応えられる力量を持っています。
当然、個人で「好み」がありますから、同じ曲を聴き比べて判断しなくてはなりませんが、指揮者の「クセ」と個人の「好み」が一致した場合、その指揮者の演奏に傾倒するのは仕方のないことでしょう。
コード(和音)依存で曲作ったって問題はないんだよ。コード進行決めて、そこからメロディー作る。その際に和音のどういう音をメロディーラインに入れて和声感を浮遊させるかとかいう作業もやる人はやっている(坂本龍一はそういう手法を使っている。もちろん全部じゃないけど)。しかし、メロディーと一緒に和音が出てくるもんだし和音が響けば、ある程度アレンジが決まってしまう。作曲と編曲は実は別々じゃないんだよね。
「コード進行がそっくり」という点については、演歌などもっと極端で、ふたつの演歌を同じテンポで同時に歌うと、2重唱で歌うために最初から作曲してあったかのようにキレイにハモるものもあります。
ところが、そんな2曲でも別々に聴くとそこまで似ているとは思いません。それは、歌い手の歌い方の違いや伴奏の飾り付け方の違い、そして歌詞の違いなどのためです。
JPOPが似通って聞こえるのは、技術が未熟だからではなく、そういうふうにアレンジしているからです。思うにその原因は、真面目に市場調査をし過ぎているから。一番の売れ筋に皆が群がっているから。
統計調査せいで、スーパーの食品売り場は違うメーカーの同じ味の製品ばかりになったのと同じ。みんな生活がかかってますから。
ただ、たまには売れそうにないことを前提に実験作に予算をつけるくらいは、やって欲しいで
コード進行について、もう一点書くと、実は、過去50年くらいでも、ポピュラーミュージックのコード進行の技術は結構進歩していて、決して変わっていないわけでもないです。
さらに古い作品を調べると、「時代を先取りしていたが当時は相手にされなかった」というものが、やっぱりあったりします。
とどのつまり、聞き手の側が聞きたいと思わないなら、どんなに画期的で斬新な曲も雑音でしかないのですから、聞き手の耳が変わらない限り、音楽は今のままかわりません。
そして聞き手の耳が変わるのには、最低でも10年単位の時間の流れが必要だと思うのです。一部の物好きだけが受け入れるちょっと変な曲が、そこらへんの普通のものになるまでには、それくらいかかるはず。
一方、大量生産&大量消費の現代、1曲作って10年歌い続けるわけにはいかないので、よく似た曲を120曲作って、月替わりで歌うようなことになっちゃうんですよね・・
>36 うるむさん
少なくとも、実際に音楽活動をやっている人なら(かりに素人集団のオーケストラの人でも)、ただ有名な作曲家の作品だから、とか、有名な指揮者の指揮だからと言う理由で、特定の曲や演奏をあがめたりはしないですよ。
本文だけ見ると、みんながパクリだって糾弾してるのはコード
進行が同じなだけだから煩く言うなって事だと思ったけど動画
見ると違うのかな?
それはそうとネタには限界があるのだから、今後著作権の問題
が深刻になると思う。
他の楽曲と同じでないか調べるのはかなりの労力だろうな。
発表されているJ-POP楽曲がほぼ全て同じコード進行を取っているということではなく、流行りの楽曲が大体同じコード進行のものになってしまっている、ということなのではないかと。
無償な芸術活動ではなく、売ることを考えると、流行に繋がる布陣を採るのは仕方がないことだと思います。
自分が普段音楽を聴く時は、歌詞やメロディラインしか気にせず、コード進行はあくまで添え物というか、そんなマニアックな事項は気にしないですね。
物語が起・承・転・結というプロット通りで安直だとか、文字数が5・7・5で統一しているので俳句はみんなパクリだとかは言い過ぎですね。歌詞の途中になぜか英語とかも、誰かのパクリなのかな?
東方アレンジとかばかり聞いていると原作曲者は偉大だが、アレンジャーもよくやるなあ、と思います。見方を変えればパクリの集合体なんだけど。
音楽は楽しむものなので、聴いた人が楽しければよい。
私は心に伝わり、感じ、残る曲が好きだ。
曲、歌は弾き手歌い手の心がある芸術と思う。
残念ながらJPOPは聴いてて何も心に残らない。
心のない(あっても伝わらない)ただ音を並べただけで、何のために存在するのか分からないものが多過ぎる。
とにかく音をだして言葉を発して露出して稼ぐというビジネスにシフトし過ぎた感がある。
日本の音楽界は今日明日の飯を食うことしか考えない人しかいなくなってしまたのかな。
3コードのブルースなんて、昔から普通にある。コード進行が同じでも盗作にならないなんて常識以前の話。
音のパクリについては色々な考え方があるんですね。
ここ読んで初めて知りました。
それに比べて歌詞のパクリはわかりやすいですね。
YUKIのパクり方はひどすぎます。
コード進行云々以前に、曲書いてもうけようという音楽の商用利用が目立ち、コンポーザーのオリジナリティーが低いし向上心もありません。(一般的な傾向)
まあメロディが似てるっていうのも一つの要因かもしれないけど、それ以上に歌詞がとってつけたようなありふれた男女の恋愛歌詞ばかりでしょ。お前が好きで守りたい~みたいなのばっかり。後は歌って気持ちのいい語呂合わせに、サビは横文字でって感じで、本当に歌詞まで考えて胸に響く歌を書ける人なんて極々一握り。そういうただ快楽的に終始する歌はまあ10代のうちはいいけど、そのうち飽きて買わなくなるよね。
このコメ欄のコメントも似通っているよな
敵がいないと成り立たない批判コメしかないからか?