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山崎行太郎の政治=哲学=文学ブログ『毒蛇山荘日記2』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『ネット右翼亡国論』『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、➡︎yamazaki4669@yahoo.co.jp

「治安維持法」と「ヘイトスピーチ規制法」

治安維持法」と「ヘイトスピーチ規制法」。「地獄への道は善意の敷石で敷き詰められている」と言われる。なるほどと思う。「善意」とか「正義」、あるいは「ヒューマニズム」というものは怖いものなのなのだ。たとえば、ヒューマニズムとは、人間性の尊重、保護、あるいは回復・・・というほどの意味があるのかもしれない。それだけ聞けば、間違いなく立派な思想であり、誰も反対しないだろう。しかし、ひとたび、人間性の保護や回復が認められ、無条件に肯定されると、その先に何があるのか。人間性の保護や回復の名の下に、弾圧や暴力、虐殺も肯定されるということになる。アサド政権下のシリア情勢は、「イスラム国」などの動向と絡んで、複雑怪奇になっている。そこで、ヒューマニズムや善意や正義は、いったい、どういう意味を持つのか。持たないのか。