「治安維持法」と「ヘイトスピーチ規制法」。「地獄への道は善意の敷石で敷き詰められている」と言われる。なるほどと思う。「善意」とか「正義」、あるいは「ヒューマニズム」というものは怖いものなのなのだ。たとえば、ヒューマニズムとは、人間性の尊重、保護、あるいは回復・・・というほどの意味があるのかもしれない。それだけ聞けば、間違いなく立派な思想であり、誰も反対しないだろう。しかし、ひとたび、人間性の保護や回復が認められ、無条件に肯定されると、その先に何があるのか。人間性の保護や回復の名の下に、弾圧や暴力、虐殺も肯定されるということになる。アサド政権下のシリア情勢は、「イスラム国」などの動向と絡んで、複雑怪奇になっている。そこで、ヒューマニズムや善意や正義は、いったい、どういう意味を持つのか。持たないのか。