ポリティコへの寄稿記事の中で、フィードラー氏は次のように書いている。
〈 ゲーリー・ハートは数週間にわたって公の場で不倫疑惑を全面否定していた。そんな状況下でわれわれは不倫現場を目撃した。つまり彼は明らかにウソをついていたのだ。これがニュースでないとしたら何がニュースになるのか?(中略)われわれは「取るに足らない」と結論して取材をやめ、次の飛行機でマイアミへ帰るべきだったのか? 〉
ハート氏は「女たらし」というよりは「偽善者」であり、人格の面で問題を抱えているから、このことについては有権者に伝えるべき――フィードラー氏はこのように判断したのだ。
経営学者ドラッカーが「リーダー」に求める資質とは
言うまでもなく、有権者は投票前に候補者について十分な情報を提供されるべきであり、この点でメディアは重要な役割を果たしている。ただし、有権者によって求めている情報は千差万別だ。次もフィードラー氏の記事からの引用だ。
〈 候補者の政策を重視し、候補者の信条や行動に無関心の有権者がいる一方で、候補者がどんな人物であるのか、つまり人格を重視する有権者も大勢いる。(中略)候補者の人格を示す情報をあえて伏せるジャーナリストがいるとしたら、不作為の罪を犯しているに等しい。〉
米国大統領と同様に、東京都知事もリーダーであり、リーダーとしてふさわしい資質が求められる。
生前の米経営学者ピーター・ドラッカー氏にリーダー論を聞くと、必ず出てくるキーワードがあった。「人格(character)」だ。大著『マネジメント』の中で同氏は「リーダーが指導力を発揮し、部下に対して模範を示すためには何が必要か。人格である」と断じている。
週刊文春は7月28日号で、10年以上前に鳥越氏が当時20歳の女子大生を別荘に連れて行って強引にキスし、ラブホテルにも誘ったという内容の記事を載せている。証言している人物は女性本人ではなく夫であり、しかも匿名である。これでは第三者による検証が不可能であり、どこまで発言を信用していいのか判断できない。
鳥越氏側は女性スキャンダル疑惑について「事実無根」として文春編集部に抗議文を送ると同時に、名誉棄損と公職選挙法違反の疑いで東京地検に刑事告訴。各種報道によると、同氏自身は街頭演説後に記者団に取り囲まれると、「別荘に行ったかどうか」「女性に心当たりがあるかどうか」といった基本的質問に対しても「弁護士に一任」を理由に返答しなかった。
たとえ20歳の女性とキスしたのは事実でも、それだけで都知事選を撤退させられるのはおかしいという見方もある。だが、ハート氏は29歳のモデルとキスしている場面を目撃されたわけでもないのに大統領選から撤退した。
ここで重要なのはキスしたかどうかではなく、ウソがあるかどうかである。焦点は「人格」なのだ。
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