自己啓発本はおじさんの自己正当化装置である

Twitterで拡散されたらブログに書くというフローなのですが。

私は小説を読むのが好きなので、よく本屋に行くのだけど、文芸の棚はどんどん小さくなっている。かわりに本棚に並ぶのが、自己啓発本の類である。ニーズがあるから売っているのだろうし、なくなれ! とは言わないけど、ちょっと多すぎないか、どういう人が買っているのだろう、と思う。小さい本屋は特に旬の自己啓発本ばかりだったりして、街の本屋に貢献したいと思いつつも、これならAmazonで買ったほうが余計な本を目にしないで済むなと感じてしまう。

特に最近は若者向けの自己啓発本が目につく。社会人ならこうあるべし~、一流のビジネスマンはこうであれ~、みたいな。著者を見ても、なんの実績があるのかよく分からない人だったり、この人からわざわざ学ぶことはないのでは? という感じの人だったり。中には、同世代にはもう相手にされないから、若者からの搾取にシフトしているのではないか、という人もいる。就活だなんだと、社会に不安を抱く若者が、そういう人に騙されてしまうのは悲しいことだ。

なんでこんな本ばかり並ぶのだろうと考えて気付いたのは、面倒なので結論から言うと、自己啓発本ってけっきょくおじさんが自己正当化するためにあるよな、ということだ。俺たちはこうやって成功した、俺たちは正しい、俺たちの言うことを聞け、俺たちのようになれ。大半のおじさんは、残念ながら、自分たちが間違ってたとか、自分たちのやり方が時代に合わなくなっているとか、そういうことを言わない。おじさんは、おじさんは正しいという「おじさん教」を、自己啓発本を通じて若者に流布しようとしている。

言いたいのはそれだけなのだけど、せっかくなので反論として、おじさんの言うことは聞かなくてもいいよという理由を三つ挙げておく。

まず、おじさんの成功は過去の体験であり、時代はどんどん移り変わっている。例えばiPhoneが日本で発売されたのはほんの8年前のことだけど、それからIT業界はすっかり変わってしまった。「iPhone以前の知識も役に立つじゃないか。昔はテレホタイムってのがあってな」みたいな昔話は面白いのだけど、実際に世の中で求められているのは「スマホネイティブはどう考えるか」という今の話だったりする。おじさんが何を言っても、「それ今の時代で通用しますか」という見方はいつも備えているといい。

また、はっきり言ってしまえば、日本は今も「失われた二十年」をつっ走っているのであって、総体としておじさんは成功していない。局所的には起業で成功したおじさんとか、なにか仕事を成したおじさんもいるのだろうけど、社会に口出しできるほど良い影響を残したおじさんがどれだけいるだろうか。だから、おじさんが自身の仕事について成功体験を語るのは良いとしても、世の中論にまで口を出しはじめたら、「でも世の中って実際良くなってないですよね」と言いたい。

そして、もし、おじさんの言うことがそれらしく思ったとしても、そういう考え方をするおじさんというのもう沢山いるのであって、若い人がわざわざもう一人のおじさんになる必要はない。おじさん化したい若い人には皮肉なことだけど、若い人は若い人であるままのほうが、ずっと価値があったりする。たとえば英語はできたほうがいいだろうし、パワポの資料は綺麗に作れたほうがいいだろうし、コミュ力はあったほうがいいのだろうけど、おじさん的な思考法や仕事術を学ぶことがおじさんとの同質化を招くのであれば、それは避けたほうがいい。

一応フォローしておくと、世の中には優れたおじさんもいるはずで、自分はそういう人に出会ったのだ、だからその人の言うことを聞くのだ、というのであれば、それは良かったですね、と答えておく。でも、個人的な経験で言えば、そういう人は残念ながらすごく少ない。

具体的にどういう自己啓発本がだめで、どの著者を敵視しているのか明確にしなかったので、もやっとした文章になったけど、まあそんなところです。

あと、お前もおじさんではないのか、おじさんが「おじさんの言うことを聞くな」と言ったときに何が起きるのか、と思った人は、私の尊敬するレイモンド・スマリヤンの論理パズル本「この本の名は?」などを読むと良いと思う。そういえば「論理的思考」をやたらと持ち上げるのも最近の自己啓発本の流行っぽい。「論理的」じゃなくて、論理を学べばいいのに。

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