テロ、「不公正な」貿易協定、そして、移民問題。これらが米大統領選の議論の主要テーマで、外交政策にかかわる問題はほとんどない。だが、これまで取り上げられていない外交問題が浮かび上がる可能性がある。それはベネズエラだ。ベネズエラは長い間「眠れる犬」だった。周辺国はうるさ型のベネズエラが眠っていてくれたほうがありがたい。だが、それはもうあまり長くは続かないかもしれない。ベネズエラの複合的な危機が国際問題化しつつあるからだ。
今月、ベルリンの壁の崩壊をほうふつとさせる光景が見られた。15万人以上のベネズエラ国民が国内で手に入らない食料や薬などの生活必需品を求めて、それまで閉鎖されていたコロンビアとの国境を通過したのだ。難民申請を希望するベネズエラ人の数は急増した。5月時点の米国への難民申請者数は昨年同時期の2倍となった。ブラジルとガイアナも食料を求めるベネズエラからの難民を国外退去させているという。
一方で、ベネズエラではマラリアが再発生している。同国は1961年に人口密集地域からマラリアを世界で初めて根絶した国となったが、それ以来のことだ。他の疾病も発生する可能性があり、公衆衛生の管理が脅かされている。また、同国は違法薬物の密輸で、北は米国、東はブラジルやアフリカ、そしてその先の欧州への中継点にもなっている。
ベネズエラは批判されると、その問題の存在を否定するか、他に責任を転嫁するのが常だ。潘基文(バン・キムン)国連事務総長は今月、「政情不安定」が原因で同国で頭をもたげている「人道危機」について「非常に懸念している」と述べた。これに対しベネズエラ国連大使は、潘氏の表現を「奇妙だ」と述べ、潘氏の情報の出所に疑問を呈した。つい最近では、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの3国は、ベネズエラが「メルコスル(南米南部共同市場)」の持ち回り議長国へ就任することを阻んだ。ブラジル外相は「ベネズエラは自国の面倒さえみきれていない」と述べている。これに対し、ベネズエラのマドゥロ大統領は、メルコスルは「右派の暴徒」に乗っ取られたと、同氏ならではの反応を示した。
ベネズエラは新政権を樹立する必要があり、それは2018年の議会選挙の前でなければならない。幸い、迅速な政権移行を可能にする憲法上の手続きで、大統領の罷免の是非を問う国民投票を実施することができる。マドゥロ氏は当然、自身が追放されかねないため、この野党主導の動きに抵抗している。同氏の管理下にある政府当局がその手続きを止めてはいるものの、完全に中止されたわけではない。このことは、同氏が支持基盤だと主張するチャビスタ(チャベス前大統領の支持者)の間でさえも同氏が支持を失っていることを裏付けている。7月の世論調査では、チャビスタの7%しか同氏の再選を望んでいないという結果が出ている。
こうした状況でマドゥロ大統領の退任は避けられない。国民のほとんど誰もが同氏が去ることを願っている。大きな問題はそれをどう実現するかだ。来年1月10日までに国民投票が行われれば、改めて議会選挙が実施されるだろう。それは野党と南半球の有力な国々が望んでいることだ。国民投票がそれ以降になれば、マドゥロ政権の副大統領が残る任期を全うすることになる。新しい展開があれば、もっと早い段階で変化を引き起こす可能性もある。
野党は9月1日に大規模集会を開く予定だ。これまでどおりなら、どちらの陣営からもならず者らの勢力がデモ行進を混乱に陥れることが考えられる。陸軍や国家警備隊が秩序回復のために市民に向けて発砲することはあるだろうか。それはあり得る。そして、もしそうなれば、国際社会はどう反応するだろうか。
カラカスで流血の事態があれば、米大統領選の議論の内容も変わる可能性がある。さらに重要なのは、中南米諸国が積極的に対応することだ。野党と政権側の話し合いを仲立ちしようとしている南米諸国連合(UNASUR)が有力な役割を担おう。ただ、UNASURがベネズエラにさらに深く関わることになれば、これは非常に皮肉なことだ。マドゥロ氏が師と仰ぐチャベス氏は、12年前にUNASURの共同創設者となった際、同連合を南米における「蛮行に立ち向かう甲冑(かっちゅう)」だと宣言した。国際社会がベネズエラの悲惨な状況を救う手助けができなければ、この言葉はチャベス氏の言葉の中で一番真実に近い言葉となるだろう。
(2016年8月19日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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