このアルバムをみなさんのお手元に届けることができるまで、いくつか大きな山を越えなくてはなりません。物理的な問題もあります。
しかし、今は、音を紡ぎ出していることが、幸せなのです。
その中でも、いちばんの難関は選曲です。
同じ温度の楽曲が並びますように。
膨大なコメントに、みなさん、スクロールするのが大変なようなので、新しいページを作ってみました。
今日も、明日も、ありがとう。
このアルバムをみなさんのお手元に届けることができるまで、いくつか大きな山を越えなくてはなりません。物理的な問題もあります。
しかし、今は、音を紡ぎ出していることが、幸せなのです。
その中でも、いちばんの難関は選曲です。
同じ温度の楽曲が並びますように。
膨大なコメントに、みなさん、スクロールするのが大変なようなので、新しいページを作ってみました。
今日も、明日も、ありがとう。
僕の歌
僕は未だに何を歌えば良いのか分からずに歌っている
どう歌えば良いのかさえも分からない
ただひとつ
魂で表現するということを除いては
僕の恋の歌を聴いてくれてありがとう
僕の情けなさに共感してくれてありがとう
僕のカオスを理解してくれてありがとう
僕の未来を受け止めてくれてありがとう
僕の悲しみを分け合ってくれてありがとう
僕の勇気に目を潤ませてくれてありがとう
僕の愛に愛で答えてくれてありがとう
僕が僕であれるのは
みんなのおかげだ
歌を作るということは
女性のお産のようなものだろう
もうこんな大変な思いはしたくないと思いながら
時間が経つと忘れたように文字に向かっている
僕の歌は
大きな告白の欠片だ
皆さんへ
私は覚せい剤で逮捕され、2年前に刑事裁判で判決を宣告されました。
その頃の私は、「やはり私ではなかった」と、今、思えています。
壮絶な盗聴盗撮に悩まされ「何としても犯人を突き止めたい。」その一心で、ひとりもがき苦しんでいました。毎晩寝ずにネットに張り付き、睡魔に襲われながら見えない敵に向かっていました。そのような時間の中で、自分の精神は摩耗して行き、やがて音楽活動にも支障を来しました。結局、暗黒の扉を開けてしまったわけです。そのドアには鍵がなく、いつでも直ぐに戻って来られるため、安心して向こうとこちらを行き来するようになりました。純白は、一滴でも他色が混ざると、二度と白には戻れません。それでも、できる限り白に近い色でいようとする心、そして、染まってしまった心の諦め。このふたつを懸命に使い分けていました。幾度も思いました。あの一滴さえなければと。そして、それは神様が存在を現すかのように、白日の下に晒される結果となってしまいました。
私は、今年1月に「700番」というブログをネットで発信しました。しかし、その行為により、私の盗聴盗撮犯に対する言動を問題視した周りから、保護入院という世間から隔絶された世界での生活を余儀なくされました。過酷な4ヶ月間でした。「700番」では、冒頭謝罪の言葉を述べさせて頂きましたが、私の盗聴盗撮犯に対する言動など、その内容は過激過ぎたようです。あまりにも具体的すぎて、私が病気であるとの疑いをもたせる原因になってしまったのだと受け止めています。
当時の私は、盗聴盗撮の事実を周りに信じもらおうと必死でした。追い込められていたのだと思います。それを見ていた周りの、私にとった行動は、至極尤もだったと言えます。
入院してしばらくして、私が病気ではないと確信した弁護士等の手によって、病院を退院することができました。しかし、医療上のルールにより、直ぐには解放とはならず、任意入院という形で九州の病院に転院し、1ヶ月後の6月15日に、やっと退院することができました。
その間、新たな人との出会いもあり、自分のことを信じてくれた弁護士、医師、知人などが心の支えとなり、平常心を保つことができました。私を待ってくれている方たちが居ることを知れたのは、何より励みとなりました。音楽への情熱の灯火を失わなかったのは、本当に、みなさんのお陰です。
私は、退院後、忘れかけていた自由を取り戻しながら、今後、降りかかってくるであろう現実に目を凝らしていました。
失われた5ヶ月間、世間では私が病気で精神病院に入れられことだけが、広がっているだろうと考えていました。「700番 第2巻」の公開に、精力を傾けていましたが、まずは、私が元気であることを皆さんにお伝えすることが第一だと考えました。それにより、活動に於いての危険が伴うのも承知でした。突然のブログです。私に対する批判や糾弾で炎上する可能性も十分予想した上での公開でした。
公開後、いちばんの懸念は、また何者かによってブログが削除されるのではないかということでした。目立たぬよう、ひっそりと始めました。気づいてくれた方たちの伝達力に委ねようと思ったのです。1ヶ月間で10万アクセスくらいあれば、喜びとしようと考えていたのですが、みなさん、そして思わぬメディアの協力を得、850万アクセスとなりました。膨大なアクセスの中、ブログが荒れることがなかったのは、ひとえに皆さんの温かいコメント、そして私に向けていただいた未来力が、この場所に生気をもたらしたのだと、今、振り返っています。自分の中のみなぎるエネルギーが、毎日、毎日蓄積されていきました。心より感謝いたします。
私は、九州の病院に転院してから自由を取り戻し、新しくいろいろな人と出会いました。
また弁護士とも、これまでのことをじっくり話す機会に恵まれました。
1月のブログを発信した頃よりも、周りが見えるようになっています。
今回のブログでは、盗聴盗撮集団への敵対心を持たない投げかけ、専門家によるセキュリティへの指示により、パソコンや携帯電話への不正なアクセスは、一切なくなりました。音楽という仕事を邪魔されないのであれば、盗聴盗撮集団については、もうどうでもよくなってきました。
私はこのブログで、私が元気であることの証明が成されたと思っています。
九州の病院へは毎月通っております、退院後のルールということなので、仕方ありません。医師とは何気ない話をしております。これも縁だと感じられる繋がりが持てました。マスコミ対策までしてくださっています。
最後に、「700番」では、みなさんへの謝罪を書きましたが、このブログの最終日は、もう一度ちゃんと謝罪をさせていただこうと、最初から決めておりました。まずは、ブログをとおして元気な姿をお見せし、病気ではないことをご確認いただき、そして、その上での謝罪。このプロセスを踏むことにより、私の声を感じていただける謝罪になるのではないかと考えました。今日を迎えるこの日まで、私の脳天気さにイライラさせてしまったみなさんには、本当に、申しわけありませんでした。
このブログは、今日で1ヶ月目を迎えました。ブログをやって本当に良かったと思っています。私に全てを託し、静観してくれたスタッフにも、感謝いたします。
私は、このブログに於いて、みなさんの厳しい意見も、温かい意見も、すべて拝読させて頂きました。その中に、私の事件により、お母様がうつ病になられたという方(makkochinさん)、重い病気を患いCHAGE&ASKAを励みに療養していると言ってくださった方(じゅんさん、narinariさん)、お兄さんが私と同じ過ちを犯して、亡くなったと言われた方(ミナミさん)、家族が離散して独りぼっちのときにCHAGE&ASKAを励みに頑張ったと言ってくださった方(未来さん)、お父様の他界と私の逮捕が重なって二重のショックを受けられた方(アグネスの妹さん)、その他コメントで私を励ましてくれた、たくさんの方々、そしてサイレントマジョリティの方々、私の犯した間違いで多くの方たちの心を深く傷つけてしまいました。
繰り返し、本当に申し訳ありませんでした。
深く、謝罪をさせていただきます。
傷つけてしまった多くのみなさんとの間にできてしまった綻びは、今後の音楽人生で、ひとつ、ひとつ丁寧に繕わせて頂きたい所存です。
すべての方たちへ。
私は、アーティストという社会に影響力のある立場でありながら、社会で許されない過ちを犯したことを、深く、深く反省しております。
そして、二度とこのような過ちを繰り返さないことを誓います。
私は、これまでたくさんの方に支えられてきました。音楽活動でも本当にたくさんの方たちに支えられて来ました。家族も相棒も、今の私があるのも、みなさんが居てくれたからこそだと思っています。ありがとうございます。そして、申し訳ありませんでした。
この気持ちは、これからも私の心の芯に、そして変色させずに抱きつづけます。ずっと、変わることはありません。
私はアーティストとして、心底から音楽に向き合うつもりです。
覚せい剤犯罪の再犯率は高いと言われていますが、私は再犯のないグループの先頭に立ち、音楽をとおして社会に貢献しなければならないと考えています。
執行猶予中の者が復帰すべきではないという意見があります。しかし、私は、私と同じような境遇に立たされた執行猶予中の人たちが、明日を見いだして、生きる希望を見つけることができているように、私は、自分の天職として歌を生み出して行こうと思っています。
いっそうの努力が試されるでしょう。
明日より、心の中で膨らむようにできた未来地図を大きく広げ、声を、音を走らせるための準備に入らせて頂こうと思っています。
以上を公式なコメントとさせて頂きます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
P.S.
たくさんのみなさんから、ブログをつづけてくれとの、コメントを頂きました。ありがとうございます。
当分の間、レコーディングに集中いたしますので、頻繁な更新はお約束できませんが、
報告ごとや、お伝えしたいできごと、そして寂しくなった時には、ここに向かわせて頂こうと思っています。いつか、従来のオフィシャルに引っ越しするケースも予想されますので、その際には、報告させてください。ありがとうございました。
昔から、僕のことを知ってくれているみなさんには、お馴染みの話なのですが、僕の胸の中に、何度も焼き直さなくてはならない場面ですので、もう一度、この話をさせてください。
日本で行われた、ポール・マッカートニーのライブが終わった夜、ポールから、パーティに誘われたんです。その時、僕は、業界人が何百人も集まる中を、ポールが軽い挨拶をしながら、通り過ぎて行く程度のものだと感じたのですが、誘ってくれているのは、あの、ポール・マッカートニーです。僕は「光栄です」と、伝えました。
そこは、ホテルの一室でした。パーティの規模がわかりません。このドアの向こうに、どれだけの人が集まっているのだろうと考えていました。ノックをしました。ドアが開いたら、そこにポールが立っていました。
「ハイ!ASKA! 入んなよ。」
ポールの部屋でした。ポールの家族、サポートメンバーだけでした。ファミリーパーティだったのです。ポールは、僕の肩に手をかけ、メンバーひとりひとりに、僕を紹介してくれました。次に家族です。ドキドキしました。なぜか?って。
1989年.僕は半年間、イギリスで生活をしました。みなさんには、「何故イギリスに行ったのか?」は、いつか必ず、お伝えするという約束をしました。もう、話してもいいだろうと思いましたので、その真相は「700番 第2巻」に書きました。
そのイギリス、ロンドンでのできごとです。渡英2ヶ月を過ぎた頃、日本からファックスが送られてきました。内容は、
「ASKAがロンドンに居るなら、次のアルバム制作はロンドンで行おう。」
という、趣旨が書いてありました。大まかなスケジュールが送られて来ました。CHAGEを始め、スタッフがやって来るのは、2ヶ月後だということが分かりました。スタジオを決めておいてくれとのことでした。僕は、ロンドンにおいて、殆ど外出はありませんでした。朝から英語のテキストを眺め、その合間に曲を作るという生活でしたので。なので、当時、僕に任された要求は試練でした。スタジオ、ホテル、プレイヤーを決めなくてはならなくなりました。まだ、英語は殆ど喋れません。まず、最初にスタジオを押さえなくてはなないと考えました。ホテルは、観光地だけあって、そこいら中にありましたので、後でも、なんとかなるだろうと思ったのです。当時は、インターネットは普及していませんでしたので、スタジオ検索などというものはなく、手探りで片っ端から調べました。ミュージシャンの知り合いでもいれば、情報を得ることができたのでしょうが、ひとりもいません。1週間ほどかかり、5つのスタジオを見つけました。スタジオには、それぞれ個性がありますので、一度見ておく必要があります。僕は、重い腰を上げ、見学に行くことになるのです。僕が、見つけられるくらいのスタジオですから、どこもロンドンでは名のとおったスタジオでした。スタジオ側も、誰にでも貸すというビジネススタイルはとっていません。自分の背景、経験、日本におけるポジションを伝えなくてはならなくなりました。これが、いちばんやっかいでした。ひとつめ、ふたつめのスタジオの景色は残っているものの、その名前は、もう覚えていません。スタジオのマネージャーとスケジュールを合わせなくてはなりませんので、5つのスタジオを見て回るのに、1週間ほど、かかりましたかね・・。
3つ目のスタジオでのできごとです、スタジオマネージャーとの約束は2時でした。10分程前には到着しておりましたので、ひとり、ソファに座っていました。約束の時間を30分経過しても、それらしき人物は現れません。スタッフルームから出たり入ったりしている、綺麗な女性と何度も目が合いました。1時間が過ぎて、その目は怪訝そうな目に変わりました。そして、更に1時間程経ったときでした。彼女が喋りかけて来たのです。
「どうされました?待ち合わせですか?」
そのようなニュアンスだったと思います。
「僕は、日本のミュージシャンですが、スタジオマネージャーと会う約束をしました。」
「え?何時に?」
「2時です。」
「聞いてませんよ。今日、スタジオマネージャーは来ません。」
「2日前に、約束をしました。」
「少し、そのまま待ってくださいね。」
僕は、辞書を片手にソファに座りました。間もなく彼女は戻ってきました。マネージャーに確認をとったみたいです。
「やっぱり、約束はしてないと言ってますよ。」
「電話で、今日1時に指定されましたよ。」
「ふーむ。」
彼女は、何か考えている様子でした。そして、指を鳴らしてこう伝えて来たのです。
「ロンドン市内には○○イーストスタジオと、○○ウエストスタジオがあるけど、間違ってない?ここは○○イーストスタジオだよ。」
どう答えたのか覚えていませんが、2時間近くも待っていた、外国人が可哀想に思えたのでしょう。目の前で、どこかに電話をかけました。○○ウエストスタジオに確認してくれたのです。
「間違ってましたよ。ウエストサイドスタジオのマネージャーが、あなたを待っていますよ。」
とんだ勘違いでした。イーストスタジオで記憶してしまった上に、そのスタジオが、事実存在していたことが、そういう状況を招いてしまったのです。
ロンドンは、タクシーに乗るとき、行き先の住所だけを伝えます。日本のように、○○デパートまでとは、伝えません。そして、ブラックキャブは長距離を嫌います。30分かかる距離では、断られることも珍しくないのです。近いほど、歓迎されます。お客を下ろしてから、戻って来るまでのガソリン代のことを考えます。
彼女は、タクシーを手配してくれ、住所書くと、スタジオへの地図まで書いてくれました。彼女の顔は強く記憶に残りました。
それから、間もなくポールのライブがロンドンのウェンブリーアリーナで行われることを知りました。詳しくは書けませんが、ポールのマネージャーとステージサイドで会うことになったのです。僕と、同行したのは、日本のテレビ局の人間でした。マネージャーを待っているときです。彼女が目の前を通過して行ったのです。先日、スタジオで優しくしてくれた彼女です。僕は、咄嗟に声をかけました。
「ハーイ!」
残念ながら、声は届かず、彼女は走り去っていったのですが、
「ASKA、知ってるの?」
「先日、会ったばかりなんだ。」
「ポールの娘さん、知ってるんだ?」
「はい?彼女、ポールの娘さんなの?」
「そうだよ。」
「・・。」
そんな出会いがあり、今、目の前で、ポールが奥さんのリンダを紹介してくれてます。
「ハイ!リンダ。今日のライブ素敵だったよ。」
「私は、弾いてる振りをしてるだけだから。」
「あはは。でも、オッケー!」
そして、彼女が目の前に現れました。
「彼は、日本のミュージシャンで、ASKAと言うんだ。」
「あら、初めまして。」
「初めましてじゃないんだなぁ。ねぇ、ロンドンのスタジオで働いてたでしょう?」
「うん。ずいぶん前にね。」
「ね、その時、日本のミュージシャンが、イーストスタジオとウエストスタジオを間違えてたことがあったでしょう?タクシーも手配してくれた。」
「あー!あった、あった。覚えてる!。」
「僕だよ!あの時はありがとう!」
僕たちは、ハグし合いました。
「オマエたち、知り合いなの?」
ポールが、ビックリしています。その後、バンドメンバー全員と繋がる体験をするのですが、長くなりますので。
僕が、ここで伝えたいのはこのことです。
僕は、ポールに呼ばれ、メンバーの居るソファーのいちばん左端に座りました。
ポールを囲むような並びになりました。ポールは上機嫌で、いろいろ喋っていましたが、話の節々で、僕の顔を見るのです。最初は、気にしてなかったのですが、必ず、僕を見ます。途中で気がついたのです。それがポールの気遣いだと。
「彼は、今日の僕のゲストだからね。」
と、いう、気遣いだったのです。話の中に僕が入れるよう。ひとりにならないよう、メンバーに対して行っていた、僕への気遣いだったのです。お陰で、メンバーとも知り合いになれました。そのメンバー全員と、数年後にスタジオで仕事をすることになるのです。それも偶然にです。ここで、その話をしたいのですが、本当に長くなりますので。
僕が、伝えたいのは、ポールの人柄です。あの気遣いです。本当に偉大な人は、どんどん普通の人になって行くのだと思わされました。今も、心がけています。普通の気遣いのできるポール・マッカートニーを、僕は心から尊敬しています。
感謝
あれはまだ僕がすっかり子供だった頃
やがて向かわなくてはならない大人という未来に
夢と夢を無関心に重ね合わせ
絶望のない恐怖に駆られていたものだ
痛みを感じたというそれだけで流れてしまう涙の先に
泣いてはいけないという大人があった
巡るめく春夏秋冬
やがて僕は大人になり泣かなくなったが
そのかわり
いつも自分がどこにいるのかわからなかった
少女と過ごしたレンゲ畑は
いつのまにか心の景色から消え去り
幸せとは何だろうと考えるようになっていた
沈んでゆく島のように氷砂糖の欠片を水に落としてみる
それは小さな「く」の字型をしてコップの底にたどり着いた
きっと迷ったのだ
いつも僕は自分の未来が不安だった
なぜにこんなに傷つきやすいのだろう
手を叩いたら始まり
手を叩いたら終わる
そんな人生の囲いの中で今日を生きてる
くだらない事実と
ヤキのまわった現実に身を委ねたが
それでもやっぱり居場所がわからなかった
昨日をくぐり今日をまたぎ
明日を越えてゆく
そうやって誰もが生きているのだと悟った時
僕は運命を愛おしく感じることができたのだ
その気持ちを忘れないよう心の中に印形を押して
先の見えない未来にもそっと感謝をするのだ
みなさんは、ラマダンというのをご存じですか?断食です。イスラム教徒が行う儀式なのですが、身体に溜まった毒素を抜くのだそうです。イスラム教徒は、別の意味があってやっていることなのですがね。だいたい、毎年行われ、平均、約1ヶ月間つづきます。日の出から、日の入りまで、食物を口にしないのです。その時間帯以外は、食べられるのですが、お腹に優しいものを口にするようです。今は、この断食、世界中に広まりました。ファスティングと呼ばれています。いろんなやり方があるようなのですが、僕は、酵素ドリンクだけで、これをやっています。1ヶ月に1回。3日間つづけます。1日目は、耐える感じなのですが、2日目になると、お腹が空きません。3日目は、突然体調が良くなり、目がキラキラしてきます。視界が広がる感覚です。僕は、極端なので、4日目に突入。体重が3キロ減りました。5日目になると、もう食べ物のことは考えなくなりました。1日に酵素ドリンクを1瓶だけ飲むのです。5日目の夜に、このままでは、さすがにマズい気がして、食事をしたのです。一気に食べた感じでした。本来は、白湯、おもゆからと、徐々に戻すのがファスティングなのですが、読んでなかったんですねぇ。注意書きされてありました。ファスティング後は、口にしたものを、すべて吸収してしまう身体になっているので注意だそうです。ホント、そのとおりでした。翌日には、いつもの体重に戻っていましたから。それでも、身体が軽いんです。翌月も3日間やってみました。
やはり、2日目から、お腹が空きません。3日目も同様。世界中に広がるわけです。体中に溜まった毒素を抜く。心の毒素も抜いてくれたらいいんですけどね。しばらくつづけてみようと思っています。
です。