NHK スペシャル (昔は NHK 特集と言っていた気がするが) は良質な科学番組を提供する枠として、以前から定評があった。『驚異の小宇宙・人体』や『地球大紀行』『宇宙 未知への大紀行』シリーズなどに感銘を受けた人も多いだろう。僕もいくつかのシリーズをビデオにとって保存している。
さて、先日 (平成14年4月28日) にこの枠で『奇跡の詩人』というドキュメンタリーが放映された。新聞の紹介によると、誕生直後、脳に障害を負い、全く意思を表すことができなくなった11歳の少年を追ったドキュメンタリーとのことである。
「両親から漢字や数式を記したカードを繰り返し見せられているうちに、少年は文字を覚え、文字盤を指さすことで意思を表現することができるようになった。自分では話すことも立つ事もできないのに、哲学や宇宙論など2000冊もの本を読破し、10冊近い著作を発表している」ということらしい。
現在では、運動障害で身体を殆ど動かすことができない人でも、僅かな筋肉の動き・視線・脳波などを使ったコンピュータ入力装置や、介助者の力を借りて、様々な表現活動が可能になっている。だから、文字盤を使ってコミュニケーションするという事には全く違和感を感じなかった。
しかし、驚くべきはその読書量である。文字盤を使った意思表示ができるようになったのが、5歳の時だと言うから、その時から本を読み始めたとして、約6年間。ほぼ1日1冊のペースで読み進んだことになる。まさに驚異的だ。人間の脳の潜在能力は計り知れない。少年は身体が不自由になったことで、かえって通常使用しない脳の領域が活性化して、このような能力に目覚めたのかもしれない。僕は期待して、その番組を見た。(番組画像については、[追記9]、[追記10] 参照)
結論から言うと、僕はがっかりしてしまった。少年が文字盤 (厚紙で作った50音表) を使う時、必ず母親が彼を膝に乗せ、彼の手をしっかり握り締めて、文字を指差し、同時に母親がそれを音声に翻訳する。しかも、文字盤も固定されず母親のもう一方の手で操られている。説明によると、少年の手の微妙な動きを母親が補助しているとのことだったが、とてもそうは見えなかった。
テレビ画面を見ると、だいたい1秒当り3文字程の速度で母親は発音している。それもイントネーションは通常の会話と変わりなく、文字を1字ずつ読み出しているとは思えなかった。また、発音と文字が一致しているかどうかはあまりに素早くて確認できなかった。少年の視線は文字盤に留まることなく、常に周囲をさ迷い、文字を指している間も欠伸をしたり、眠り込んでいるように見えた。
はたして、1秒間で3文字を指差すことが可能だろうか? もちろん、訓練を積めばできるようになるのかもしれない。しかし、単独では文字を指差すことができないのに、母親に手を握られただけで、それだけの高速運動が可能になるというメカニズムは理解できない。また、文字盤を見ずに指していることも気になった。ナレーションでは、訓練によりブラインドタッチができるようになったということだったが、文字盤自体が移動しているのにブラインドタッチが可能だろうか? そもそもなぜブラインドタッチを行う必要があるのか? パソコンでブラインドタッチを行うのは、ディスプレイを見ながら、キーボードを打つためである。少年にはその必要がない。
もちろん、本当に少年と母親が奇跡的な能力を発揮してあのような映像になった可能性はある。しかし、あの画像を見る限り、少年ではなく、母親が発言しているようにしか見えなかった。
もし、少年があの方法で意思表示をしているのなら、NHK スペシャルはきっちりと科学的な根拠を示す必要があったと思う。あの内容では、母親が少年の手を操作していると思われても仕方がないだろう。また、放送内容が真実であるなら人間の脳の潜在能力を科学的に実証する絶好の機会だったはずだ。
また、意識的か無意識的かは別にして、少年の発言とされるものが母親のそれであった場合、真実でない報道をしたということで、さらに番組制作者の責任は重大なものとなる。前代未聞の不祥事と言っても過言ではない。少年は唯一のコミュニケーションの道具となるべきだった文字盤によって、逆にコミュニケーションの道を完全に断たれてしまったことになる。彼が何を表現しようとしても、母親が自分の思いだけを文字にしていたとしたら、彼の苦悩は想像を絶する。
いずれにしても、NHK が科学的検証を番組中で行わなかったことは腑に落ちない。少年に負担にならない非常に簡単な方法で確認できたはずである。もし否定的な結果が出たなら、番組自体を中止するなり、完全に匿名にするなりして、少年およびその家族を晒し者にせずにすんだはずだ。しかし、事ここに至っては、非難の矛先が少年の家族に向いてしまう可能性もある。これを避けるには、もはや徹底的な検証を行って、事実関係を完全に公開する以外ないのではないだろうか?
僕の印象を言うならば、母親には悪意はなく、自分の無意識の声を少年の意思と取り違えているように思えた。こういうことは珍しいことではない。こっくりさんという遊びで経験された方も多いだろう。
読者からのクレームが多かったのか、NHK スペシャルのホームページに「4月28日放送『奇跡の詩人』について」という1文が掲載された。全般的に突っ込みどころは多いが、ここでは最後の部分を引用しよう。
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専門家の意見も聞きましたが、重度の運動障害がある場合には、知的能力を探る方法が確立されていないことがわかりました。もしこのような検証を行うとすれば、流奈くんにかなりの物理的な苦痛を強いることになり、適当ではないと考えました。
以上のことから、信憑性を否定する事実はないと判断しました。また番組は、脳障害児の能力を科学的に検証することを意図したものではなく、流奈くんが発する感性豊かなメッセージを伝えることを意図したものであることから、流奈くんと家族のそのままの姿を放送することにしました。
しかし番組をごらんになって、納得できないという印象を持たれた方がいらっしゃったことも事実であり、説明が必ずしも十分でなかったことは認めざるを得ません。みなさんのご理解を得られるよう今後もいろいろな形でご説明をしていきたいと思います。
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驚いたことに、「重度の運動障害がある場合には、知的能力を探る方法が確立されていない」と書かれている。ホーキング博士の知的能力については検証されていないということだろうか? 少年の負担にならない検証方法はいくらでも思い付く。例えば、母親に目隠しをして、少年に簡単な質問の文章を見せ、それに答えて貰うだけでもいい。
また、「脳障害児の能力を科学的に検証することを意図したものではなく、流奈くんが発する感性豊かなメッセージを伝えることを意図したものであることから、流奈くんと家族のそのままの姿を放送することにしました」とはどういうことであろうか? 感性豊かなメッセージならば、真偽は問う必要なしということだろうか? だとしたら、すでにこの番組はドキュメンタリーではなくなってしまっている。また、文字盤の文章が少年の本当の意思でないとすると、現在彼にはかなりの負担がかかっていると思われる。原稿の〆切を守るため、彼が深夜まで文字盤指しをしている様子が番組中で紹介されていた。
いったい、NHK スペシャルはどうなってしまったのだろう?
報道の公正さを示すためにも、そして少年とその家族の人権を守るためにも、一刻も早く検証番組を放映することを希望する。
なお、『奇跡の詩人』の問題点についてのホームページや掲示板はいくつかあるようだが、「NHK スペシャル『奇跡の詩人』日木流奈くんについて」というページがよく纏まっているように思えた。肯定派・否定派の意見や放送された映像へのリンクなどが充実している。
NHK に電話した。
「『NHK スペシャル 奇跡の詩人』では科学的な検証をちゃんと行ったのですか?」
「番組スタッフじゃないのでわかりません。直接訊いてください」
「どうすればいいのですか?」
「『NHK スペシャル』宛に往復はがきで質問を送ってください」
「えっ? 電話やファックスや電子メールではだめなのですか?」
「はい。だめです」
NHKの『土曜スタジオパーク』で5月11日、『奇跡の詩人』の番組製作責任者山元修治チーフプデューサが『奇跡の詩人』についての説明を行った。
今回こそはきっと科学的な検証を見ることができると思い、本放送時よりもさらに期待を増して番組を見た。
だが、今回は完全に失望してしまった。山元修治チーフプデューサは科学的な検証を行うつもりはないとしか、思えなかった。
山元修治チーフプデューサはまず番組に寄せられた疑問は主に次の2つであると言った。
(1) 本当にあの速度で文字を指せるのか?
(2) 少年ではなく、母親が文字を指しているのではないか?
よく考えると、(1) の質問をした人は (2) の疑問を持った根拠として、(1) をあげているだけのような気がする。(1) を単独で検証して、どれだけの意味があるだろうか?
とにかく、山元修治チーフプデューサは (1) の説明を始めた。母親に手を掴まれている少年が「たりきほんかん (他力本願)」と指しているシーンだ。確かに「た、り、き、ほ、ん、か、ん」と指しているように見えたが (濁点は省略するという決まりとのことだ)、このシーンからわかるのは、母親が手を掴んだ状態では、少年の手は高速動作をしているように見えるということだけだ。問題の本質にはあまり関わらない。この映像が何かを証明している訳ではない。
次に、山元修治チーフプデューサは (2) の説明を始めた。少年が文字を指し始めた初期の頃の映像だと言う。母親は、手を握りしめるのではなく、少年の手首の下に自分の指を入れ、支えていた。最近の映像に較べると、かなりゆっくりと文字を指している。山元修治チーフプデューサは、少年が自分で指しているのがはっきりとわかる、と言っていた。でも、僕の目には相変わらず、母親が操っているように見えた。この映像も何かを証明している訳ではない。
その次の映像は、母親が1回で少年の指し示した言葉が理解できなかったとされるシーンだ。「とらわれつ」と指し示した後、母親は「とらわれず?」と確認している。母親自身の言葉だったら、確認などせずに、必ず1回で理解できるはずだということだろうか? 母親が意識的にやっているか、無意識でやっているかに関わらず、自分の言葉に対し、確認するポーズをとったとしても不思議でもなんでもない。この映像も何かを証明している訳ではない。
このような映像を長々と見せずに、上にも書いたように、「母親に目隠しをして、少年に簡単な質問の文章を見せ、それに答えて貰う」方が遥かに簡単だ。山元修治チーフプデューサはなぜ簡単な方法をとろうとしないのだろうか?
それから、山元修治チーフプデューサは母親が知らないはずのことを少年が指し示すのを何度も体験したと言った。しかし、それがどういう内容だったか、そして母親がその内容を知らなかったと考える根拠は何かということは示さなかった。この発言は何の証明にもならない。
アナウンサーから、「本当に2000冊もの本を読んでいるのか」という質問があり、山元修治チーフプデューサは「少年は1度見た著作のゲラを記憶に基づいて、修正していた」との回答があったが、少年が記憶していたと考えられる根拠は示されなかった。この発言も何の証明にもならない。
さらに、山元修治チーフプデューサは脳障害のある人々が時に特殊な能力を発揮することが知られていると言った。そのことは僕も知っている。この発言も何の証明にもならない。
最も不思議に思ったのは、心理学者、神経科医師などの専門家の検証が全くなかったということだ。この件に関して、批判的な専門家の検証は最低限必要だというのに。
いったい、『土曜スタジオパーク』はどうなってしまったのだろう?
有志の方々により、「奇跡の詩人」検証会が各地で開催されているそうだ。詳しくは赤鼻さんのサイトを参照されたい。
また、同時代社より、ジャーナリストの有田芳生さんや弁護士の滝本太郎さんによる検証本が近く出版されるとのことである。
視聴者の思いは少しずつ形になりつつある。NHK スペシャル山元修治チーフプデューサは、いつまで障害者に対する人権侵害を続けるつもりだろうか?
NHK スペシャル「奇跡の詩人」への検証本『異議あり! 「奇跡の詩人」』 (同時代社、滝本太郎・石井謙一郎 編著) (amazon, bk1) を読んだ。「客観的な取材」や「ドーマン法を実践された体験者の手記」「専門家による番組内容の分析」そして「ドーマン法と FC の問題点と海外での評価」「NHK スペシャルが放送法に違反している事実」などが公平な立場による検証に基づいて収録されている。
この本を読むことによって、NHK スペシャル「奇跡の詩人」を見て感じた多くの疑問の解答を得ることができた。NHK スペシャルのスタッフ自らによる検証が必要だと思っていたが、もはやその必要はないように思われる。「放送された番組内容の専門家による分析」そして「ドーマン法や FC といった番組に登場した民間療法の実態とその評価」から、あの番組の違法性は明らかだ。もし、あの番組が真実だというのなら、NHK スペシャルは即刻検証番組を放映して、反証する義務がある。それをしないということは、自ら違法性を認めていることに他ならない。
ドーマン法、FC といった民間療法の有効性には全く科学的な根拠はなく、特に FC については各種学会が否定的な声明を出しているのだ。
なお、この本の著者近影で、滝本太郎弁護士は「空中浮遊」している。麻原彰晃を激怒させ、滝本弁護士殺害計画の切っ掛けになったとも言われているものたが、滝本弁護士がわざわざこの写真を選んだことの意味は自ずから明らかだろう。「奇跡の詩人」を信じろと言うことは、麻原彰晃の空中浮遊を信じろというのと、等価なのである。
NHK スペシャル山元修治チーフプデューサはこのまま息をこらして、ほとぼりが冷めるのを待つつもりなのかもしれないが、それはもはや不可能なのである。20年前なら、それもうまくいったかもしれない。
20年前になく (と言っても影も形もなかったわけではないが)、今あるもの。それはホームビデオとインターネットだ。
ホームビデオが普及する前、放送は基本的に1回限りのものであった。放送局が再放送する気にならない限り、見逃した番組は2度と見ることができない。どんなに酷い番組が放送されたとしても、それを放送を見ていなかった人に証明することは容易なことではない。また、自分が見ていたとしても番組内容を再確認することもできず、時間と共に記憶も不明瞭になっていく。
しかし、ホームビデオが普及している現代では、1度放送されたものは視聴者が望むなら、半永久的にその手元に残ることになる。そして、必要なら専門家にその内容を見せて、分析してもらうことも可能だ。現に僕も自分の家で録画した「奇跡の詩人」を何回も見直している。また、機会がある度に知人に番組を見てもらうことにしている。
インターネット (もしくは、パソコン通信) が普及するまで、個人が社会に自分の意見を発表する場は極めて限られていた。マスコミ関連の仕事をしていれば別だが、たいていの人には雑誌や新聞への投稿ぐらいしか手段がなく、番組内容に疑問を感じても、それが自分だけのことなのか、みんなに共通することなのかさえ、確認しようがない。NHK に電話をしても、「あの番組内容に間違いはありません。われわれが確認しました。名前は言えませんが、さる専門家も真実だと言っています。だから本当です」と言われれば、返す言葉もない。
しかし、インターネットが普及している現代では、そんな言葉で丸め込まれはしない。「あの番組を見たが、あきらかにおかしかった」と意見表明して、多くの賛同者が出てくれば、自分の感覚が正しいことが確認できる。いくら、「番組には多くの方の賛同が寄せられています」と嘘を吐いても、現に納得できていない人がこんなにも多くいることは否定できない。そして、疑問を感じた人たちが話し合い、検討することによって、一人ではわからなかったこともわかってくる。多くの知恵と知識が後ろ盾になってくれるのだ。
だから、NHK スペシャル山元修治チーフプデューサが「奇跡の詩人」を製作し、放送したこと、そして、放送法に違反し、障害者に対し重大な人権侵害を犯したことは、もはやなかったことにはできないのである。
決着がつくまで追及は続く。この先何年でも何十年でも。
「奇跡の詩人」に関する新しいリンク集が出来ていたので、紹介する。ページ名はずばり「NHK スペシャル『奇跡の詩人』関連リンク集」である。また、同じサイト内の「スタートは正しい情報から〜NHKスペシャル『奇跡の詩人』の説明責任〜」というページも読みごたえがある。
なお、京都 SF フェスティバルで、放映された映像を引用して、「奇跡の詩人」の論評を行った。そのレポートはここを参照されたい。
ふと「奇跡の詩人」のチーフプロデューサである山元修治という方はどんな人なのだろうと思って、「Yahoo! Japan」で「山元修治」を検索してみた。なんとこの「駄文24 NHK スペシャル」がトップでヒットしている。つまり、「Yahoo! Japan」で「山元修治」を検索した人の殆どはここを見ているということになる。
もちろん「Google」で「山元修治」を検索してもここがトップでヒットする。「goo」でも、「excite」でも、「フレッシュアイ」でもここがトップでヒットする。
検索エンジンのアルゴリズム的には、NHK スペシャル山元修治チーフプデューサに関する情報を得たい人はここを見ればいいということなのかもしれない。
ところで、「奇跡の詩人」に関する掲示板はいくつかあるが、「奇跡の詩人」情報交換用掲示板」には貴重な情報が数多く集まっている。関心のある向きは参考にされたい。ただし、時々掲示板荒らしが出ることがあるので、免疫のない人は注意した方がいいかもしれない。
第42回 SF 大会 T-con2003 で、放映された映像を引用して、「奇跡の詩人」の論評を行った。そのレポートはここを参照されたい。
「ドーマン法を考える」というページを作成した。是非ご覧いただきたい。
S さんのサイト「『奇跡の詩人』放送に関する意見書・質問書」で、「奇跡の詩人」のダイジェスト版が公開されている。まだご覧になっていない方がおられたら、一見の価値があるだろう。(アクセス後、"NHKKISEKI.mpg" ファイルを右クリックして、ダウンロードした後、再生してください)
ともしびさんのサイト「NHKスペシャル『奇跡の詩人』映像サイト」が公開された。ダイジェストではない番組全体を見ることができる。番組に興味を持った人はいつでも自分の目で見て自分で判断できる環境が整ってきた。
「奇跡の詩人」に関する質問が多数メールで送られてくるので、「奇跡の詩人 FAQ」というページを作成した。参考にしていただきたい。
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