塾長日記
3月に入塾した新中3生と4月から授業を受け始めている新中2生。
3学期の数学がひどかったので、これはもう公文ではだめだと思ったようだ。
どの学年も3学期は図形や確率。
高校レベルの因数分解や二重根号まで進んでいて公文から表彰までされているのに、空間図形の基本問題や確率に手も足も出ない。
考える数学を学んでいないがゆえの悲劇。
二人とも真面目な第一子で最悪な状況。
できることはどんどん先取りしてやってしまえばいいじゃないか。
その方が有利でしょ。
っていうのが公文の指導者や公文信者の言い分だけど、それは違う。
数学は考える勉強だから。
考えずにやり方だけを教わって先に進む習慣がついてしまった子供達は常に ” やり方 ”にこだわるようになる。
本末転倒。
確かに数学には教わって暗記したり、練習して慣れたりしなければならない部分もある。
でもそれは、” 考える ” の中にあって初めて意味を持つ。
” 考える ” と同時に進行して初めて数学の実力につながる。
教わって練習して慣れて速くなるのが数学だと思い込んでしまったら、もう後戻りはできない。考えずにやり方を求めるようになるから。
考える習慣がなく、だんだん時間勝負になるから速くやるためには考える時間が無駄だと思うようになってしまう。
「やり方教えてください。」
「だってやり方わからなけりゃできないじゃないですか。」
こう言うようになったらもう修正はきかない。
もちろん中には公文式を続けていても、影響を受けない生徒も稀にいる。
でもそれは、公文を始める前に既に考える習慣がついていて、悪い影響を受けないだけ。
ただし影響を受けないだけで、為にもなっていない。いわゆる時間の無駄。
なぜ百害あって一利もない公文数学がこんなにはやるのか。
それは、親が勉強の本質を理解していないから。
先取りすることが有利だと思い込んでいる親が多いから。
ずっと言ってるけれど、勉強の本質は ” 考える ”。
そしてその ” 考える ” は ” 想像する ” とか ” 疑問に思う ” から生まれる。
例えば、本を読んで想像する。
本を読んで疑問が生まれる。
質問する。
自力で調べて考えて解決する。
自分の想像と違ったことに感動する。
” 考える ” はこんなふうに育つ。
想像し、疑問に思わない限り ” 考える ” が育つことはない。
” 考える ” が育たない限り、数学ができるようには決してならない。
学生時代に数学が苦手だった親はよくよく反省して欲しい。
なぜ自分はできなかったんだろう?
それは考える習慣がなかったから。
それは先取りで補えるものではない。
公文数学の弊害の影響は単に日常の勉強にとどまらない。
受験勉強にも大いに影響する。
次々に教材を与え続ける公文は受験に向けた自主計画学習を妨げる。
教材を与えられることが当たり前になっている生徒は、自分にあった教材を選んで計画を立てることができない。
弱点を補強するにはどうしたらいいかなんてまず思いつかない。
何をしたらいいかわからなくなってパニックになる。
どうしよう。
長く公文を続けた人は仕事をするようになってもなおそのしっぽを引きずる。
与えられた仕事はこなすけれど、自ら開発したり研究したりすることは苦手で、いつまでたっても使われる立場にしかいられない。
決められた仕事はてきぱき素早くこなすけれど、自分の意見を持てない。
創造的、革新的な仕事は無理。
いくつになっても兵隊。
はっきり言っていらない。
そんな奴。
20数年間、先取り数学の愚劣さを糾弾し続けてきたけれど、公文の勢いは衰えるどころか信者をどんどん増やしている。
でもでも、絶対にこんな数学、考えることをしない数学なんて間違っている。
先取りなんて何にも作り出さない。
まるっきり疑問を残さない数学なんてあり得ない、意味がない。
もう一度言っちゃおう。
公文は百害あって一利もない!
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