先生と僕

うさきこうです。
BL漫画を描いてます。
新井祥先生のアシスタントもやってます。

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テーマ:
先日、Twitterで

http://natalie.mu/owarai/news/198284

こういった記事を見つけてしまい




このように発言をしました。それについては色々と同意を頂いたのですが、かなり多くの
『過剰だ』『その意識が差別だ』『これはカメラマンさんの個人的な視点なので誤解ですよ!』
という意見も頂きました。


それで、この件に関しての僕の意見なのですが
僕は正直最初のコメントをツイートをする時点で
これは過剰反応といわれるだろうなと思って発言しました。

理由は簡単で『良く言われるから』です。
僕はナイーブな方なので他者より、やや傷つきやすい面を持っているのは確かです。

なので本当に今回は僕の過剰反応なのかと考えましたが、少し違うと思いました。

今回僕は変態という言葉を利用された事に悲しみを覚えたのですが、
これは僕にとって変態という言葉はすごいネガティブな物だからです。
ゲイとして生きているとどうしても変態的な目線、言葉を浴びることは多いです。







これはこの写真集のヤフーの記事に対するコメント欄のものです。
ここで使われている『変態』という言葉は
きっと同性愛者ではない、みなさんが普段気軽に使っている『変態』という言葉とは全く違うと思います。
昨今は変態という言葉は自身へのステータスや友達への冗談等で気軽に使われているのを見かけます。
きっと今回の記事や撮影をしたカメラマンさん、オリエンタルラジオの二人にとってはそういった言葉としての『変態』なのだと思います。

ですが僕にとっての変態は前述で記載した画像のようなものです。
これは一例で、別にインターネットやテレビ番組のような通りすがりの世界だけに留まらず
親、親族、友達、学校の教師たち等からこのような目線、言葉を一度は受けるのです。
その言葉は深く心の奥にトゲのついた球体となって沈み転がり、ふとした時僕のような人間を傷つけるのです。

日常から同性愛者はこういった物に耐えていて、
水が満ち満ちていつこぼれてもおかしくない水瓶のようになっているんです。

今回はこの変態という言葉がみなさんにとっては小さな水滴なようなものが僕の心の水瓶を溢れさせました。



僕は日常的に冗談でも変態という言葉を向けられる時があります
それはみなさんは『ポジティブに捉えて』と思って使っているし、それは僕も心得ています。
僕だってそういった意味では使いますから。

だけどそれが大きな媒体となってくると心にかかってくる比重はやっぱり変わってくる。

普段同性同士で恋人のように過ごす事はゲイはまず出来ません。
やはりその姿は奇妙なものを見る目で見られます。
人によっては眉をしかめます。

僕は恋人と手を繋いで、腕を組んで街を歩いて回りたいですが、やはりそれはままならないのが今の日本です。
そんな日本の現状をヒシヒシと感じ生きている中で、
『変態』と『同棲』を並べたものを突き付けられるとやはり悲しくなってしまうのです。



僕はこの本は売れて欲しいと思っているし、そんな事思わなくともこの本は売れます。
こういった本は今の日本には必要です。
日本人はこういった景色に目が慣れる必要があるんです。
だからどんな形でも楽しんでいただいて構わないのです。
ですから、少し息苦しいかもしれませんが僕らのような人間に優しさをください。
堅苦しい道徳のようなものを持ち込んできてください。
少しでいいです。

大げさですがいじめに準えてみてください。

変態と冗談でも言われ続ければ人によっては苦しくなってきます。
最初はそれで周りが楽しむのならと黙っている。
だけどやはりどんどん苛烈になっていくし、それが辛くなる。
ある日いじめられた人間が『やりすぎだ!』と憤る。

きっと加害者や傍観している友達達はこう言う

『考えすぎだよ楽しませようと思ったんだよ、悪い意味では言ってないよ、今までだってそうだったじゃないか』と。

だけどいじめられた人間にとっては全く別のものなのです。
同じ言葉でも

投げつける側が持っている間は丸い球体だけど、受け取った側が手にした途端、重く痛々しいトゲのついた球体に変わる

言葉とはそういうものなのです

そんな現状まで黙っていたいじめられっ子が悪いのかもしれない、変態と言われ始めた最初に止めればよかった問題なのだ。

それは間違いない、だけれどそれはいじめられっ子が言っていい言葉であって、加害者や傍観していた人間は決して言ってはいけない言葉だと僕は思うんです。
傷ついた人間が傷ついた自分自身への自戒のために使うべき台詞です。

今回の件は多くの同性愛者が不快に感じたり傷ついたりしています。
それは僕のコメントのRTをたどれば明確に見えてきます。
ですが写真集を楽しみたい人たちは『悪意はない』という部分を主張する人が多いです。
少しでいいので失礼な面もあったのかもしれないと考えてみて欲しいのです。
『悪意はない』なんて楽しむために割り切る為の言葉です
少しでいいのです、これで傷ついた人がいるという事を
まだまだナイーブな問題だという事を知ってください
それされ知ってもらえれば、どのように楽しんでいただいたって構わないんです。

みなさんに『悪意はない』のは僕は知っているんです、でも傷ついてしまうんです。涙がこぼれてしまうんです。
それを過剰だなんて一言で終わらせないでください。
少し息苦しいかもしれない、だけど少しでいいからみなさんの同性愛の楽しみ方の中に、
堅苦しい優しさを持ちこんで下さい。




うまく言葉を綴る事ができませんが、これが僕の意見です
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