1・優れたパティシエになる近道は美味しいケーキを食べること。
自分が淹れた珈琲が世界でいちばん美味しいと思うんですと照れながら笑う女性が淹れた珈琲が、過去に飲んだ珈琲の中で本当にいちばん美味しかった。自分も、自分の文章が世界でいちばん面白いのだと思うことにしよう。そして、誉めてくれるひとがいたら「でしょ!」と答えて、一緒に笑おう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月28日
2・生き延びることよりも「生きたいと思う」こと。
就職に有利な資格を得るとか、手に職をつけるとか、収入源を増やすとか、人的なネットワークを築くとか、死なない為のスキルは頻繁に耳にするけれど「生きたいと思う為のスキル」を耳にすることは少ない。生き延びることよりも「生きたいと思う」ことの方が、多分、何億倍も大事だと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月22日
自分に問いを突きつけられた時は嬉しくなる。今ある答えに満足するだけではなく、今ある答えを進化させるために問いが必要なのだと思う。自分に問いを突きつけられた時、自分を進化させるために考えたり悩んだり苦しんだりするのだろう。その時、心の奥底では「もっと生きていたい」という気持ちが爆発している。
自分に「もっと生きていたい」と思わせてくれるものは、全てにおいて「アート」であり、「問い」だ。自分はもっと問いに出会いたくて、生きている。
アートはいつだって、もっと生きたいと思わせてくれるものだ。
3・おかしいと思う自分がおかしいのだろうか。
「純度の高い人間」としか呼ぶことのできないような、そのひと自身の内側からあふれる光のような輝きを感じることがある。純度の高いひとは、言葉や、表情や、存在を通じて、それに触れるひとの純度まで高めてくれる。濁りのもとになるような見栄を、世界に対する不信感を洗い流してくれる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月1日
4・自分を殺さないで良かった。
コミュニケーションは「何を言うか」ではなく「どのような気持ちで言うか」の方が、多分、何億倍も大切だと思う。心のない言葉はどれだけ正論でも空疎に響くし、無様でも、心のある言葉には真実の響きが宿る。言葉はただの容れ物で、感情と合致した瞬間に『言葉は音楽になる』のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月8日
5・幸福は全体感、不幸は分離感。
その人が何をしたかで価値を決められるのであれば、何もしていない人間に生きている価値はないということになるのだろうか。そんなことはない、と思う。多分、功績と価値は別物だ。人間の功績は行動に宿るもので、人間の価値は存在に宿るものだ。更に言えば、存在とは「何よりも純真な生命の行動」だ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月18日
6・自分を強く主張するほど、惨めになる。
やりたいことを見つけないといけないとか、あの人を忘れないといけないとか、自分を受け入れなければいけないとか、みんなと仲良くしなければいけないとか、常に元気でいなければいけないとか、充実した時間を過ごさないといけないとか、しなきゃいけないことなんて本当は何ひとつないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
7・何者でもなく生きる姿勢が、自分の中心を生きる軸になる。
何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。やりたいことは何もなくても「何かをやりたいと思う」瞬間は、誰のもとにも必ず訪れる。そうしたくなった、その気持ちを大切にして欲しいと思う。しなきゃ、という気持ちに負けないで欲しいと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月5日
8・ひとの心を動かすものは「正しさ」よりも「楽しさ」だ。
元気を出さなきゃとか、明るくいなくちゃとか、やりたいことを見つけなくちゃだめだとか、そんな言葉で自分を苛めてはいけないと思う。生きる力は、ボロ雑巾のように絞り出すものではなく「溢れ出す【溢れ出てしまう】」ものだ。元気なんか出さなくていいし、みんなと仲良くする必要もない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年7月17日
9・無様でも、不器用でも、愛情を表現していこう。
頭の中に「愛があれば大丈夫だ」という言葉が鳴り響き、悩んだり苦しんだり自分の未来を疑いそうになることがあったとしても、そこに愛があればきっとうまくいくのだと、そういうことを考えていた。無様でも、不器用でも、自分なりの愛情を精一杯に表現していこう。きっと、それが生きるということだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月18日
『イリュージョン』
「人間が本当に愛するものを見つけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに人生の中心だと思うね。一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、そういうふうに導かれているんだと信じることだね。だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃうんだよ。だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ」「人間は大体、目に見えるものしか信じないでしょう?たとえば、汽車の二本のレールは地平線のとこで絶対にくっついて見える。そういうふうに見えるからそう信じているけど、そうじゃないんだね。飛行機で線路の上を飛ぶと、二本のレールは、行けども行けども平行なわけだ。また、雨が降って、地上では傘をさしている。人々は頭上に太陽があることを忘れているわけだ。だけど、ひとたび飛行機で上に上がってしまえば、そこに太陽は、あるわけなんだよ」「人間が学校というフェンスを出ると、そこは、ドラゴンワールド(現実の、悪意に充ちた世界)なわけだ。地球上には三十億だか、四十億だかの人間がいて、おまえはその三十億プラス一の余り物にすぎない、おまえのことなんか誰も関心を持っていやしない、生きていようと死のうと、こっちの知ったことか、みたいな扱いを受けることになる。ある人間がだめになるというのは、そういうことなんだよ」「どうやってそれに対抗するかといったら、やっぱり自分の歌をうたい続けることだと思うね。『うるせえ、おまえのその変な歌をやめねえと張り倒すぞ』かなんか言われて、それでだめになっちゃうことだってあるけど、張り倒されても、まだ歌い続けることだ。もちろん、ドラゴンワールドにあっては、明日の飯代をどうしよう、今日の部屋代をどうしようなんていうわずらいもある。それはしようがないから、思いわずらい、駆けずり回りながらでも、自分の歌だけはうたい続けるわけだ」「これからの『神』というのは、決してわれわれに信じて貰うことを要求するのではなく、結局、この世の中はひとつのゲームであって、そのゲームをできるだけエンジョイするためにわれわれは生きているんだということを認識させるために存在する、そういう形での神でしかあり得ない、と僕は思っている」
10・居場所とは、場所ではなくて人間だ。
居場所とは、場所ではなくて人間だ。何かを愛する自分の心だ。自分のことを愛してくれる何かを求めるのではなく、自分から進んで愛していける何かを見つけること。愛される前に愛することができるようになった時、きっと、そこが自分の居場所になる。 pic.twitter.com/rIlcyOOOJc
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月17日