以下、結末を含むネタバレがあります。
気のいいアンちゃんたちが住む、ごく普通の商店街=山王商店街。アンちゃんたちは『山王連合会』を名乗り、地元を愛しながらケンカしつつ平和な日々を過ごしていた。しかしある日、商店街の近くが爆発大炎上する。爆発されたのは商店街の隣にある『北斗の拳』みたいな街『無名街』。街は炎に包まれ、何人もの爆死者が出た。さらに商店街にも悪のチンピラをいっぱいに積んだ巨大なダンプカーが突っ込んでくる。商店街を破壊し始めるチンピラ軍団に対して、「ブッ殺されてぇのか」と持ち前のケンカパワーで対抗するアンちゃんたち。「街がメチャクチャじゃねぇか!」真っ当な理屈でブチギレつつ、なんとかチンピラをしりぞけたアンちゃんたちであったが、事件の背後には巨大ヤ クザ『九龍グループ』と、かつてアンちゃんたちの一部が所属していた伝説の暴走族『MUGEN』の中心人物・琥珀こはくさんがいた。一方、爆破された無名街の自警団『RUDE BOYS』は報復のために、九龍グループとつるむ音楽とファッションに人生を救われた元傭兵が率いる武闘派集団『MIGHTY WARRIORS』に戦いを挑む。さらにアンちゃんたちの住む商店街の近所に存在する、五回留年すれば一流の大バカ高校『鬼邪高校(“おやこうこう”と読む)』、女性を守る正義のスカウト軍団『White Rascals』、人の足の肉を噛み千切る狂気のファイター率いる喧嘩祭り集団『達磨一家』など、様々な勢力が打倒ヤクザに立ち上がる。かくして九龍グループをバックにしたMIGHTY WARRIORSと、気のいいアンちゃんたち率いる街の人たちの壮絶な戦いが始まった……。

……ここまで粗筋の説明に費やしておきながら、どういう映画なのか上手く伝わっていない気がする。そもそも設定的に盛り過ぎで、こんな話が成立するのかと思うかもしれない。普通の商店街の隣に『北斗の拳』みたいな街があるのだ(どんな世界だ)。貴方の予感は正しい。物語や設定的には矛盾が幾つも存在している。しかし、この映画はもうすぐ終わるけれど公開中であり、この映画は実在するのだ。卵が先か鶏が先かみたいな話だが、どれだけ破綻していても、成立する理由がよく分からなくても、実在するのだから仕方がない。

本作はメチャクチャであるし、何が何だか分からないところも多い。さらに正直に言うならば、この映画を不特定多数の人に薦められるか? と聞かれれば、「いやぁ、それは……」と冷静になってしまう自分がいる(俺もつまんねー男になっちまった)。理屈では本作の問題点は分かっているし、退屈に感じてしまうシーンがあるのも確かだからだ。しかし、私はこの映画が大好きである。そこには理屈も何もない。ただ、街が爆破されてダンプが突っ込んでくる冒頭1分で「説得」されてしまったのだ。この冒頭1分に込められた「これはこういう映画です!」という真摯なメッセージを脳ミソがキャッチし、このメチャクチャな世界に魅せられてしまったのだ。外出から戻ってきたらカゼを引いて倒れたレベルの話である。

怒涛のオープニングから、立木文彦ナレーションでざっと世界観の説明が入ると、あとはひたすらカッコイイ音楽が流れる中、カッコイイ人たちがカッコイイことを言いながら、カッコよく殴り合い続ける。唸るLDHマネーによってバブル期ばりの豪華な画が連発し、EXILEのPVで培ったであろう、男前を更に男前に撮る技術が存分に活かされる。本作は基本的にEXILE一派主導の映画であるが、林遣都、窪田正孝、山田裕貴などの外部の俳優も多数出演しており、彼らも兎に角やたらめったらカッコよく撮られている。爆炎の中に佇む窪田正孝、アメ車のボンネットに乗って移動する林遣都、バカだけどナイスガイな番長を演じる山田裕貴。各々が各々の魅力を発揮しながら、物語は進行していく。 ここは正直、かなりキツい部分もあるが、600人のヤンキーが巨大セットで大乱闘する修羅場に雪崩れ込むや、映画のギアが明らかに一段階上がる。その中で遂に本作のラスボス・AKIRA演じるところの琥珀さんが登場し、街のアンちゃん代表コブラ(岩田剛典)&ヤマト(鈴木伸之)と2対1の壮絶なバトルが始まる。過去の過ちに悩みすぎて日々幻覚に悩まされている琥珀さんを、「MUGENは仲間を見捨てねぇ!」と叫び、泣きながらブン殴って説得するコブラ&ヤマト。ブン殴られるたびに回想シーンに入って、徐々に正気を取り戻していく琥珀さん。この殴れば殴るほど正気に戻る琥珀さんをAKIRAが大熱演している。す でに散々説明した通り、本作の世界観はマンガ的な過剰な世界観であるが、そんな過剰な世界においても完全なオーバー・アクトである。ほとんど志村けん&加藤茶の名作コント「歌舞伎役者の牛乳CM(牛乳を飲む度に「いよぉ〜! はぁ〜!」と表情筋を総動員して見栄を切り、NGを出しまくるという内容)」状態なのだが、それが良くも悪くも強烈な印象を残す。とにかく私が見終わった後に、琥珀“さん”と呼びたくなったことは事実だ。そして、ブン殴る→琥珀さんの回想→琥珀さんがちょっと治る→ブン殴る→琥珀さんの回想(以下、繰り返し)のローテーションが続き、とうとう映画は一応の大団円を見て終了となる。

前述のように登場人物が異様に多く、大量の設定が盛り込まれた本作であるが、結局なんの話だったのかと聞かれたら、狂った琥珀さんをブン殴って正気に戻す話である。こう書くと琥珀さんが昔のテレビみたいだが、とにかくそれだけのシンプルな話を、ありったけのマネーとド根性と蓄積された技術で映像化したのが本作である。この贅沢さは凄まじいし、出来はさておき無視できないエネルギーは確かに存在する。感覚としては『ザ・レイド』や『マッハ!』などを見たときに近い。すなわち体を張りまくることによる、脚本や演者のアラの強行突破。そして、その突破は見事に成功し、作品の粗もすべて飛び越えて私の心に突き刺さってしまった。もちろん、そういう粗を気が付かせないのも優れた映画だとも思うが、 こういうのも一つのやり方だ。タネが分からない高等なマジックもいいが、「とにかく筋トレで鍛えて、瓦を一撃で二十枚割ります!」というビックリ超人みたいな映画があってもいい。これはそういう映画である。

ただ、度々流れる劇中歌の「この世は争いばかり〜♪ 負ければそこで終わり〜♪」「ルシファー! 吐き気がするまで愛してくれ」「最強Crazy Boy」「Fake……Violence……」などの強烈なフレーズが頭に焼き付いて離れないし、「スォードヲツブシテクダサーイ」「パーリータイム」「MUGENは仲間を見捨てねぇ!」などの決め台詞を真似している自分もいる。これまでEXILEに殆ど興味がなかった私が、サントラを買ってヘビーローテーションしているのも事実なのだ。本作は当然ながらHIRO社長率いるLDH所属タレントの新規ファン開拓という商業的な狙いもあるはずだ。そう考えると……、もしかすると私はすでに企画・プロデュースのHIRO社長の術中にハマっているのかもしれない。愛の意味さえ知らない……。

ちなみに「ドラマの劇場版だから、ドラマを見ていないと……」と心配になる方もいるだろう。たしかに私の場合は「ドラマ」→「映画」の順で見たので、幾分かはスッと話に入れたと思う。とは言え、逆に言うと「幾分かは」のレベルであり、私の周りには「劇場版から入ったけど大丈夫だった」「むしろドラマ版を見てから行ったら、つながりが把握できなくて軽く混乱した」「劇場版で分からないところがあってドラマ版を見直したら、何故か謎が深まった」などの意見も散見されるので、安心して欲しい。

そんなわけで、この映画を単なる「アクションは凄いけど、それ以外は破綻した映画」と感じるか、ここまで散々書いてきたような混沌とした世界観に魅せられて、まるで熱病に浮かされたように決め台詞を真似するハイロー患者となるか。どちらに転ぶかは個々人の性格に強く依存すると思うので、全く保証できない。だから個人的に人に勧めるのは躊躇ってしまうのが正直なところだが、好きな人には本当にたまらない一本であるのは間違いないので、少しでも興味があれば試してみることをお勧めする。もしハマれば気持ちよくなれるし、一度試してハマらなかったら、すぐに止められばいいのだ。物は試しと言うし、たった一回試してみるくらい良いかもしれない。事実、私は二回劇場で見たが、二回目はやはり中盤がキツいなと少し冷静になった。ただクライマックスの盛り上がりは二回目の方が大きく感じた気がするが……まぁ、上手く言えないけれど、世の中にはこんな 物もあるという社会勉強である。何事も経験は大事ではないだろうか。だから一回くらい大丈夫だよ、うん。

最後になったが、同シリーズは10月には外伝的な続編が公開されることになっている。それがどう転がるかは……ハッキリ言って分からない。本作のように好きなれるかは自分でも分からないし、むしろそこで急速に冷めてしまう可能性もある。この異常で混沌としたエネルギーがそのまま受け継がれるかと言えば、かなり難しいだろう。とは言え、変に小さくまとまっていても悲しいし……、これ以上とっ散らかると、もうどうなるかも分からない。この映画は本当にギリギリのとことで魅力を成立させている映画であろう。

なお、普段はリアルサウンド様などに寄稿するようにしているのですが、今回は既に同サイトにて本作関係者インタビューなどの優れた記事が多数掲載されており、加えて流石に公開が終わりそうなこのタイミングで持ち込むのも気が引けたので、こちらに書いた次第です。あしからず。