「プレゼンで痛い質問が飛んできた」
「長時間はたらいたが、やり直しになってしまった」
このような経験、誰もが一度はあるでしょう。
事前準備をしっかりとしたつもりでも痛いところでミスというのは経験があるはずです。
はっきりいって、これを修正できれば人生が変わるでしょう。
しかしながら現実には克服がむずかしく、完全に克服できるというのはほぼ不可能です。
「モレなくダブりなく」というのは言葉で理解するのは簡単ですが、いざ実際にやってみるとむずかしいもの。
特に「モレなく」の部分。時間のないとき、体力的にキツいときなんかは難易度急上昇します。
限られた時間のなかでのクオリティを上げるには、モレのなさと常に向き合う必要があります。
モレがなくポイントを押さえた立ち回りができれば、人生レベルで変化が起こることまちがいなし。
インプット・アウトプットの両方で意識すると、生活そのものが変わります。
目次
モレのなさで人生が決まる
モレのないインプットとアウトプット。
究極的にいえば、これができれば人生勝ち組です。
しかし時間は有限であり、お金の問題、体力や精神力の問題が絡んできます。
またリテラシーやノウハウというのも関係しており、個々人の能力差がそのまんまモレのなさに影響。
それらが最終的な「モレなくダブりなく」につながり、そのひとの評価を決定します。
モレのなさというのはインプット・アウトプットの両方で重要です。
インプットにおいてはフレームワークとなる知識をモレなく勉強・理解することが必須。
またアウトプットにおいては致命的な欠点や痛い質問に対し、いかに対処するかが求められます。
もしインプットやアウトプットにモレがあると、やり直しや低評価といった厳しい結果となります。
インプットにモレがある場合、仕事を進めるうえでの落とし穴に気づくことができません。
場合によっては最初からやり直しとなってしまい、注ぎ込んだリソースがムダになってしまいます。
方向性を正しくするうえでは、綿密な調査は欠かせません。
アウトプットにモレがある場合、致命的な欠陥や痛い質問への痛い回答という形でダメージを喰らいます。
ポイントを押さえたアウトプットがなぜ大事なのかといえば落とし穴回避。
克服・対策すべきところでできていないというのは、そこを突かれたときに致命的なダメージを受けてしまい、台無しになる可能性もあるということです。
こういうのが顕著なのはスライドによるプレゼンテーションでしょう。
データに不備があれば指摘され、そこで減点が入ってしまいます。
また痛い質問に答えられないと、せっかくのいい雰囲気も台無しになってしまう。
解決にはインプットをモレのないようにし、想定しうる質問に回答を作っておくというのがすぐに思い浮かびますが、それをきっちりとこなすというのは容易なことではありません。
デキるひとというのはつまるところ、モレのなさを持っているわけです。
ポイントを押さえての仕事術が身についているからこそ効率も評価もバツグン。
痛い質問や面倒な問題が起こることも想定済みで、それを考えて前倒しでやったりします。
あなたがデキるひとになるためには、ポイントを押さえた情報収集および作業をするだけでOKです。
ただしその「ポイントを押さえた」というのが非常に厄介で、実際に行動するにあたっては時間と精度の両方が要求されます。
それができれば結果が高評価となり、あなたの生活は大きく変わるでしょう。それほどポイントをおさえた立ち回りというのは重要なのです。
「まとまったインプット」の意味するもの
先日投稿した記事には「まとまったインプット」「最初にまとめて」的なことを書きました。
しかしそれがどうも、単に「集中したインプット」だけと伝わってしまったようで、モレなくの部分はそこまで伝わってはいなかったようです。
実はあの記事でいっているのは、上記した「モレのなさ」と同じです。手痛い経験のあるひとは気づいていたかもしれません。
なぜ手痛い失敗をするかといえば、確認すべきことに不備があったり、ポイントをおさえていなかったりというのが原因。
押さえるべきポイントがわからないというパターンも多いです。
もっといえば、量をこなすことの必要性も「モレのなさ」のためだったりもします。
量VS質という論争は一定頻度で発生し、メジャーな話題といっていいでしょう。
体育会系・文化系問わず常に見かける話題です。
それ自体は別になんともないのですが、量をこなせ質をこなせ論争をモレのなさという視点でとらえなおすと別のものが見えてきます。
なぜ量をこなすのか?
なぜ質を高めるのか?
これらは「一定のラインを超える」ためのものですが、これは「ポイントを押さえる」ことと言い換えることができます。
補足すると、押さえるべきポイントがわかっていないこともザラであり、そのポイントを探ったりするために量をこなすわけです。
質を高めるというのはあくまでも「押さえるべきポイントがわかっている」というのが前提にあります。
なぜ最初にまとまったインプットをするかといえば、モレのなさを確保するため。
押さえるべきポイントを把握したり、起こりうる問題を予測するというのは、何をするにしても欠かせません。
かなり段階が進んでからのやり直しは大きな時間ロスになりますし、致命的な欠陥に気づかないというのは後々大きなトラブルを起こすことになります。
最初にまとまったインプットをするにあたっては「なんでこんなのを延々とやらなければならないのか」みたいな感覚が生じます。
実際に動き出す前の情報収集は重要で、落とし穴回避のためには欠かせません。
最初のインプットに耐えられなくて失敗するパターンは多いですし、やり直しにかかる時間は戻ってきません。
だからこそまとまったインプットが求められるのです。
モレのなさが負担を減らす
モレのないインプット・事前調査は、最終的にはモレのないアウトプットにつながります。
事前の計画立てに不備があるからこそアウトプットに欠陥が生じやすくなるわけで、計画の段階でこれでもかというほど仮説を立てておけば、あとあとの面倒くささを減らせます。
事前の調査や計画立てで致命傷が回避できるなら安いものでしょう。
リソースをつぎ込みまくって進んだ状態でガタガタと崩れるより何倍もマシです。
手を動かす、実際にリソースを投じるというのは、方向性が正しければ効果を発揮します。
実行前にしっかりと勉強するのは、行動を正しい方向に持っていくためなのです。
また、ミスがあるということは減点対象になります。
アウトプットを評価されるにあたり、余計なところでの減点は減らすべきです。
それに加え、評価にいたるまでの導線にも気を配るべきでしょう。
「ここを評価してもらうには、マナーの悪さを見せてはいけない」みたいなのをひたすらに実行することで、コアとなる部分を評価してもらえるのです。
ただ、実際にインプットを、しかも最初にまとめてやるというのは、精神的に大変でしょう。
「ポイントを押さえるには、押さえるべきポイントがわかっていればいい」「落とし穴に落ちない」のようなごく簡単な話ですが、それを実現するために愚直に取り組めるが成否を分けるのです。
押さえるべきポイントについては、現場論や小手先のノウハウの中にヒントがある場合も多いです。
実際にたずさわっているひとの話というのはそういう意味で重要で、生の話をさばけるひとは情報面で優位に立てます。
さまざまな情報源をもってこそ、モレのなさが実現できるのです。
勉強や情報収集について補足しておくと、インプットに割けるだけの時間やお金を確保するのは欠かせません。
いくら情報処理能力が高いひとでも、時間がまったくない状態ではほとんど力を発揮することができません。
あるいは得られる情報の質が下がってしまうと、かけた時間に見合わない情報しか手に入らなくなってしまいます。
そのためモレのないインプット・アウトプットを実現するには、時間・お金泥棒をいかに避けられるかが大切です。
余計なところに時間をかけてしまい、肝心なところで時間をかけられなかった。
こういうのを解決しないとモレのない仕上がりを実現することはできませんし、だからこそ付き合う人間や時間の使い方には気を配るべきなのです。
まとめ
量をこなせ。質を高めろ。まとまったインプットをしろ。
時間を確保しろ。お金の使い方を覚えろ。
これらは最終的にはすべて「モレのなさ」に帰結します。
モレのない仕上がりを実現するために数をこなしたり質を高めたりするわけです。
「ポイントを押さえるために量をこなす」というとわかりづらいですが、なぜ数をこなすのかといえば押さえるべきポイントを探ったり、まんべんなくポイントを押さえたりするためです。
上記した内容は「押さえるべきポイントを知れ」というのと「現場論を含めて話を聞け」というのが混じっており、わかりにくい部分があるかと思います。
実はそのような矛盾にも情報収集のヒントは存在し、「本命の前にひたすら練習する」というのがあげられます。
つまり本命の前に小さなステージ立っておけば、本命のための情報が得られるというわけです。