■ 「生産性」を生産効率だと考えてしまうのは大量生産時代の遺物
生産性が短時間労働によって高まる、ということは全くの勘違いだ。
たしかに理論的につながりはする。こういう風に。
けれど、それはあくまでも、先進国にしては主婦割合が多すぎる日本限定の話だ。
短時間労働ができるようになれば主婦が労働市場にきてくれる(はず)だから、生産によって生み出される価値が増える。消費も増える。だから、GDPも増える。
こういう遠大な理論的つながりは、国家単位で考えるのにはいいけれど、企業の経営を改善する立場からすれば、ほとんど関係しない。
実際問題、企業の生産性を高めることは急務だ。
典型的なのは地方都市の地方企業。
誰もが知っているように、日本では一極集中が進みすぎていて、地方都市にはまともな働き場所がとても少ない。大企業の支店があればいい方で、地方企業はどこも厳しい経営状況にある。
これはつまり、生産性が低い企業が地方都市に多いということで、それはつまり、働く人の給与も安くせざるを得ないということだ。
最低賃金を見ても、すでに東京と沖縄の差は218円にもなっている。ざっと25%以上の差だ。
こんなとき、地方企業に対して「時短によって生産性を高めましょう!」なんて言ったところで何の役にも立たない。
大事なことは価値を増やすことだ。要は売れるモノを作り出して、買ってもらい、利益を会社に残すこと。それこそが生産性だ。ここで言うモノとは、別に商品である必要はなく、目に見えないサービスだってかまわない。
■ 必要なものを作っても売れるモノにはならない
では、そういう「売れるモノ」をどうつくればいいのか、といえばもちろんこれが難しいわけだ。
そこで「創業支援」とか「イノベーション」などの言葉があらわれる。
一方で、多くの、働いている人を含む生活者たちにはお金がない。
そして、たいていものは安く簡単に手に入るし、無料のものも増えた。
だから「欲しい」という欲も減っている。
そんな状況を打開するのは、「欲しいと思ってもらえるもの」だ。
さらにいえば「借金してでも欲しいもの」が必要なのだ。
借金するためには信用が必要で、そのためには無茶な行動はできない。それは暗黙の規律になって人々の行動を律していく。
借金することで利息が高くなる。利息とは人々の欲望の価格なので、利息が増えるということは国全体の欲が膨らんでいるということだ。それはつまり、経済が発展するということだ。
高度成長期において「借金してでも欲しいもの」はまず三種の神器だった。
やがてそれは車になり、マイホームになっていった。
今利息は限界以上に安くなっていて、借りる方法さえ間違えなければ、極めて低い負担でお金を獲得できる。
そのお金を使って、新しいことをどんどんやっていけば、そこに価値が生まれる。
そうして生産性が高まっていく。
だからこそ、「欲しいもの」を探すことが創業でありイノベーションに求められる。
それは「欲しいもの」を作り出すことかもしれないが、気を付けなければいけないことがある。
それは「必要なもの」は決して「欲しいもの」にはならない、ということだ。
誰も、借金してまで高齢者の介護をしないし、借金してまで育児をしない。
必要なものは欲しいものじゃないからだ。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)