僕はどこの誰よりも嫉妬する
飛んでいる青い鳥は、全て残らず撃ち落としたいと思ってしまう。
身近な誰かが得をしているだけで、激憤で心臓が破裂しそうになる。
とくに僕の弟が有名な配信者であり、金も女も承認欲求も、人生を満喫しながら己の力で獲得しているという事実に、毎夜毎晩胸を痛め、人間社会の残酷さに無念の思いを膨らませている。
嫉妬からくる憎悪で心がはち切れそう
僕の家庭には、公立高校に行けたら爺ちゃんに50万円でも100万円でもどんなに高いパソコンでも買って貰えるというルールがあった。
勝者は優遇され、敗者は腐れということなのだろう。
人間社会の縮図がそこに込められているのだなと思った。
しかし、僕はまともに教科書も開いたことすらない。
歴史上の人物も織田信長とビスマルクぐらいしか知らなかった。
日本にも大統領がいるのだと思っていたぐらいだ。
数学も割り算で限界、コンパスの使い方も分からないぐらいだったし、分度器や定規は図工のアイテムだと思っていた。
数学の時間にxやyなど、突然英語が出現したときは驚いて睡眠を取ったものだ。
たぶん、極度の勉強嫌いな僕は、義務教育という国家ぐるみの攻撃を受けたせいで、精神損傷を負ってナルコレプシーを引き起こしてしまったのだと思う。
だから授業中はいつも、スヤスヤだった。小鳥のさえずりが子守歌だった。
唯一まともだったのは現代文ぐらいである。
それほど勉強が嫌で溜まらなかったため、塾に通うという発想すら浮かばなかったから、ただただ落ちこぼれ続けた。
勉強もダメ、運動もダメ、恋愛もダメ、会話もダメ、努力もダメ
「お前には心底呆れる、お前じゃ社会人になるのも無理だろう、この借金のなる木が、見てるだけで俺の生き様まで腐りそうだぜ」
そんな風に侮蔑的なコメントを撃ち込まれたことがなんどもあった。
対照的に僕の弟は、小さな頃から学習塾に通わせて貰っていた。
それも親の助言でだ。
僕が尋常ならざる出来損ないだったから、「被害者をこれ以上増やさないようにしましょう」という悲劇の想いが前提にあったようである。
僕は実験用マウスとして育てられた
以前さまぁ~ず大竹が、「長男は親の悪い部分を全て背負って生まれてくる。だから次男は綺麗でまともな人間が多いんだ」とテレビで語っていた。
まさにその通りだな、と今になって痛々しいぐらい痛く痛感させられるこの痛みだけで、人生の幕が閉じてしまいそうなほど激痛の現実。
そうこうして弟は親の心遣いにより、楽々と公立高校の受験に成功。
その後すぐに、高スペPC、iPod、TV、野球バッド、美少女フィギュアなど、様々なものがお爺ちゃんからプレゼントされ、さながらハッピーリタイアメントをした中年オヤジ並みの豪遊に浸っていた弟。
対する僕は空っぽだ。
部屋には、なにもなかった。
あるのはベッドと、埃と塵、そして虚無感だけだ。
明るい独居房のようであった。
そんなある日、お爺ちゃんの自宅で、弟の合格お祝い式典が開催された。
そこで僕は、ジンジャーエールと親族の罵詈雑言をゴクゴクと飲まされることになった。
「偉いねぇ。努力する子は報われるべきだねぇ」
みんなが口々にそう言っては、僕をジロりと睨み付ける。
「努力しないとなにも手に入らないんだよ?」
そんな風に言われ続けた。
その日だけじゃない。来る日も来る日もだ。
太陽が毎日沈んでは昇るように、僕は毎日必ず呪詛を受け取っていた。
そうして僕は、現実逃避の為にネトゲに走ってしまった。
リアルな自分に一つのプラスも生まれないのに、マウスをカチャカチャクリックして、モンスターを撃破する毎日を送った。
僕の景色は、ガッチャイ2D画面で埋め尽くされ、日常から柔軟な喜怒哀楽性が失われた。
そんなある日、弟が彼女を家に連れてきた。
高校二年生ではじめて出来た彼女だ。
プリクラ補正後のギャルみたいだった。
弟はそのちょいブスと、お爺ちゃんに買って貰ったパソコンからレミオロメンの3月9日を流し、彼女とデュエットを楽しんでいた。
二人の熱唱を耳にする僕は、リビングの共用パソコンでカタカタとネトゲを泣きながらしていた。
なんて人生は不公平なんだろうという覆らない苦しみ
そう思った。
あまりの嫉妬で大脳の働きがおかしくなり、ブラックホールのような禍々しい目の玉に吸い込まれる如き幻想幻覚に苛まれた。
僕の人生は本当に吸い込まれてしまっているかのように「無」であった。
病的に嫉妬する性質を作られてしまった
世の中には、「人と比べるなんて意味がないよ。辞めな」という考え方がある。
しかし、僕のように過剰に嫉妬しやすい人間は、最初から人と比べるような人間だったわけではない。
ずっと僕以外の誰かが、僕を誰かと比べ、その結果を提示され続けてきたから、他人との差に敏感になってしまっただけなのだ。
そんな無原則で無慈悲な打撃を被り続ければ、変形変質し、僕のような嫉妬する厄介者が出来上がってしまうのも必然。
全ては他人が悪い。僕は他人をあの日やっていたネトゲのようにポコポコ叩いて退治して行きたい。全員敵なのだ。
そういう被害妄想まで植え付けられてしまった。
なんて無情なんだろうか。
目に見えない乱暴を受け、数十年間を恨み辛みの中で暮らした。
この痛みをぶつける先はもうどこにもない。
なぜなら、若き日の僕の敵はもう年老いて丸くなり、非の打ち所がない存在になってしまったからだ。
こうして最後に残るのは、絶大な嫉妬心だけとなる。
嫉妬とは人間界の歪みが生んだ病気
こうして考えると、嫉妬というのは、年々積み重ねた痛みが生んだ、「悲しい病気」とも捉えられるのではないだろうか。
以前のブログでも散々言ったが、僕は比較的裕福な暮らしをしていた。
東京に一人暮らししていた頃は仕送り額が40万円ほどあった。
けれど、それでも腹が立っていた。
政治家の裕福な子どもはもっと貰っている、こんなに少なかったら人生の喜びを深掘り出来ないじゃないか、と完全に痛い考え方をしてしまった。
絶大な嫉妬心を持つと、このようにどんな状況下でも満足出来なくなるのだ。
25歳のとき、死に物狂いで獲得した初彼女とのデート中も、押尾学や田村淳は僕の数万倍、過激で幸福で美しい恋愛をしている。それなのに、どうして僕はこんな女一人で喜ばなきゃならないんだろう。どうして僕が求めている感じになっているんだろう。どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないんだろう。
卑屈な想いが、コマネズミのように堂々巡りしていた。
どんなに素敵なラブラブデートをしていも、チャーリーシーンに煽られている気がして、全てが台無しになった。いつも土砂降りだった。灰色だった。
ドブネズミ色の恋愛しか僕には許されていなかった。
営業の仕事でお客さんに気に入られてスムーズに受注が出来てガッツポーズをするときも、「今この瞬間に最大の利益を得ることが確定したのはあの野郎だ」と経営者への怒りが沸いてきて、拍手してくれているそいつをぶん殴ろうと思ったことさえある。「歓喜に沸き立つ貴様の面に、悲哀を浮かばせてやろう」と思って拳を握り走り出した。
一度あれば二度ある悲痛だらけの人類が送る人生は、未来から地獄がどんどんこちらへ流れてきて、それを死に物狂いで避けようが、また新たな未来から灼熱の悲劇が逆巻くような豪快さで襲いかかってくる
ずるいずるいずるい。
顔と肛門を繋がれるムカデ人間のように、汚らわしい嫉妬の言葉が連なって、僕の人生を台無しにしようと阿鼻叫喚のアビダルマ灼熱地獄哲学となって降りかかってくるのだ。
嫉妬は巡り巡る。目まぐるしく、立ち眩みの起こるような人生はいつまでも続く。