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Milkのメモ帳

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

私とみゃー

日記 思い出

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今日は、猫のお話です。

写真はフリーの画像ですから、直接は関係ないです。ですが、こんな感じの模様でそっくりな日本猫でした。

残念ながら手元に写真がない・・・祖母からネガを借りてこないと;

「おばあちゃん。これ飼う〜!」

私が幼稚園生ぐらいだったでしょうか。祖母の家に家族で帰省していたときです。

私は祖母の家の表で遊んでいたんです。

何して遊んでいたか・・・?何してたんでしょうね?

自転車もまだ乗れないし、うーん。

確か、祖父が積み木を作ってくれていたんで(祖父は漁船道具の修理の仕事をしていて、工場もありました。)それで遊んでいたのかも知れません。

祖母の家は港町でして、すぐ目の前は漁港でした。

水揚げされた大きな魚が、ベルトコンベアーで流れていく様子をよく見てましたね。

さて、積み木で遊んでいたら、子猫がちょこんと遠くからこっちの様子を見ていたんです。

見られたら気になる・・・

場所を移し遊んでいると、子猫もちょっと間隔を空けてついて来る。

移動すると、またついて来る。

この繰り返し。

最後には祖母の家にたどり着き、子猫も近くに来たんで、ガシっと子猫を両手で掴み祖母に見せます。

そして、「ばあちゃん。猫がついてきた。これ飼いたい!!」

困るのは祖母。

「ダメよ!だって、飼うのばあちゃんじゃない。」

そりゃそうだ。数日したら、飼うと言いはる本人は居なくなります。

しかし、なぜか勝手に運命を感じた私は「飼う!飼う!絶対飼う!!」

の一点張り。

あまり、我儘を言わない子だったらしいので、渋々飼うことにしたみたいです。

みゃー

子猫の名前は「みゃー」になりました。

それは、私が「にゃー」と言えなかったからです。

「にゃーはどこ?」と言えずに、「みゃーはどこ?みゃーは?」と言っていました。

ということは、幼稚園生よりもっと小さい頃?記憶が曖昧だ・・・

と言うことで、自然と名前は「みゃー」になったのです。

喧嘩は弱い

みゃーは、プライドは高いくせに喧嘩に弱いというダメダメ猫でした(笑)

一応彼にもテリトリーはあるみたいで、巡回に行くのですが、「うにゃー!ふにゃー!」と聞こえたかと思うと、あちこちに傷をつくって帰ってくるのです。

奴は喧嘩に勝ったことあるのかな?見た目は格好いいんですけどね(笑)

狩り自慢

あとは、猫にはご主人に収穫自慢をする癖があると思うんですけど、彼の場合は玄関に丁寧にセミを並べて行くのです。

夏になると大変です。

「ばあちゃん!行ってきまーす。」ガラガラ

「な・・・なんだ!このセミの行列死体は!!」

またきちんと整列させるんですよ。

ずらーっと横一列に並べます。彼の中でのルールがあるんでしょうね(笑)

たまに雀とかも捕まえてきましたね。

蛇も捕まえてきた時は、流石に祖母もびっくりしたとか;

お手

港町でしたんで、ご飯は焼き魚や刺し身が多かったんです。

みゃーは、テーブルの隣に座って、刺し身の盛皿に顔を伸ばそうとします。

すると、祖父から「こら!」と頭をペシコッと叩かれるのです。

可哀想に。

で、祖父からは「お手をしてごらん。お手!」と要求されます。

猫なのに。

が、みゃーは食べたい一心で、お手をするのです。あほだねww

後は、刺し身をあげても「待て!」と祖父に理不尽な要求もされていました(笑)

また、これも律儀に守る。変な猫でした。

その割には、選り好みをするのです。ちょっとでも古い魚になると食べません。

釣ったその日の魚でないと食べないという、グルメ主義の猫でした。

病気になってしまった

確か私が高校生にちょうどなるぐらいの時に、みゃーは他界しました。

肝臓が悪くなっていたようです。

帰省するたびに、孫達に遊ばれていた、みゃー。

でも、めったに噛み付いたりせず、されるがままになっていた、みゃー。

イケメンで、喧嘩は弱いけど、いい猫でした。

みゃーが亡くなった後、次に帰省した時には祖母は新しい猫を拾ってきてました(笑)

みゃーがいなくなったら、寂しくなったんだって。

あんなに最初は飼うの反対してたのにね(笑)

いつか、私も猫を飼うのが夢です。

みゃーみたいな猫さんに出会えるかな?

あ・・・そうそう。

こういう経緯もあって、田舎者の私は猫は拾ってくるもんだと思ってるんです。

東京で仕事をしてて、”家猫”という言葉を初めて知りましたし、猫を買ってくるなんてびっくり仰天でした。

しかも何十万する!?

うそーん?!

未だに慣れないので、いつまでも田舎者です。