『真田丸』感想レビュー第32回「応酬」 ジリジリと追い詰められ、胃のキリキリする秋がやってくる

大河ドラマ真田丸トビラ640
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こんばんは。リオ五輪が盛り上がっております。時差の関係か、四年前の『平清盛』ほど影響はないようです。
ドラマは今週から「秋」、関ヶ原へ向けた新章に突入します。

◆「真田丸」新章突入 毎週ヤマ場 家康に敵わぬ…三成の焦燥感 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
◆堺雅人「真田丸」後半戦は「浅い呼吸」究極の自然体「流されるだけ」 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

先週のタイトルは「終焉」でしたが、秀吉の死=豊臣政権の終焉といえる気がします。
もちろん秀吉のあとは秀頼が跡を継ぎ、大坂の陣による滅亡まで豊臣と徳川による支配が続くわけですが、「死に体」に延命処置を施しているようなものでしょう。

そんなわけで本編です。新章突入らしく、新キャストも大勢投入します。

 

出浦は生きていた、が、昌幸の感覚のズレに……

まずは視聴者が気になっていた出浦昌相の生死から幕を開けます。

人物関係図から消えていないことから生存説が有力でしたが、全身火傷を負い、有馬温泉で佐助とお供に療養中とのこと。ちょっと個人的に意外だったのが、昌相が火遁で火傷を負っていることで、てっきり火傷を負わないトリック込みでの忍術かと思っていたので驚きました。ハイリスクなんですねぇ。

真田丸出浦昌相霜月けい

大事な人の生死を確認できたところで、話は真田昌幸に向かいます。なぜ問題の多い計画で、徳川家康に刺客を放ったのか。そんな風に信幸・信繁が問いただすと、昌幸は「乱世に戻し、旧武田領奪還を狙っていた」とか。やはりこの人の感覚はずれてきたな、という目で見つめる息子二人がなかなか切ないものがあります。

昌幸は一応真田家の家長ではありますが、ゲームの流れを決めるのは息子の方です。何かと彼が精彩を欠くのは、全盛期が過ぎ去ったからでしょう。

本作において昌幸が一番輝いていたのは、春日信達を謀殺したあと上機嫌で風呂に入っていた第八回から、第十三回の第一次上田合戦あたりだったのだなと。今後も見せ場があるとはいえ、なかなか切ないものがあります。

そこへきりから、豊臣秀吉の訃報が届きます。

 

巨大な漬け物と化した秀吉の亡骸

徳川屋敷では「どうせ命を狙われるなら、思い切って天下を取ってしまったらいかがでしょうか」と、けしかける本多正信。しかし家康は「くどい」とあしらいます。彼のヤル気スイッチはどこで切り替わるのでしょうか?

茶々は秀吉の死に対して冷淡ですが、糟糠の妻である寧は遺体のそばに寄り添います。三成はその横で、秀吉の遺体を塩漬けにして、大きな甕に詰め込むように指示。防腐のためとはいえ、漬け物のような処理をされるのが不愉快なのでしょう。寧は私の聞こえないところで話せと苦言を呈します。

すっかり巨大な漬け物のようになった秀吉の遺体には、好感情を持っていない「きり」すら同情気味です。そして秀吉の塩漬け遺体は、城の一角で安置。生前は絢爛豪華な天蓋付きの寝台に寝ていたのに、今や甕に詰められ黴臭い一角で放置されるとは……まさしく諸行無常です。

真田丸豊臣秀吉

信繁は秀吉の死によって、馬廻りのお役目御免となります。継続して秀頼の馬廻りとなるかどうか。三成は信繁に今後の進退を尋ねます。

信繁はここで誰にも相談することなく、己の義にのみ従い運命を決めます。石田三成のそばにいて、彼を支えるアシスタントになりたいと志願するのです。

「犬伏の別れ」よりはるか前、この次点で信繁は進路を決めてしまうわけです。三成もけなげな信繁が嬉しかったとは思いますが、実際に役に立つかどうかはまた別の話でしょう。

 

「たまには頭を使って自分で理由を考えてみろ!」

秀吉の訃報を聞いた家康は、一人きりで何者かに向かい深々と手を合わせます。

この合掌の場面が長く、何か大事な要素があると思わせます。

家康は呼び出した秀忠に、即座に江戸へ戻るよう指事を出します。理由がわからず戸惑う秀忠を、家康は「たまには頭を使って自分で理由を考えてみろ!」と一喝。家康の真意は何でしょうか。それにしてもこの秀忠への一喝ぶりが今までの家康とはひと味違うような気がしました。

真田丸徳川家康霜月けい

三成は秀吉のうわごと以来、家康を厳しくマークしています。しかし三成本人では家康に対抗できません。三成の人望は秀吉のバックアップがあってこそです。

となると、豊臣に忠義を誓う老衆や奉行が必要となるわけで。そうした老衆の一人が前田利家です。

前田利家といえば2002年の『利家とまつ~加賀百万石物語~』(利家役は唐沢寿明さん)で主役をつとめたほどの有力武将。秀吉とも古い知り合いであり近しい人物ではあります。

しかし『軍師官兵衛』や本作のように、秀吉にさらに近いという設定の人物がメインのドラマですと、関ヶ原前夜の秀吉死後にやっと出てくるパターンになりがちでもあります。『軍師官兵衛』では黒田官兵衛からオブラートにくるめた本音「死に損ないがすっこんでろ」を言われておりましたが、本作はどうでしょうか……。

はい、本作でも既に病床にありました。
「わしの目の黒いうちは勝手な真似はさせぬ!」
とかつての名将である利家は言うわけですが、誰の目から見ても死期は近いでしょう。利家の代理は嫡男の利長がつとめますが、あまり頼りになりそうにありません。

 

いったんは三成の葬儀スケジュールに同意する

ライバル不在の中、家康はすっかりふてぶてしくなり、五人の老衆と五人の奉行のリーダー然として振る舞います。

とはいえ、まだ野望は隠し通し、三成が提案する葬儀スケジュールに同意。秀吉の葬儀は、朝鮮に出兵している将兵の期間後と決まります。三成は十名の評定の際にもきっちり資料を作ってきて、有能ぶりを見せます。

真田屋敷には久々に矢沢三十郎がやってきます。彼を迎え、真田家の面々はなごやかな団らんを楽しみます。しかし信繁は、いつの間にか真田家の女性たちまで秀吉の死を知っていることに危機感をおぼえます。これは完全に情報漏洩ですね。三十郎は、昌幸が精彩を欠いていることに懸念を抱いているようです。

真田信幸に離縁されて侍女に格下げになったはずのおこうは、何故か信幸正室の稲と並んでおります。いつの間にか側室に格上げでしょうか。

その信幸は、徳川屋敷の宴に呼ばれているそうです。信幸はここで秀忠が江戸に戻ったことを信繁に伝えます。ナゼ急に江戸へ戻ったのか。その意図を計りかねる息子たちに、昌幸はボソッと、しかし内容鋭く語ります。

「父と子をバラバラにしておくことで、いざというときどちらかを残すのだ」

本能寺の変における織田信長・信忠の二の舞を避けるためだ、という意図での分析を披露したのでした。

霜月けい真田丸真田信幸

 

宴を開き、招待客を取り込もうとする正信の老獪

家康は野望実現のためには様々な手を尽くします。

その尖兵の一人が、女版・本多正信の阿茶局。彼女は寧と茶々に、「三成のせいで秀吉の葬儀が決まらないようだ」と吹き込みます。寧に呼び出された家康は、しれっと阿茶局の言葉を認め、三成を責めます。
真に受けた寧から呼び出された三成は、評定で朝鮮からの撤退後からだと決めたはずだと弁解します。寧は「誰を信じたらええの?」とすっかり困惑している様子。

寧と違い、茶々は葬儀にまるで関心がありません。彼女の関心は息子の秀頼にのみあるようです。さらに茶々は、秀吉の遺骸が安置された場所のうら寂しさにおかしみすら覚えます。茶々が生前、甘ったるい声で秀吉の寵愛を受けながら心はこうも醒めていたと思うと、なんだかゾッとさせられます。

徳川屋敷では、宴会部長のような伊達政宗らを招いて、盛大な宴を開催。招待客たちは浮かれ騒ぎ、上機嫌で酒食を楽しんでいます。

そんな中、政宗が突如シレッと言い出します。

「実はある噂を聞いたのだが、太閤は既に亡くなっているのでは?」

正信は「さようなことは……」と何か含ませ否定とも肯定ともとれる曖昧な返事をします。政宗はあいかわらずへらへらと「失礼しました~」と軽薄な態度を取るわけですが、彼はこのやりとりで完全に秀吉の死を悟ったと思えます。

さらに正信は、政宗の娘(五郎八)は今いくつかと尋ねています。正信がこの状況で、世間話のように政宗に娘の年齢を尋ねるわけがありません。裏が必ずあります。

真田丸本多正信霜月けい

 

酒を酌み交わしたい清正と空気の読めない三成 溝は深まるばかり

これに焦った三成は、負けてはいられないとばかりに宴を開催するのですが……見ているだけでわびしいほど、人が集まっておりません。宇喜多秀家や小早川秀秋など、既に豊臣に親しい大名たちばかり。例外は遅れてきた細川忠興です。

本作では宴席における接待において家康の工作をあらわしていますが、史実ではさらに様々な行動で大名の心をつかんでいました。たとえば秀次の死後、秀次と親しいという理由で処分されそうになった政宗や細川忠興を弁護したのが家康です。
忠興は家に帰ると、愛妻の玉(ガラシャ)に「行くんじゃなかった。ガラガラだった」と素直な感想を漏らします。

その玉のもとには、なんと「きり」が切支丹になりたいと訪ねて来ておりました。フランシスコ吉蔵のように殉教する覚悟はあるのか尋ねられると、彼女は躊躇します。もっと学んでから入信した方がよいのではないか、ここに通ってきたらどうかと提案する玉でした。この展開、きりはおそらく玉の最期に関与することでしょう。

十一月、朝鮮から肥前名護屋に加藤清正が帰国しました。

三成は今後ともに秀頼を支え守ろうと清正に持ちかけます。

三成は清正に、
「お前は築城も内政も結構いけてるし、ただの戦バカではない」
と言います。

うーん、戦バカって。もっと口の利き方ってあるでしょうに。

清正は三成の態度に気に入らないものを感じてはいるものの、秀頼に尽くしたい気持ちは同じです。三成は清正のために慰労会を開きます。

ところが三成は、残業があるからと飲み会から帰ろうとします。自分から飲み会をすると言いながらこの仕打ち。感じが悪いですね、この社畜め。三成の空気の読めなさに清正は怒り、「お前と飲みたいんだよ!」とキレます。しかし三成は、結局清正を振り切って退席してしまいます。

真田丸石田三成

 

太閤はまだ死んでない よって縁談も問題はない

三成の留守中、家康はせっせと伊達政宗や福島正則と縁談を進めていました。

徳川屋敷では、やっと信幸が舅の本多忠勝に対して、おこうと稲の同時妊娠を打ち明けるはめに。忠勝は「それだけ婿殿はラブな人ってことだな。そのラブで稲をハッピーにすればそれでいい」と、なんと優しい笑顔を向けます。よかったね、信幸、半殺しにならずにすんで。

が、実は信幸の目的は別のところに。信繁が家康に聞きたいことがあるそうです。信繁は家康に対してストレートに用件を切り出しました。

「なぜ勝手に伊達政宗の姫と、そちらの五男の縁談を進めるのですか? 太閤殿下のご遺志を無視してどういうつもりですか?」
「遺言っていうのは死後発効するんだろ。でも、殿下はまだ亡くなっていないし、葬儀もまだだろ。なら遺言は無効だよな? 何か文句ある?」

あまりにあっけらかんとしている物言いに、信繁は言い返せません。

霜月けい真田丸真田信繁

明けて一月、やっと秀吉の死が公表されます。三成は清正が家康の娘を娶るという知らせに激怒。もう家康を老衆から排除するほかないと思い詰めます。

相談された吉継は「そんなことをしてはいけない、時を待つべきだ」と助言します。しかし三成はそれでは遅いと聞く耳を持ちません。どうしてもやるつもりなら「家康と三成の対立構造」には持ち込むな、と吉継は言う他ありません。

吉継は信繁と親しい老衆の上杉景勝に家康糾弾を頼むことにします。

病状がすすみ、書状を書くのもやっとの吉継。この頼みを聞いた景勝は「任せておけ、太閤殿下を裏切る奴はゆるせないぞ!」と勇ましく言いますが、家臣の兼続はしらけきった顔です……嫌な予感がしますねぇ。

 

家康を前に何も言えなくなる景勝 その横で兼続が……

いざ評定の日。老衆たちは「家康はけしからん!」「許すな!」と意見をあわせ、家康を問い詰めることにします。

しかし家康はのらりくらりと「掟のことなんて忘れてた。昔のことはよく覚えているんだけど、三方原では……」とシラを切り、相手を閉口させます。さらに返す刀で「おまえら俺をないがしろにするって殿下の遺言に反しているだろ。なめてんの?」と反論する始末です。

景勝は、
「忘れたですむ話ではない」
と蚊の鳴くような声で何度か言います。

家康は掌を耳の横につけるどこかで見たようなポーズを取りながら、景勝に迫ります。
「あ~~~きこえんな~~~」
「な、なんでもござらん!」
と逃げるしかない景勝。一瞬見える信繁と兼続の顔が、何とも言えない表情をしております。

真田丸上杉景勝霜月けい

真田丸直江兼続霜月けい

ここで三成が立ち上がり、家康を問い詰めるのですが……。

「忘れたのだろうが、掟を破ったのは事実。九人の合議で老衆をしりぞいてもらう!」
「いいと思ってるの? 俺を排除して。俺を閉め出そうとするなんて、あまりにあさましい、政治を私物化したいの? 君側の奸が出る幕ではないわ」

ああ、もう、まるで格が違う。家康の言葉に激昂する三成が弱々しく情け無く見えます。

三成は秀吉の遺骸を前にして、何やら決意を固めます。そして彼は、信繁にこう告げます。
「腹は決まった。徳川屋敷に夜討ちをかける。家康の首を取る」

嫌な予感しかしません。果たして結果は?

 

MVP:徳川家康

「秋」の章からは、いよいよ家康が最大の敵として立ちふさがります。ヒールターンの回です。

今週前半の家康はまだ頼りなく、どの程度本気で天下を狙っているかわかりませんでした。しかし秀吉の死を知り、いよいよ牙を剥きます。秀忠を呼び出す前に合掌する場面で、そのスイッチが入りました。

そこからは頼りなかった頃が嘘のように、口八丁手八丁で三成を追い詰め政権簒奪にかかります。

第十七回で家康は、芝居が下手だと自ら言い、ぎこちない演技で秀吉と会見しました。さらにさかのぼれば第五回の伊賀越え、第二回の初登場。あのころから格段に進化し、手の付けようのない悪役と化しました。この変貌、存在感、実に見事です。

 

総評

本作はユーモアがあると評される一方で、大変意地が悪い作品です。

秀次が追い詰められる描写、秀吉が老衰してゆく描写で、視聴者もそれがわかったと思います。先週「夏」の章が終わり、あのじわじわと追い詰めるパターンが終わったのかと言いますと、それは違いました。シチュエーションを変えてまた追い詰められます。しかもその追い詰められる中に、主人公である信繁はさらに深く飛び込んでゆきます。

結論から言いますと、信繁が天真爛漫にふるまえていたのは「春」まででした。これからは最期まで、ひたすらじりじりと追い詰められます。鬱展開において定評のあった『八重の桜』ですら、後半は明るい方向に転換できましたが、本作はそれがありません。

これから三成と信繁が追い詰められてゆく様は「きっと辛いのだろう」と思わされた新章スタート。その原因には、信繁と三成の「無能」ぶりがあります。

負けてゆく中だろうと最低限主人公はきびきびとしていて有能であるのが、この手のドラマだと思います。しかし、本作は主役もその盟友もその点では何かが足りないのです。

愚かなわけではありません。むしろ二人は頭が切れ、実務能力もあります。ただしこの才知あふれる二人は、豊臣秀吉の機嫌をとり、その命令を実行にうつす方向にのみ、その能力を特化させてしまいました。秀吉がいない今、彼らは方向性を失い追い詰められてゆくだけです。

実はこの信繁の無能ぶりの前には、別の主役格の人物が同じような状況に陥っていました。真田昌幸です。武田信玄の家臣として、地方の国衆としては能力を縦横に発揮した昌幸。しかし世の秩序が変わると、彼の能力もまたもてあまされ、使い道がなく、かえって実力があるがゆえに目が曇ってしまいました。「春」に冴えわたり、「夏」に色褪せたのが昌幸であったわけです。

そして今度は息子の信繁まで、似たような状況になりつつあります。この父子がそうして時代に適応できず色褪せた結果がどうなるか。それはもう歴史が証明しているわけです。

真田父子にせよ、石田三成にせよ、人気も実力もある人物たちが時代に適応できずに自滅し、輝きを失ってゆく様をじっくりと描く――。それが本作の本質であり、実に意地の悪いところだと思います。そういう底意地の悪さが嫌いであるという人がいてもおかしくはないでしょう。ただし、その意地の悪さのさらに下には、どんな状況でもできる限りの力を発揮する人間への賛歌や、あたたかいユーモアがあるのは救いでしょう。

胃のキリキリする「秋」が、これから展開するのです。

 

著:武者震之助
絵:霜月けい

 

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コメント

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    武者とかいうカスはちゃんと去年通りの基準で批評しろや
    カネもらってんのかコジキがw

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    @匿名

     まあ、「従来の俗説=江戸時代に敗軍の将を貶めるために作られた俗説」ですからね。

     いや、まさに大河ドラマ「軍師官兵衛」が「従来の俗説」べったりのシナリオで、確か武者さんは、その「軍師官兵衛」をボロクソにけなしていました。しかし、考えて見れば官兵衛は東軍なのですから、敵役の三成が悪く書かれるのはある意味当たり前でしょう。長州が主人公なら、新選組は悪く書かれるようなもんです。

     今回は、西軍の真田が主人公で、NHKのスタッフや、脚本家さんも「皆に愛される、最期に助命嘆願が集まるような新しい三成像を作る」と別に誰も頼んでいない(いや、実は誰か頼んでたのかもしれないけど(笑))のにわざわざ強調してアピールしていましたので、「ほう、従来の俗説とは違う新しい三成像が見られるのか、なら見てみるか」と思って見た人もそれなりにいるでしょう。それが、フタを開いたら「従来の俗説通り」の三成が出てくるわけですから、「なんじゃらほい、言ってたことと違うやんか」とあきれられているのです。

     まあ、スタッフ達が自らハードルを上げたんだから、酷評されても仕方ないかと思います。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    自ら宴席に誘っておきながら早々に仕事で退席するなんて現代でも、ましてあの時代なら全くあり得ないことでしょう。
    もしあり得るとすれば、余程の突発的事態が発生した場合などに限られると思います。漠然と「残業」で退席というのでは駄目です。
    その「突発的事態」を表現できていれば脚本としてまだ理解できる点もあったんですけどね。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    @匿名
    横からですが、真田丸で描かれている三成のキャラクターって、わりと従来通りの、「史実の三成ってこういう人だったんだよねー」という通説に沿ったイメージに近くないですか?

    そういう従来イメージが何故庶民に定着しているかと言えば、それはもう、小説ドラマなど過去の有名な創作物の力です。単なるイメージが事実として根付いていていたりするのも、真田丸に始まったことじゃありません。
    作者がキャラクターを想定し、客を誘導するのも、三谷作品に限ったことではなく、創作物なら当然です。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    @匿名

     残念ながら第二部以降は「史料のどれをどう採用するかというのはかなりの取捨選択」のレベルに達してないのだと思うのですよ。そもそも時代考証担当の著作すら読んでいないシナリオです。取捨選択以前に何も読んでいないのです。(たまにつまみ食い的に矢部健太郎氏の説を読んだりしていますが。)

     第一部は違います。かなり史料を読み込んで作られています。これが同じ脚本家かとびっくりします。

     第一部があるから、まだ未練たらしく、あの水準に戻ってほしいと思うのですが、逆に第一部があるから、第2部の酷さが際立つともいえます。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    史料のどれをどう採用するかというのはかなりの取捨選択になると思うのですね。
    通説に則って描いていくだけならともかく
    触れられているように‘この史料があてにならないことは研究者たちの間では共通認識’という史料ならなおのこと
    それを採用するしないはドラマティストの判断でしょうね。
    また、複数の史料所載の事柄を敢えて混ぜてしまうというようなことも、作劇のためにはあり得ると思います。
    全部を順番通りに入れるには尺が足りないという場合に。

    三谷さんの描きたい三成像があって、おそらくは山本耕史さんを当てたのはそのためであって
    確かに、こんな三成は三成じゃない、と憤る方の気持ちもよくわかりますが
    だからと言ってこの作品中の石田三成と、彼が秀吉にとってはこういう存在だった、信繁とはこういうつながり方をした、という話とが
    ‘これを本当の三成や彼をめぐる真実だとは断じて思うべきでない’とまで言われるほどであろうか
    とは感じてしまいます。

    信じる人がいてもいい、のではないですか?
    虚構としてこんな話もある、という程度であれ、これがもしかすると実際だったのかもね、というほどであれ。
    この作品をずっとある程度きちんと観てきて、その人の判断でそう思うのなら
    そこは自由でないと。それこそが「思うことの自由」だと思うしそのためにこそドラマはじめとした
    「物語」は存在するのではないですか?

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    @匿名

    単純に、真田家は、石田家と縁戚(昌幸の娘と、三成の父の養子(つまりは三成の義兄弟)が婚姻してます)ですし、信繫は三成の盟友大谷吉継の娘を正室を迎えています。こうした関係から、昌幸ははじめから西軍につくことにノリノリでした。三成になんで早く相談しなかったのだと怒った書状も送っています。(その返答の書状しか残っていませんが。)

     また、三成と信幸が親しく、信幸が文通した十数状の書状を徳川時代も保管し続けたのも有名なエピソードです。(これだけ親しくても、三成との友誼より、家を遺すことを優先した信幸のドライさと、三成との交友を示す書状を徳川時代に残すのはメリットは全くないにも関わらず、それをあえて残した信幸のウェットさが多分描かれるのだろうと期待したら、全くスルーでした。しかも、時代考証担当の先生が著作で詳細に書いているにも関わらず。)

     こうした、時代考証担当の先生も書いている有名なエピソード・史実を三谷氏はほとんどスルーしている(さすがに吉継娘との婚姻はスルーしませんでした)わけですから、そりゃ一般の人にはなんで昌幸・信繁が西軍についたのかって意味不明でしょう。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    @匿名

     三谷ドラマでは、三成を「忠実な官僚」とも描いていないし、「石田は諌めに付ては、吾気色を取らず」『甫庵太閤記』)の「諌臣」とも描いていない(こう評したはずの『甫庵太閤記』が最も三成佞臣伝説を流布した作品なのが笑えるところです。作者の描写と人物評が全く一致していない。まあ、『甫庵太閤記』は嘘だらけで史料としてまったく使えないというのが歴史研究家の定説ですが。)

     まあ、三谷さんの人物像構築はそもそもフィクションなんですね。中途半端に、「聚楽第落書事件」で命を張った諫言をしたり(これはフィクション)、北条攻めに反対(これもフィクション)したかと思えば、史書に残っている「唐入り」反対とか、秀次の家臣を匿ったとか、26聖人処刑事件の時になるべく犠牲者が少なくるように尽力した話とかは描かれない。フィクションの行動を挿入して「諌臣」ぽく描いたかと思えば、史書に残っている「諌臣」は全てスルー(というか多分知らない)という中途半端さ。最終的に何を書きたいのか分からなくなったというより、そもそも、三谷さんは石田三成の人物像について全く勉強する気がなく、全く白紙で好き勝手にフィクションの三成を書きたかっただけなんだろうと思います。(こうした三谷氏の手法は三成だけでなく、主要登場人物すべてに当てはまります。)

     だから、そもそも三谷さんの三成に対する知識はゼロに等しいし、勉強する気もゼロなので、知識ゼロの三谷脚本を元に三成が「忠臣」だったのか、とか「諫臣」だったのか、いや「佞臣」だったのだとか、なぜ秀吉の信頼を得たのか、いやそもそもそんな話は嘘だとかということを議論すること自体が不毛です。そもそもそういう議論できるような水準の脚本ではありません。全部知識ゼロの三谷氏の書いたフィクションですから。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    真田信繁が豊臣家の下で、どのような立場でどのように関わっていたかは史実としてよく分かってないんです。

    大河の主人公として真田信繁を選んだ以上、彼がなぜ関ヶ原で西軍に属し、大坂の陣ではあえて豊臣方に属し決死の行動に出たのか、ここに大きな理由が欲しいし、ドラマとしてそこを明らかに描いていく必要があります。

    史実でよく分からない以上、そこは創作により信繁を配置し、豊臣家との関わりを描いていくしかありません。

    理由付け(信繁の動機付け)としては、本ドラマはしっかり押さえた内容になってると思います。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    秀吉が庇護した理由は簡単でしょう。
    自分の手足となって誰よりも忠実に動いてくれるから。

    嫌われるような性格を見せる相手は、自分の正義と合わない人間。
    主君は正義だから、秀吉に嫌われるような態度は基本的に見せるはずはない。
    (例外もあり、落書き事件で歯向かった場面)

    ただ、秀吉は自分に対して見せない面も当然知っていたはずで、おそらく不器用だけど自分の部下としては有能なかわいい奴、と思っていたことでしょう。

    それは、佐吉を助けてやってくれと信繁に言った内容からもよくわかります。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    @匿名

     まあ、それが三谷フィクションなのが問題な訳です。あなたのその感想も、単に三谷さんが、そのような感想になるようにフィクションのキャラクターを作って、フィクションのエピソードを描いて誘導しているだけなんだから、そういう感想になるのが当たり前なんですよ。そういう風に見えるように脚本家が自分で創作しているだけなんだから。

     だから、このドラマを見て、「史実の〇〇さんは、こういう性格なんだ」と感想を述べても、いや、その史実の〇〇さんというのは、三谷さんの作った架空のキャラクターで、史実の人物〇〇さんとは別人物なんで、それを「〇〇さんは、こういう性格なんだ」というのは、やめてほしいんですね。

    「いや、堅いこというなよ、三谷ドラマなんて全部フィクションだろ。今更何言っているの?」という意見が大勢を占めれば、別に特にこういうこと言う必要もないですけどね。フィクションだと割り切ると結構このドラマ面白いです。ただ、「史実」に未練があるのは、三谷さんや時代考証担当やスタッフや、「歴史通」を自称する『真田丸』ファンの皆様の方なんです。いい加減諦めなさい、ということです。

    • 匿名
    • 2016年 8月 18日

    @匿名
    悪い意味でコントなんですよね。デフォルメばっかりで‥.舞台や映画なら短い時間でよく人間を表現してると言えるのだけど、大河みたいな長いドラマだと幼稚な表現に見えてしまうんだと思います。

    • 匿名
    • 2016年 8月 17日

    @匿名
    なぜあんな性格で庇護されてたのかイマイチ理解出来ないですけどねえ

    • 匿名
    • 2016年 8月 17日

    三成の不器用さ(見方によっては「無能さ」)の根本は、「『(自分にとっての)正義』は絶対に正しい」と思っていて、かつその「正義」が社会において通用するのが当然だと信じ込んでいるので、どんなことがあってもそれを曲げられないし、その「正義」に少しでも従わない人や意見を許容することができない…という所にあるのだと感じました。もっと柔軟なやり方をすればうまく事を進めることもできただろうに、と思わされる場面の連続です…。
    無関係の人間として遠くから眺める分には(例えば現代人が「歴史上の人物」としてみるのなら)「義を通す熱い男」という風にも見えますが、現実に近くで接するとなると、その「正義」に強く共感しているのでもなければ、「いちいち面倒くさくて痛々しい奴」でしかないため、いずれは白い目で見られてしまう。

    こんな人、なんか既視感があるな、と思っていたのですが…よく考えてみると、ネットの掲示板やコメント欄などで攻撃的な書き込みを繰り返す人って、まるっきりこの三成そのものですね…。「(自分にとっての)正義」を共有しない人、それにそぐわない言動をする人を認められず、必死に批判する。端からは「そんなに熱くなることじゃないだろ…」と冷ややかに見られていても、本人としては大切な「正しいもの」のために戦っているつもりなので引けず、どんどん孤立していく…。

    客観的にみると三成の行動は「頭がおかしい」とすら思えてしまいますが、案外人間ってこういう行動をとりがちなんだろうな…と思わされました。

    • 匿名
    • 2016年 8月 16日

    @こうめい

    私の昔使っていたHNを入れるとコメントが反映されないのですよ。

    同じ理由で匿名の方は多いと思います・

    • こうめい
    • 2016年 8月 16日

    とりあえず、感想ではなく議論するなら捨てでも良いのでHN付けていただけませんかねぇ…。
    誰が誰に対してるのか、@をクリックしないと分からないです。

    さて、今週は家康の心の動きがなかなか面白かったです。
    何となく、医科大学の権力争いの戦国版な気はしますけどね。

    レベルアップが著しい家康の動向、今後も楽しみです。
    ちなみにCMで忍者っぽい役をやっておられましたが、そちらもお似合いですねぇ。

    • 匿名
    • 2016年 8月 16日

    @匿名

     三成ってのは、暴君秀吉とかが大名に無理難題をふっかける、これに対して三成が「自分が秀吉に取り成すから」っていう形で大名に恩を売り、秀吉の意を半分だけ通させるという(実は、その半分が秀吉外交の本当の着地点。)という外交交渉で出世した外交官ですからね。

     この外交術の難点は、「暴君」がいないと成り立たないんです。三成は、秀吉の背景がないとこうした外交術はもはやできない。だから、三成人脈は秀吉死後、過去の外交交渉の遺産で食うしかなく、その恩恵や友誼も時間がたつと、各大名も自らの身を守ることのほうに集中していくのですな。みなわが家が大事なのです。三成も自分の家を守ることに集中すべきだったでしょうが、それができなかった不器用さをどう思うかという話ですね。

    • 匿名
    • 2016年 8月 16日

    三成はこれまで秀吉という圧倒的強者に庇護されていましたから、自分が矢面に立つことがなかったんですよね。
    その庇護を無くした結果が今の状態というわけで。ある意味とてもリアルですw
    作中でも実務能力がある描写はされていましたから、自分の治める町の運営などはうまくいっていたのでしょうけれど。
    真田丸での描かれ方はちょっと、いやかなり極端ですが、方向性はずれていないと自分は感じました。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    @匿名

    「さし加減しているようにみえない(×)」→「さじ加減しているようにしかみえない(〇)」です。

    すいません。全く正反対になっていますね・・・・・・。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

     いや、なんというか単純に三成やきりが空気の読めない頭のおかしい人物にしたと思ったら、ある回は普通の性格になってしまうのは。「そもそも、あんな頭のおかしいありえない性格では戦国時代を生き残ることはできない」のは分かりきっているから、脚本家が適当にさじ加減しているようにみえないのですよ。。。特に自然にはみえません。脚本家の操り糸が見えてしまっているのですね。

     そもそも、三成やきりのありえない性格では戦国時代を生きていくこと自体が難しく、多分長い人生のなかで手討ちとか無礼者めとか言われて切られてて、何度も死んでいるでしょう。これでは、話が続かないから、時々ありえない性格を普通の性格にして手加減しているようにしかみえないんですね。

     今まで聡明だったはずの華も、退場させる必要があったので、三谷氏が急に頭のおかしいキャラクターに変えて死にました。頭がおかしいありえない人間は普通にあっさり死ぬんですよ、戦国時代というのは。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    コメディ/シリアスについての付け加えですが。
    この2つは表現方法の違いに過ぎないと思っています。
    日常生活でもよくありませんか?泣くほど悲しかった体験を、敢えて笑い話として話すようなこと。
    つまり同じ内容でも、視点や言葉の選び方、語り口調によってコメディにもシリアスにもなりうる訳です。
    ただ笑いは多分にツッコミ視線、言い換えれば客観的な視線が必要であり、シリアスは逆に周りにどう見えるか等は関係なく、個人の感情にシンクロさせて疑似体験させやすい作りだと思っているので、感情移入という点ではシリアスな作りの方が有利なのかもしれません。
    内容の深さ浅さは、それとは関係ないと思います。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

     ありゃ、皆さん、「三成の性格が一貫していないかどうか」に食いついているんですね。

     いや、そもそも史実の三成として、ありえない、リアルじゃない、と言っているんですが・・・・・・。だから、今回(というか今回だけじゃなくて、このドラマではずーっとだけど)のドラマの三成の行動はフィクションだらけだと説明したのですが。

     はいはい、このフィクションの三成の性格は一貫していますよ。前言撤回します。いや、していないかもしれないけど、してるかもしれない。それは見る人の主観で変わるんで、はっきり言ってどうでもいい話です。もともと全編フィクションの架空の人物の性格が一貫してようと、してまいとどうでもいいです。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    @匿名
    前回のレスは私は一度しか書いてないので、そこで書かれた他の方とはまた異なる意見かもしれない、あくまでも私個人の意見ということをお断りしておきますが。

    個人の多面的な部分は、極端に分裂していたり偏っていたり、あるいは一部分が突出していたりすればするほど、傍からは「個性」に見えやすいと思います。
    ドラマでは「個性」を大事にするので、こういう描写自体はある程度不可欠だと思います。いわゆる「キャラ立ち」ですね。これは過去のどの大河ドラマでも、創作なら当たり前の手法だと思います。

    問題は、そこにリアリティを感じるかどうかです。
    「この人間ならこの時こう考えたんじゃないか」が登場人物の数だけあり、「それらがこういう言動になって絡み合った結果、この史実を生んだんじゃないか」という作者の推測に、説得力を感じるかどうかですね。

    「感じる」のは「面白い」同様、視聴者個人の趣味や感性なので、リアリティがあるない、または面白いつまらないと、全員が一致することはまずないと思いますが。
    私の場合は、一人の人間の多面性が描かれていることにまずリアリティを感じ、また価値観や行動原理がまったく違う人間たち、つまり人間の多様性が描かれていることにリアリティを感じます。それを分かりやすくするための極端な描写なら気になりません。
    逆に言えば、本当の意味での「他者」がいないストーリー、すなわちヒーローならヒーロー、ヒーローの味方ならいい奴、悪役なら悪役といったキャラ設定の下、ヒーローや悪役がどんな活躍をしたかに特化したような話の方に、よりリアリティを感じません。
    もしかしたらここが時代劇好きと歴史好きの違いにも関わるのかもしれませんが…いずれにせよ「好みの問題」でしょうか。
    ただしどちらの場合も、作劇上の上手下手はあると思います。絡みの見せ方とか、言葉の選び方とか。
    真田丸は下手だとは思えません。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    三成という人物が初登場時のような空気の読めない堅物に戻ってしまったのは、狙ってやったことだと思います。
    十五年もそばにいた信繁(と視聴者)から見れば、三成が合理性一辺倒の堅物ではなく、悩みもするし涙も流す情の深い側面もあることがわかります。三成自身、十五年の間に精神的に成長したのでしょう。
    けれど普段から三成を知っているわけではない諸大名から見れば、情を解さないいけすかない人物です。また秀吉という支柱を失った余裕のなさ、露骨に台頭する家康に対する焦燥が、せっかく成長した精神を摩滅させてしまったのだと感じました。
    そうでなければ、家康に対抗して自分も宴会を開こうだなんて考えるでしょうか。おまえ自分の接待スキルのなさをわかっているのかと画面につっこみましたよ。ええw

    そんな三成の暴走を止められないのが信繁の限界であり、大谷吉継が病に倒れた最大の弊害なのでしょう。タレントぞろいの徳川方に対して、石田方の無能ぶり……。この点は、徳川方が強いというより、石田方が弱すぎるという印象を受けました。
    演出のために登場人物を無能に描くというのは私も以前から気になっていたことで、片桐且元も小早川秀秋も好きな武将なので、彼らの晩年の選択がどのように描かれるのか、今からちょっと不安です。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    @匿名
    今回の貴方の主張自体が正しいかどうかは一旦おきます。
    しかしキャラクターを分かりやすく極端に描くことは、このレビューの前回のコメント欄にもあったコメディ/シリアス、時代劇好き/歴史好きの観点からみてどうなのか、体系的・整合的なご説明を賜りたいと存じます。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    「無能な人」「普通の人」というように、一面的なキャラクターが入れ替わるのではなく、1人の人間の中に「無能な面」と「普通(または有能)」な面があるということではないでしょうか。例えば三成なら、事務処理能力は優秀、人付き合いは下手、という具合で。
    その有能/無能の差が、分かりやすく極端に描かれているから、キャラクター設定も極端に見えてしまいますが、こうした人間の多面性はそれこそ「普通」のことだと思います。

    また来週は七将襲撃ではなく、徳川と前田に諸侯が集結した話ではないでしょうか?勿論アレンジされているとは思いますが。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    むしろ初登場から性格の変わらないような人がいたらそのほうが変だと思います。
    統一感のない人物像を描くならその理由がちゃんとある。
    残念だけどドラマなので、
    その理由(三谷が作った理由)についていけない人は脱落するしかない。
    そして脱落したのに文句を言うためだけに見るほど非建設的な時間もない。
    見なきゃいいだけの話なのに毎週毎週長文で批判する人はどんだけ暇なんだろう。

    という観点で見たとき、
    初回登場時からの三成の変化を全部覚えてる人はどれくらいいるだろう?
    自分も覚えてないので、「あ、今の三成はそういう状況なのか」とその場面だけで見てしまうけれど、
    初回から覚えてる人にとっては
    「こんな三成破綻してる」か「三成をここまで変化させたものは何だろう」か
    100%否定か100%肯定かのどちらかになるんだろうな。
    もう1度第1回から見直してみると三成の変化がよくわかるドラマになってるんだろうなとは思います。
    本ドラマはフラグ立てはしっかりしてるんで。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    同じ人物でも状況によって態度が変わったり、うまく対応できるとき、出来ないときがあったりするのは自然なことでしょう。私たちには一週間の出来事でも、話は半年進んでいるわけですし、三成の初登場からは15年も経っています。考え方に変化がないほうが不自然です。

    むしろ、このキャラはこの性格だからと、常に画一的な態度をとらせると、ドラマとして安っぽい感じがします。

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

    @茶

     ドラマとして、三成の性格が一貫していればそれはそれでOKなんですが、脚本家の考えでその回ごとに都合よく空気の読めるキャラクターにしたり、発達障害のような設定にしたりしているので、設定が破綻しているんですね。

     歴史的にというより、連続ドラマとしておかしい。

    • 2016年 8月 15日

    今回の三成は見ていてとても辛かったです。
    私自身の黒歴史を見せつけられているようで。
    (三成のように、思ったことをそのまま言ったり『常識』として『望ましい』とされている振舞いに反する事をばかりして、嫌われたりドン引きされ、孤立する事が多かった。診断を受け、ソーシャルスキルを学ぶまで。)
    放映中、昔傷つけてしまった人達に「申し訳なかった。」と思う気持ちで一杯でした。
    時代劇として、歴史を重んじる大河としては「無いだろ…。」と思う点は多かったかもしれませんが「ドラマ・石田治部様は(人間関係の)経験不足?あるいは発達障害(疑惑)?」としてなら充分、心に響くお話でした。(少なくとも『当事者』である私の心には。)

    • 匿名
    • 2016年 8月 15日

     今回の武者さんの指摘は鋭いですね。三谷氏の「無能」ぶりをよく示しています。このドラマでは、主人公も三成も西軍派はみな「無能」です。しかし、それは三谷フィクションによって「無能」にさせられているからであって、実は三谷自身が「無能」なのです。西軍の人物を、脚本家が作為的に「無能」に書いて、「無能」だから必然的に負けたなんてシナリオはバカでも書けます。

     しかし、それを史実からの分析で書くのではなく、三谷氏オリジナルフィクションで書くから、これは三成や信繫が無能ではなく、今回のシナリオが意地悪なのではなく、ただ単に脚本家が「無能」なのです。

     現実には、三成は秀吉の死後にすぐ朝鮮出兵の兵の引き取りのために博多へ三成が行って12月まで戻ってこないので、こんな多数派工作をしているヒマはない。(しかも、前回あたりでドラマで博多に行くことは言ってたはずですが、三谷氏は自分の脚本を忘れてしまったようです)。ここからしばらく前田派と徳川派の対立になる訳ですが、このドラマでは前田利家を早々と病で退場させているので、博多にいるはずの三成が伏見で多数派工作をしなければならなくなりました。

     1月は前田利家を要して奉行衆は私婚違背を責めています。ところが、このドラマでは既に利家は病で退場。三谷氏は、三成を矢面に立たせるために人為的に利家を排除しました。ここら辺の描写は軍師官兵衛以下ですな。

     あと、酒の場を中座する(この回で2回繰り返す)三成も、三谷氏オリジナルフィクションですが、思えば、はじめから三谷氏は頭のおかしな男設定として三成を書いていました。しかし、途中で主人公をフォローしたりして普通に空気の読めるキャラクターに成り下がっていました。で、ようやく初期設定を思い出して、頭のおかしいキャラクターに逆戻りですか。そりゃ、脚本家が登場人物を人為的にその時の脚本家の都合で、無能にしたり普通にしたりしているだけですので、登場人物が無能にみえたり普通にみえたりするのは当たり前です。

     で、真偽不明で史実でも風聞にすぎない家康暗殺未遂を次回はメインに描く訳ですか・・・・・・。

     こう書くと、「ドラマなんて史実じゃないし、何を突っ込んでいるの、気楽に見ろよ」と言われるかと思うのですが、ドラマの構成として、脚本家が登場人物を人為的に無能に書いて、それ原因で戦に負けたと書くのは、そりゃ、脚本家がそう書いているんだから当たり前でしょ、としか言いようがないのですよ。なんで関ヶ原で西軍が負けたかを分析して書くのが歴史ドラマでの脚本家の腕の見せ所でしょうが、オリジナル設定で西軍の登場人物が無能だから負けたなんてアホなシナリオを書いてしまうのは、むしろ脚本家三谷氏の敗北なのです。

     

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