ほぼ半年ぶりの更新だ。
日本人の韻リテラシーは上がったか?
このブログの目的はずっと変わらず、「日本人の韻リテラシーを高めること」。
日本人の韻リテラシーはOECD諸国の中で群を抜いて低いんだけど(適当)、ここ最近は空前のフリースタイルブームで韻も身近な存在になったから、もうこのブログを更新する必要もないかと思っていた。
そんな中、三茶を歩いていたらたまたま見つけてしまった、この看板。
絶対音感がある人は、あらゆる音が「ドレミ」に聞こえてしまって物事に集中できないっていう話はよく聞く。僕には絶対音感のような高尚な能力はないんだけど、絶対「韻」感は持っているので、この看板が目に入った瞬間どうしても気になってしまって、集中できなくなってしまった(ポケモンGOに)。
意味を変えずに、韻だけを踏む
これは僕に限った話ではなく絶対韻感がある人は皆、「三軒」という文字を見た瞬間、「あんえん」という母音に変換される。絶対音感のある人が「ドレミ」に聞こえるのと同じ理屈だ。
その瞬間、すぐ上の「安全」という文字が目に入ってこれも「あんえん」で同じだってことに気がつく。
...ってことは、あれなんだよ。あと少し頑張れば、絶対いけるんだよ、こういうのって。踏めるんだよ。
何が言いたいかというと、どうせ意味同じなんだから「安全なまち 三軒茶屋に」とかにしろよ!ってこと。
「安全なまち 三軒茶屋に」なら、
あんぜんな まち
さんげんぢゃやに
で、綺麗に母音を
あんえんああい
で揃えることができる。
しかも、こっちのほうが七七調でリズムも良くない?
五七五七七の短歌の下の句みたい。「安全なまち 三軒茶屋に」
え、シンプルにしすぎ?「みんなでつくろう」 とか「安心」とかが削られた?
じゃあ前に付け足せばいい。韻は最後だけ合わせればいいんだから、言いたいことは前で補えばいい。
みんなでつくろう 安全なまち
安心できる 三軒茶屋に
これでどうだ。意味を全く変えることなく、韻だけ踏むことに成功した。
まとめ
野球でエラー率を計算するときに「守備機会」という言葉が使われる。簡単に言うと、自分のところにボールが飛んできた回数だ。
今回の件は、貴重な「押韻機会」の損失だ。
野球で一塁手がボールを捕ったのに、なぜかベースを踏まなかったら、間違いなく監督に怒られてしまう。
それと同じで、そこに韻があるのに踏まなかったら、僕は怒って半年ぶりにブログを更新してしまう。
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