LiabさんのBackflowで「僕とお金」というエントリーを読んだ。
▼家庭とお金の価値観についての記事
時たまあって不思議に思うんだけど、愛読しているブログの記事には自分にとってタイムリーな記事があったりする。
とくに私にとってLiabさんの書く記事には、胸を抉られるようなエントリーが多いのだ。
僕とお金
僕の幼少期は小学6年生から親戚に預けられたところから一変した。ただ、お金については親父が際限ないくらいくれたことを覚えている。
高校生で月のお小遣いが3万円、買物に行くと言えば5万円、高校には半年も行っていないけど、荒れた生活を友達とともに送っていた。
親父と僕
30代になってから人伝で聞いた話だけど、親父は僕と妹にお金の不便だけは掛けたくないと思っていたそうだ。
働く前は親父とは週一で顔を合わせる程度だったけど、職人見習いをしていた1年間は当然だけど親父と現場でよく一緒になった。
見習いで日給1万5千円。残業代もついて17才にして月40万以上貰っていた。石工はきつい仕事だったけど、兄弟子が分厚い給料袋を投げ置いているのを見て、かっこいい大人達だなと思った。
それ以来、この歳になってもその時の給料を超えたことはない。情けないけど。
親父と膵癌
幸いなことに抗癌剤の大きな副作用もなく今日無事に退院した父だったが、食欲は減退していて体重が減ってしまい、目元がくぼみ、目が少しうつろな感じがした。
父は石工職人だ。重たい割れ物である石を、ミリ単位よりも遥かに細かい加工や調整を目と腕、そして職人の感で緻密に貼り合わせていく。あまりピンとこないかもしれないけど、有名な東京駅の改装にも父は携わっている。
そんな腕を持つ親父も、抗癌剤で体力を奪われて”引退”の2文字が頭をよぎっているようだ。
昭和の職人らしくお金も貯めてこなかった父。『お金には困らせないが何も残さない』私が中学生くらいの時によく聞いていた台詞だ。自分がお金を心配する姿を、きっと誰よりも子どもに見せたくないだろうと思う。
いい歳してまともに稼げてない息子なら尚更だろう。
これからのこと
今月いっぱい様子を見て進退を決めると父は言った。本来なら私はすぐ仕事に就くべきであって、それ以外に選択肢なんてない。
私は精神障害があるわけでもなんでもなく、ただただ働き詰めて自分で自分を壊しただけだ。離職して約1年半が経った。体力は落ちたけど心はすっかり元気だ。
やつれた父を見て、今は心が落ち着かないので少しだけ考えようと思う。ただ、親父にお金の心配だけは掛けたくない。今さらだけど、それだけは嫌だ。
言葉も口調も定まらない記事を読ませてしまい、申し訳ありません。
最後にこんな話で言及してしまったLiabさんにお詫びを申し上げるとともに、記事を読んで勇気づけられたことのお礼をして終わりたいと思います。
なんとかなる。なんとかする。
それだけですよね。気持ちが多少整理できて少しだけ落ち着けた気がします。本当にありがとうございました。
胸を張って、顔を上げて、自分で選んで、生きよう。
大切な人と共に。
おしまい。