欧米文化を知るための適切なガイド『ローマ人の物語』

今の時代だからこそ読むべき、色褪せない名著を紹介する連載『新しい「古典」を読む』。今回は塩野七生『ローマ人の物語』を読み解きます。単行本15巻、文庫版43巻、15年の歳月をかけて書かれた大著で、累計発行部数1000万部を超える作品です。"作家"である彼女が描いたローマ史から、我々はなにを読み取ることができるのか? finalventさんが迫ります。

『ローマ人の物語』で欧米の文化を学ぶ

 塩野七生は、月刊『文藝春秋』で巻頭コラムを長年執筆していることからもわかるように、日本のインテリの多くに受けがよい。他方、一部のインテリには受けが悪いようだ。後者についてはたとえば、2016年7月時点でのウィキペディアの紹介からも感じ取れる。彼女について「日本の歴史作家 (プロの学術研究者ではなく「小説家」)である」とある。この記載をした人にしてみれば、塩野七生が「プロの学術研究者」と見られやすいことについて、善意からだろうか、啓蒙的な注意を促しているつもりなのだ。そして、その主要著作である『ローマ人の物語』も歴史ではなく、想像力によって描かれた「小説」、つまりフィクション(虚構)に過ぎないのだとも主張したいのだろう。

 そんな指摘はどうでもよいと私は思う。なぜか。私たち日本人が欧米の文化と付き合って存続するために知るべき知識の多くが、彼女の『ローマ人の物語』から容易に学べるからだ。便利な教材である。それで十分だからだ。それだけで日本人にとって、十分価値のある「新しい古典」になっている。複雑な物事を理解するときは、簡便な薄い書籍を読むよりも、分厚い書籍で、さらに「物語」を読むほうが人間の理解を促すものだ。人の心がそのように出来ていることは、他の古典からでもわかる。


ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)

 それにもし、塩野七生『ローマ人の物語』以上にローマ史が知りたい人がいるなら、必然的に歴史研究書を紐解くだろう。塩野七生には彼女の価値があり、歴史学者には別の価値がある。繰り返そう。彼女の著作は私たち日本人が欧米文化に触れていく際の、適切なガイド役を十分果たしている。その彼女の膨大な作品群は、むしろわかりやすさの点で、欧米文化理解への近道である。

欧米の文化は政治危機をローマ史で修辞する

 ところで私は今、彼女の労作の価値の一つを「私たち日本人が欧米の文化と付き合って存続するために」とした。具体的にはどういうことか。欧米人が政治的危機の局面にあるとき、彼らは必ずと言っていいほどローマ史を語り出すことだ。ローマ史の基本がわからなければ、その意図を理解することは難しい。具体な例を挙げてみよう。

 2016年3月1日付けの英国高級紙『フィナンシャル・タイムズ』で、同紙のチーフ・エコノミクス・コメンテイターでもあり、大英帝国勲章まで受けたほど、世界的に影響力のある経済ジャーナリスト、マーティン・ウルフ氏は、米国大統領候補のドナルド・トランプ氏についてローマ史を借りてこう議論したことがある("Donald Trump embodies how great republics meet their end"より私訳)。訳の稚拙さは申し訳ないが、ローマ史を借りた文脈は読み取れるだろう。

トランプ現象はさらに、一つの政党の話というだけではない。この国(米国)の問題であれば、必然的に世界の問題でもある。アメリカが共和国を形成するにあたり、建国の父たちはローマの例を知っていた。『ザ・フェデラリスト』(アメリカ合衆国憲法批准のために書かれた論集)でアレクサンダー・ハミルトンは、新しい共和国には「精力的な行政長官」が必要だろうと論じた。そこで彼が指摘したのは、配慮の上で執政官(magistracies)を二重にしたローマ帝国さえも、一次的ではあるが、独裁官(dictator)と呼ばれる一人の人物に、絶対的な権限を与えることに頼る時期があった、ということだ。

米国はそのような官職をけして持ちたがらなかったが、代わりに単独の行政長官を持ちたがった。選出された君主としての大統領である。

大統領の権威は大きいが限定されてきた。ハミルトンは、傲慢な権力の危険性は制限されるものと見ていた。いわく「第1に国民への当然の依拠であり、第2に当然の責任感による」と。

紀元前一世紀、帝国の富がローマ共和国を不安定にした結果、アウグストゥスは、人気のある党派の相続人として、共和国を終焉させ彼自身を皇帝(emperor)とした。それを成し遂げたのは、彼が共和国の形態を保持しつつも、その意義を失わせることによってだった。

 読みづらい文章だが、ごく簡単に言えば、「トランプ氏が米国大統領になれば独裁政治になる危険性がある」とウルフ氏は警告したいのである。それだけのことだ。その単純な主張のために、仰々しくローマ史が修辞として持ち出されている。そしてその修辞の存在自体が、欧米の政治文脈の重要性の信号となっている。あるいは、ローマ史を知る教養者をふるいにかけて危機を示そうとしている。

 その意味では、どれほどもったいぶって書かれていても所詮、現代欧米人が語るローマ史のうんちくの大半は修辞に過ぎない。だが、塩野七生『ローマ人の物語』を読み終えた日本人なら、欧米の政治文化というものも身近に感じられるようになるし、欧米文化の修辞も容易に見破れるようになる。さらにいくつか素朴なアイロニーさえ感じ取れるようになる。

 米仏系の知識人は共和制を優れた制度だと考え、独裁者を恐れる傾向がある。このため、ローマ史でも、カエサルからアウグストゥスに至る歴史を皇帝制に至る良からぬ時代だと見たがる。そこから、共和制を是として、ローマ史の独裁官(dictator:ディクタトル)を近代的な独裁者(dictator:ディテクター)と重ねる論法を採りがちである。反面、「五賢帝」という賢人皇帝を称賛する傾向があり、キリスト教に親和的だった皇帝には「大帝(マーニュ)」を付けたがる。こうした傾向は、『ローマ人の物語』を読み、塩野七生という日本人の視点を介することで、距離を置いて眺めることができるようになる。むしろこの物語を通して、西欧文化が主流とされる現在の世界の文明のなかで、日本人であることの意味が確認できる。

 ウルフ氏の文脈で言うなら、確かにローマ初期においては、執政官(consul)は二重化されていた。そして経済的な発展から行政が複雑になり、政争も発し、カエサル以前のスッラの時代に独裁官が現れた。スッラは古式のローマの理念から独裁官を早々に下りたにもかかわらず、カエサルは終身独裁官になった。

 だが、カエサルがガリア(事実上のフランスを主とした欧州)を制圧してからは、広大化したローマ行政の必要性から独裁官は事実上、必要となっていた。それゆえ、カエサルがローマの新時代の治世を築く前段階で暗殺されれば、彼にその継承者を名指しされたアウグストゥスはその事業を継続するしかなかった。共和制が無条件で善でもなければ、カエサルやアウグストゥスが自身の欲望のために永続的な独裁官を欲した悪であるわけもなかった。むしろ、独裁の権力を恣意的に欲したのは、その皇族が形成され、関連する女たちが権力をもてあそぶようになってからだろう。こうした見方は塩野七生『ローマ人の物語』で噛んで含むように展開されている。

 さらに、ウルフ氏は意図的に隠しているのかもしれないが、アウグストゥスが事実上の皇帝となり古来の共和制を排するには半世紀を超える長い年月も必要だった。このことも『ローマ人の物語』でわかる。だから仮にトランプ米国大統領が出現しても、長くてせいぜい8年しかもたないだろうし、もっと短期で終わるだろうから、トランプ候補はカエサルやアウグストゥスとはあまり比較にはならないのである。

教養としてのローマ史

 にもかかわらず、欧米人がローマの共和制を賛美したがるのは、カエサルの政敵であり偉大な作家兼政治家でもあったキケロの影響も大きい。欧米の一流の教養人ならラテン語は学ぶし、その手本は事実上カエサルとキケロの文書である。実務的なカエサルより、教養人のキケロは、いつの時代も知識人に好まれる。そもそも欧米の近代は、芸術面でのルネサンスを超えて、政治制度としてもローマの共和制への憧れを持ってきた。単純な話、彼らの近代の国家を象徴する建造物は見るからにローマの建造物のレプリカではないか。『ローマ人の物語』を読むことで、欧米流の修辞的なローマ史の知識が、X線写真のように透けて見えるようになり、アイロニーにすら変わる。

 さらに同書を読むことで多面的な芸術の造詣も深まる。シェークスピア劇『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクレオパトラ』の背景もわかる(ちなみにこの二劇は、『プルターク英雄伝』による)。ヘンデルのオペラ『エジプトのジュリアス・シーザー』や『アグリッピーナ』の背景も理解しやすくなる。『アグリッピーナ』は日本ではなじみがないが皇族のアグリッピーナがクラウディウス帝に謀略をかけ、息子のネロを皇帝させる話である。このオペラは現代演出で近年人気が高まっている。

 映画では、まずリドリー・スコット監督『グラディエーター』だろう。該当時代の『ローマ人の物語』を読めば、その映画の細部の面白さにも気がつく。日本の漫画家ヤマザキマリの『テルマエ・ロマエ』も五賢帝時代のローマ史の深い知識に裏付けられている。カガノミハチの漫画『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』は、よりシリアスにポエニ戦争の時代を扱っている。

 小説では、辻邦生のロマンチックな長編『背教者ユリアヌス』のガイドにもなる。さらに凝った文学好きなら、ロバート・グレーヴズの長編『この私、クラウディウス』2016年に復刻)への楽しみも広がる。繰り返そう、塩野七生を通してローマ史を学ぶことは、各種の楽しみと教養の基盤を確実に広げことになる。

ケイクス

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finalvent

「極東ブログ」で知られるブロガーのfinalventさん。時事問題や、料理のレシピなどジャンルを問わな...もっと読む

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