思うに、スポーツだとか、もっというと若者が関わるものはホンネとタテマエというか、綺麗事と実態というか、そんな乖離だらけである。国策として強化された選手をどうみるか。スポーツが国威発揚の道具に使われるのをどうみるか。行き過ぎてドーピングをしてしまう(させられてしまう)ことをどうみるか、練習などのプロセスを美しいものとみるか苦行とみるか。ファンが感動するのは勝手だが、その汗と涙の向こうにある汚い話も含めたドラマを私たちは完全には知らない。綺麗事だけでスポーツを語る人の頭の中は、お花畑か、白い砂浜か。
高校野球は、その典型だと私は考える。そんな中で、踏み絵的な事案が発生した。
秀岳館の吹奏楽部がコンテストを断念して野球部を応援 ネットで疑問の声
http://news.livedoor.com/article/detail/11900940/
要するに、熊本代表の秀岳館が、吹奏楽部として参加するコンテストと、甲子園がぶつかり、職員会議や生徒の打ち合わせは紛糾したが、結局、コンテストは県大会だけ出場。甲子園をとったという話だ。美談だとする声もあるが、ブラックすぎないかなど批判も呼んでいる。同校の野球部員は県外の生徒だらけで、これに対する批判もある。大地震という悲しい事件もあっただけに、注目が集まっている。
なんというか、これを美談とする声にも、批判する声にも呆れてしまったというのが私の意見である。スルーしろ、と。甲子園にいまさら、綺麗事を持ち出すな。美談とする奴も、これくらいで感動するのはやめろ、と。
昭和の岩波・朝日文化人を目指して修行中の私は、朝、必ず「天声人語」を読む。この事件が起こる前、8月12日付朝刊の「天声人語」のテーマが、まさに甲子園と吹奏楽部に関するものだった。
(天声人語)熱奏甲子園:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/DA3S12508379.html
甲子園と吹奏楽部というテーマで書かれたものだ。ここで、私は吹奏楽部は夏、コンテストと甲子園がかぶるのだという事実を知った。Facebookでつながっている姪っ子のJKも吹奏楽部に青春をかけており、なんとなく知っていた。
要するに彼ら彼女たちも、「選択」をしたのである。もともと選択をせざるを得ない時期に開催されるのだ仕方あるまい。野球も吹奏楽部も強い高校は直面する課題なのだ。よっぽど人数を増やして別動隊で対応するか、どちらかを選ぶかするしかない。そして、甲子園もまた、彼ら彼女たちにとっての晴れ舞台なのだ。これは選択せざるを得ないものなのだから、美談とするのも違う。
「秀岳館他県の学生多すぎ」問題についても、高校野球とはとっくにそういうものなのだ。そして、高校には他県からも入学する権利はある(このあたりの枠のルールは地域や学校によって違うのだが)。
このように、甲子園とは過剰に注目と期待が集まる場所であり、ずっと前から「それが健全なスポーツ精神なのか?」という建前というか、綺麗事と、合理性が渦巻くものなのだ。言うまでもなく、それはプロスポーツも同じだ。
もっとも、短髪の、黒髪の選手が地味なユニフォームでプレイし、校歌を歌い、泣きながら砂を拾うというパターンは変わらない。例の東京サマーランドTATOO問題でも「多様性を容認しろ」論みたいのがあったが、あの件でそう論じた人は、高校野球においても茶髪やドレッド、ピアス、カラコン、カラフルなユニフォーム、ヒップホップ風の校歌、負けたら悔しがってバッドを振り回して暴れる、砂を撒き散らうなどしても、容認するのだろうか。いや、それは違うだろと言うかもしれないが。いまだにあのVSOP(ベリースペシャルワンパターン)を貫いているという意味でも、高校野球はすごい。
というわけで、甲子園とは、高校野球とは、もともとホンネとタテマエ、矛盾のような合理性のような、そんなものに満ちているものなのだ。プレイに笑い、涙するのは構わない。ただ、いきなりこういう風に綺麗事を振りかざしたり、正義ぶるのはやめにしないか。
どうでもいいが、甲子園の応援テーマでX JAPANの「紅」が定着していて、嬉しい。まあ、歌詞とかバンドに起こった悲劇とかちゃんと知ってから演奏して欲しいけどな。
これもまた甲子園!
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