ひばりんです。
前回に引き続いてトランスジェンダーの「カミングアウト」の件を書く予定でしたが、あまりの衝撃的な事件だったため差し込みでポストしておきたいと思います。
一橋のロースクールで起きたゲイ男子学生自死の件、詳細を伝えるBuzzFeedJapanの記事。
より詳しい弁護士ドットコムの記事。
こちらは報道後ポストされたLetibeeの記事です。
まとめ。アップしてから瞬く間にランキング入り、現在14万view、コメントは1000を越えるほど関心の高さでした。
詳細、経緯については各所で報じられているので割愛して、気になった点についてのみ書いておきたいと思います。
個人的にこの事件について一言で述べると「カミングアウト」、「アウティング」、ヘスルケア、メンタルケアなど「同性愛者」への「医療サポート体制」、大学・研究機関におけるLGBTへの取り組み、「同性愛者」への「差別」と「偏見」、「苛め」、「孤独」、「自死」…とまさに『同性愛者を巡る問題が全て詰まっている』そんな事件だと言えるのではないでしょうか。
一橋大学の自死の件を読み、数年前にニュージャージー州で、ルームメートにゲイであることを盗撮された映像とともにSNSで暴露され、NJ州とマンハッタンを繋ぐジョージワシントン橋から投身自殺した大学生のことを思い出した。あの件でルームメートが問われた罪の一つは、ヘイトクライムでした。
— TrinityNYC (@TrinityNYC) 2016年8月5日
(※文中、他の記事にならって、ゲイ男子学生を「A君」、アウティングした同級生を「Z君」とします)
「LGBT男性」とは何か?
報道であった「LGBT男性」。今回、少なくない当事者を含めた人々が指摘しています。
「LGBT男性」って、、、。LGBTのことが、一見ブームとなっていても、NHKの記者さんでこれ。どれだけ、問題や遺族の思いが伝わっているのだろうと、心配になる。https://t.co/JdSDpBJ6Yv
— 吉田昌史@なんもり法律事務所 (@yossy_nan) 2016年8月5日
ニュースの「LGBT男性」が違和感ありすぎる問題。LGBTは「性的少数者の総称」と説明されたことはあったし、話題によっては「性的少数者である男性」という大枠表現もありえます。でも今回の事件は同性愛がテーマ。真面目な話題に使う単語という印象からLGBTを使ってしまったんでしょうね。
— ブルボンヌ (@bourbonne_campy) 2016年8月5日
違いますよー。LGBTは総称なのに、ゲイだと明らかな人をなぜ総称でボカすのかが不思議で。 RT @Om_samayas_tvam: 能町みね子氏はLGBTって単語をどうしたいんだろう。消えてしもうたらええんやろうか。でも、フェミ系はLGBTって言葉好きな人多いイメージあるなぁ。
— 生い茂る能町みね子 (@nmcmnc) 2016年8月5日
この「LGBT男性」、思い当たるのは、数年前、2012年7月14日の「週刊ダイヤモンド」の特集記事『国内市場5.7兆円 「LGBT市場」を攻略せよ!』です。「LGBT市場」という言葉もこの時から人々に知られるようになりました。
2012年はオバマ大統領が再選を果たし、大統領としては初めて同性婚の支持を表明した記念すべき年でした。メーン州では同性婚が可能に、メリーランド、ワシントンでは法案が可決。マドンナがロシアのサンクトペテルブルクで「同性愛者」の権利擁護を訴えました。デンマークで同性婚制度が施行されました。フランスでは同性婚と同性カップルの養子縁組を認める法案が閣議承認されました。
そして、日本では代表的なビジネス誌に「LGBT」が取り上げられ、大きな話題となったのです。そこで登場したのが統計上その属性の差異がキレイサッパリ漂白された「LGBT男性」「LGBT女性」です。その時の記事がこちら。
でも、みんな当時はこの奇妙な言葉使いにピンと来てなかったのですよ。
違和感を表明した人たちは限られていました。例えば、2015年10月の「現代思想」特集「LGBT 日本と世界のリアル」でLGBTムーブメントに厳しい批判を与えたマサキチトセさん、今やシブ系LGBTのメインストリームからはガン無視されている活動家の島田暁さんなど、「LGBT市場」を含め「LGBT」が持つ商業主義、新自由主義、階級社会への親和性に早い時期から警鐘を鳴らして来た人たちはいます。
ですが、2012年はLGBTがブレイクした年で、みんなそれどころではなくてですね、もう注目されただけ、取り上げられただけでも有頂天で、「LGBT男性」「LGBT女性」なんて言っても、クィア系や活動系の左派っぽい変人がまた何か難癖付けてる…ぐらいの扱いで、はっきり言って、全くほとんど相手にされていませんでした。これは当時の私のツイートです(全然、ヒットしていないという)。
集計出来ないとかってあるんだけど、例えばダイヤモンドの特集の「LGBT男性」「LGBT女性」をどう思うだろう。セクシュアリティの多様性は男女の二元論に集約出来ないわけで、それがLGBTの主意でもあろう。ところが、その実態を推し量るために再び男女に振り分けてデータ化されるという。
— 少年ブレンダ (@hibari_to_sora) 2012年10月6日
ところが今回は少なくない人たち、それも当事者でも著名なアイコンがすぐに反応しました。その言い分も割とすんなり多くの共感を集めていたようで、この数年で自分たちの意識もずいぶん変わったと思います。
2012年以後も「LGBT男性」「LGBT女性」という言葉を差し障りなく使う当事者はいました。例えば次のツイートは「LGBT」の啓発のため、GAYSTARNEWSの記事を翻訳して紹介しているユーザーです。
実は、原文にも「LGBT women」って出て来るんですね。この時も私は「LGBT女性」ってなんか変じゃね?って突っ込んでるのですが、例によって全く相手にされませんでした。ただGAYSTARNEWSもググるとチラホラ出て来るんですよね。こうした言葉使いの議論が北米でどうなっているのか私も詳しいことはよく判りません。
「LGBT」は属性の頭文字の集合で、日本では一般に「セクシュアルマイノリティの総称」です。報道での「LGBT男性」は、つまり「セクシュアルマイノリティの男性」というような意味あいで、たんに「キャッチコピー」として使用されたのかもしれません。
確かにフロリダの銃乱射事件の時、NHKは「同性愛者」という表記を使っていますが、使い分けに「同性愛者」に対する差別的な意図があるかというと、それも微妙な感じがします。
しかし、今回の事件には「同性愛者であること」「ゲイであること」といったセクシュアリティを巡るアイデンティティと「差別」の問題が根幹にあることは明白です。それが事件の本質だと言っても過言ではないわけで、その点「LGBT」という言葉が配慮や世間の関心を引くためだったとしても、かえって問題の本質を遠ざけてしまい逆差別感を著しく醸した、言葉使いがTPOに相応しくなかったと思います。
「同性愛」と「性同一性障害」
個人的には今回の一橋大のカウンセラーを小一時間、問い詰めたい気持ちだが、せめてこのことを国内の全大学の学生相談やそれにかかわるカウンセラーが全員、性的少数者のその支援について学び、最低限の水準をそろえる契機としてほしい。https://t.co/Q0OShjSm6I
— 行政書士永易至文/パープルハンズ事務局 (@nagayasu_shibun) 2016年8月5日
悩んだA君が大学のハラスメント相談室や保険センターに相談していますが、大学側が「性同一性障害のクリニック」への受診を勧めていたのにも批判が殺到しました。
言うに及ばないことですが概念としての「同性愛」と「性同一性障害」は全くの「別物」です。また単に「同性愛者である」人と、国内で性別の戸籍変更までを見据えた「トランスジェンダー」では、本人が必要とする「医療サポート」が全く異なります。「同性愛者」に「診断書」やクロスホルモン、性別適合手術をはじめ整形手術の数々は必要ありません。
その批判の内容は、「同性愛」と「性同一性障害」は「違う」から、というものが圧倒的に多かったのですが、個人的には少し違った見方をしています。
もちろん「同性愛」と「性同一性障害」は、「概念としては全くの別物」ですが、「性同一性障害」や「トランスジェンダー」にも「同性愛」と類似する性指向性を持った人たちは存在します。また一部の「同性愛者」の人々は「性同一性障害」や「トランスジェンダー」と極めて「よく似ている」アイデンティティを持っていたり、悩みごとも一部重複しています。
「性同一性障害」の「診断」は「除外診断」と呼ばれるもので、そこでは「本当に性同一性障害と言えるのかどうか」が問われます。つまり本人が「同性愛と勘違い」してないかどうかとか、他の疾患による自己同一性の混乱によるものではないか?とか、本気で性別を変えるつもりなのか?とか、そういったことがポイントになるわけです。特に「同性愛との混同」はクリニックを受診する少なくない人たちが陥っています。また「性同一性障害」は自己解決すると「同性愛」になる、という調査報告もあります(この報告は幼少期から性別違和を持つ一部のトランスジェンダーを酷く傷つけるので使いどころに注意して下さい)。幼年期から思春期までの人たちは、それが「同性愛」なのか「性同一性障害」なのか本人ですら判らないことも多く、専門家にも判断は難しいです。先ごろ開催されたWPATHの研修(7月23日 横浜 )では「ジェンダーが多様な子どもたち」などと評価されていました。
「性同一性障害」という言葉や定義、また医療体制には色々と議論もあるのですが、結果的に「性同一性障害を診断する」臨床の過程で、医師はそれだけでない数多くのジェンダーに関わる「悩み」や社会生活上生じる問題に触れることになったはずです。
つまり「性同一性障害」をよく知っている医師は、必然的に「同性愛」のこともよく知っています。そうでないと診断方針が全く立たないはずです。
それで、「同性愛者」に「性同一性障害のクリニック」への受診を勧めること自体は、それだけで必ずしも間違った選択とは言い切れないと思います。本人の状態によっては、その方がいい場合もあり得るでしょう。若い子の場合(ま、限らないことですが、特に)、本人が「同性愛」とか「性同一性障害」という言葉を使っていたとしても、それが一体何であるかは別問題なので、どんなクリニックが適切であるかは「同性愛」「性同一性障害」に関わりなく、柔軟な見極めが必要かなと思います。
しかし、今回の事件では本人のアイデンティティがはっきりしていること、大学側の対応が全体を通じてかなり杜撰だと言えることなどから、クリニックのチョイスに明確な意図があったとは思えません。
報道後のBuzzFeedJapanの記事(大学側の対応がかなり杜撰…というか「酷い」ことが判ります)。
私も精神的にまいって精神科に通院したことがあるのですが、メンタルヘルスの場合、そこでどんな処置がしてもらえるかも大事なことですが、それ以上に通院することから来る「安心感」は大きいです。A君は自分がゲイであることは受け入れていたわけで、何か出来るとしても「性同一性障害のクリニック」を勧められた本人の失望感は大きかったのではないでしょうか。ゲイの医師が開設しているようなクリニックを勧めた方が本人は安定したでしょう。
もうひとつは、「同性愛者」への「医療サポート体制」が「性同一性障害」ほど国内で発達していないことです。
「性同一性障害」には「GID学会」という医師、専門家同士のネットワークがあります。「GID学会」は十年以上続いているもので、その過程で「専門家主体の集団になった」と「トランスジェンダーの病理化」を含め一部のトランスジェンダー当事者から批判されることもあるのですが、別の言い方をすれば「性同一性障害」は十年かけて医師、専門家のネットワークの構築に成功したわけです。クリニックも地方、僻地に少ないとはいえ全国に点在しています。専門家に向けた診断基準(ガイドライン)も編纂、改訂を経てv.4になりました。性別変更のための(問題はあるにしろ)「法律」もあります。法律を作るために医師、法学者、政治家、当事者の間に交流が生まれました。「特例法」と「ガイドライン」のおかけで、一部の人たちの活動履歴や統計が取れるようになりました。これに比べて「同性愛」はどうでしょうか。
「同性愛」は1990年の「DSM-Ⅳ」で精神疾患リストから完全に除外されました。同年WHOの「ICD-10」でも「同性愛」は廃止されました。「同性愛」という「性指向性」自体は「障害」でも「病気」でもありませんが、「同性愛者であること」がリスク要因となり、罹りやすい病気や社会生活上の障害はあるでしょうし、「同性愛者」でも悩むし、安心して病院に行きたいですよね?
「同性愛」が病気ではないことは、「同性愛」に「医療サポートが必要ない」ということでは全くないのですが、「同性愛」はこの点で国内では差別や偏見を受け、十分な「医療サポート体制」や法的な保護を作れない状態にあると言えます。
もちろん、「同性愛者(LGBT)」の「自死」や「苛め」を含め、包括的な「医療サポート」の必要性を訴えてきた人たちはいます。
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しかし、どうでしょうか。当事者や専門家、グループが個々に尽力しているといった状態で「同性愛」には「性同一性障害」のように専門家集団による民間システムはありません。「同性愛者」に特化した診断(同性愛を治すというような意味ではなくて、当たり前ですが)のガイドラインやガイダンスもなく、法整備もありません。「性同一性障害」に比べて「同性愛」はこれといったものが何もありません(※『ゲイの医療システム』について小浜耕治氏からご指摘を頂き、断章後尾に注記)。
例えば、2月下旬に杉並区議会議員の小林ゆみさんが「性同一性障害」は「医師の認定が必要な病気」「障害」だが、「同性愛」は「個人的趣味」と発言し話題となりました。彼女のように「性同一性障害」に比べて「同性愛」を「個人的な趣味」「個人の自由」と捉えて、その社会的な問題を矮小化して考えている政治家は少なくないのではないでしょうか。
自民党は2012年衆議院選挙の時、レインボープライド愛媛「性的マイノリティに関するアンケート」で「性同一性障害者への施策は必要だが、同性愛者へは必要がない」と堂々と答えています。
自民党は国内で圧倒する力を持つ与党ですが、その政党が「方針」として出しているのです。以後も自民党の「同性愛」に対する冷たいスタンスは変わっていません。
LGBT法連合会「平成28年第24回参議院議員選挙」「LGBT (性的指向・性自認) をめぐる課題に関する各党の政策と考え方についての調査結果報告」
※自民党は各問の自由解答欄、問三、C <医療:LGBT当事者が患者である場合の困難の解消>、問四などに注目。
「同性愛者」に「性同一性障害のクリニック」を勧めた大学側の対応は、責められるべきだと思います。しかしその背景には「同性愛」が「性同一性障害」ほど人々に理解されていないこと、誤解や偏見に基づく扱いを受けていること、「性同一性障害」に比べて(尽力されている人、グループは存在するものの)「医療サポート体制」がまったく発達していないことなどの問題があります。「同性愛」について、このような厳しい現実がある中で、大学側(カウンセラー?)の対応を問題にするだけで終わっていいものか、疑問を感じました。
法律業界では、LGBTに関して唯一まとまった議論があるのが、法律になっている性同一性障害。
— 弁護士 吉峯耕平(カンママル撲滅委員会) (@kyoshimine) 2016年8月7日
なので、LGBTの相談事案が来たときに、性同一性障害と反応するのは、さもありなんという感じはする。 https://t.co/rXgQxo2usy
※「同性愛者(LGBT)」の「医療福祉」「カミングアウト」「自死」「苛め」の問題に取り組みには「トランスジェンダー」の人たちも活躍しています。しかし、一方「同性愛者」が「医療サポート」の必要性を訴えると「同性愛までも病理化しようとしているのか!」などとバカバカしい批判を繰り返してきたのも実を言うと「トランスジェンダー」の人たちです。近年「トランスジェンダーの脱病理化」の流れを受けて一部のトランスジェンダーの人たちの批判の雑さが目立つようになり、私自身トランスジェンダーとして恥ずかしいです。
※「ゲイの医療システム」「ゲイに必要な医療ネットワークがない」点についてFacebookで小浜耕治氏からご指摘を頂き、ここにリンクしておきます。ご指摘ありがとうございました。「ゲイの場合はHIV のケアコミュニティがその代替となって、HIV医療だけにとどまらない精神医療や福祉等とのネットワークを作りつつある」。
カミングアウト/アウティング
「同性愛者」の好きになった相手がストレート※である場合、相手に「好きだ」と自分の想いを伝える「告白」がそのまま「自分は同性愛者だ」という「カミングアウト」になってしまいます。
好きになった人に「告白」するのも勇気がいることなのに、大変なプレッシャーだったと思いますが、その相手に気持ちを受け止めてもらえなかったばかりか、せっかくした「カミングアウト」も「アウティング」という仕打ちを受けてしまいました。本人の苦しみを想像すると言葉を失ってしまいます。これは辛かったでしょう。
※ヘテロ。「異性愛者」。便宜上「ストレート」という言葉を使っています。なお「ストレート」には、ま、無視出来るレベルですが議論があります。
「異性愛者をストレートと呼ぶのは、同性愛者が『曲がって/歪んでいる』ってことになるからダメ」説が疑わしい件について - みやきち日記
ところで、同性愛者の「カミングアウト」は様々な人、対象に向けられて行われます。一般に親や兄弟、知人など身近な人に理解を求めるものですが、職場の上司や同僚に対して、教師がクラスの生徒に対して、あるいは著名人が世間に対して行う場合など、相手に理解を求めるだけでなく、「同性愛」の啓発であったり、権利の主張のために行われることもあります。「カミングアウト」は「隠れゲイ」(In closet)に対する「coming out of the closet」が語源だと言われています。しかし、同性愛者の「カミングアウト」は、「秘密を告白する」というより、もともと社会に「同性愛者」への強い「差別」や「偏見」があるからこそ生じるものです。「異性愛」にはIn closetもcoming out of the closetもありません(「異性愛者」は隠れる必要がありません。「クローゼット」がないのだから「カミングアウト」もないし、従って「異性愛」には「アウティング」もありません)。
今回の「カミングアウト」と「アウティング」におけるネット上の議論でかなり個人的に気になった点ですが、まず、A君の「カミングアウト」やZ君が行った「アウティング」について「異性愛」が「例」として参照されることです。下記は典型例ですね。
アウティングの件。LGBTに対するアウティングも確かにそうだと思うけど、ヘテロ間の関係でもコクられたとかいうのを一定のコミュニティのなかでばらされたら被害者は居心地が悪くなるだろうし、場合によっては居場所を失ってしまう。LGBTに特化した問題ではないと思う。
— 逆卷 しとね (@_pilate) 2016年8月5日
類似する論点が散見されるのですが、主に「異性愛者でも告白されたらプレッシャーになる」「異性愛者でもアウティングされたら困る」とか、いったものです。「プライバシーの問題」とか「守秘義務」などといった議論も同様のものだと感じます。興味深いことに、これは「同性愛」を支持する人にも、「同性愛」を指示しない人にも見られるのです。
「同性愛」を支持する人は例えば「カミングアウト」や「アウティング」への理解を深めるために「異性愛者でもそれをされたら辛い」というような用法ですし、一方で「同性愛」を指示しない人は「アウティングした同級生Z君」の擁護や、「アウティング」の加害性を否定するための用法でした。
いずれもなんかズレた議論です。なぜならば、何度も言いますが「異性愛」には「カミングアウト(いわゆる「告る」ことではない)」も「アウティング」も「ない」のですから。
今回の事件では相手に「好きだ」と伝える「告白」と、「自分が同性愛者である」という「カミングアウト」が「セット」になっています。それがかえって混乱を招いてるようにも見えます。
いわゆる一般的な意味での「告白」(好きな人に「好き」だと相手に伝えること。「告る」)と、「同性愛におけるカミングアウト」の問題は別問題ですし、同様に誰にでもある「プライバシーの問題」と、特定の属性を持つ人だけにしか生じ得ない「差別」の問題もやはり別の問題です。
「同性愛者」が「同性愛者であること」を隠さねばならないのは、社会に「同性愛」に対する「差別」や「偏見」が現にあるからです。「カミングアウト」や「アウティング」を巡る問題を「プライバシーの問題」や「守秘義務」の問題に集約してしまうと、そもそもなぜ「同性愛者」に「クローゼット」や「カミングアウト」があるのか、なぜ「彼はゲイだ」と人に伝えることが「アウティング」なのか、それがどうして人を死に追いやってしまうのか、問題の本質が見失われるのではないでしょうか。
それに、友人から「同性愛者」だと「カミングアウト」されて対応に困ってしまいそれが絶対に誰にも言えないというのも…なんか、すごくおかしい話です。そういった場合、信頼のおける友人に相談するとか、信用出来る第三者に間に入ってもらうことは何の問題もありません。それは相手の事を考えないで周囲に言いふらすこととは全く違うことです。「カミングアウト」自体は理解を求めて行われるものですから、その意味や意義から言えば、「同性愛者」の「カミングアウト」は絶対秘密にされるべきことではなく、いやむしろ逆で、それなら理解のある人々、理解したい人々、なるべく多くの人々に受け入れられ、共有されるべきことでしょう。本来なら。
しかし、Z君の行いは「同性愛」への理解や、A君を受け入れるために行われたものではないことは明らかなことです。
「アウティング」がなぜいけないかというと、プライバシーとか、守秘義務とか、そういうことではなくて(それも大事ですが)、一番の論点は、「アウティング」が「同性愛への強烈な差別」であり、「異性愛者」から「同性愛者」への一方的な「攻撃」になるからです。
「同性愛者」にとって「カミングアウト」がどれほど勇気のいることか、またなぜ「クローゼット」があるのか、「アウティング」がなぜ「異性愛者」への「差別」となるのか。例えば次の統計がその現実を裏付けています。
2016『性的マイノリティについての意識―2015 年全国調査報告書』※によると、友人が性的マイノリティであった場合、実に半数が抵抗感をもつと回答しています。
性別による比較では、男性のほうが抵抗感をもつ割合が高く、特に男性の友人が「男性同性愛者」だった場合の抵抗感は最も高いものです。
また男性同士では「同性愛」に抵抗感を持たない人でも、友人の「同性愛」には抵抗感を持つ人が3割もいます(「同性愛」一般に抵抗はないが、かといって身近にいると抵抗がある、ということ)。
仲の良い同性の友人から「カミングアウト」された場合の反応では、「どうでもいい」「気持ち悪い」「迷惑だ」「同情する」「身の危険を感じる」など否定的な回答が男性に集中しています。
さらに、20~30代男性の17%の人が同性知人の「カミングアウト」に「身の危険を感じる」と答えています。
※釜野さおり・石田仁・風間孝・吉仲崇・河口和也 2016『性的マイノリティについての意識―2015 年全国調査報告書』科学研究費助成事業「日本におけるクィア・スタディーズの構築」研究グループ(研究代表者 広島修道大学 河口和也)編
「異性愛者」の人、つまり多くの人々は、仲の良い異性の友人、知人が「異性愛者」であるからといって、ただそれだけの理由で「抵抗感を持つ」とか「身の危険を感じる」とか「気持ち悪い」とか思うでしょうか。しかし、「同性愛者」は「異性愛者」から何の根拠もなく、そう思われているのです。そして人々が「同性愛者」に「抵抗感」を持ったり、「身の危険」を感じることで、結果的には「同性愛者」を自死に至るまで追い詰める状況を作り上げているのだと言えます。
「同性愛者」における「カミングアウト」や「アウティング」の問題を、「異性愛者」間の問題に置き換えて考えてみることがいかに奇妙で、論理的にあり得ず、転倒した議論であるか、判るでしょうか。
「カミングアウト」に関して私がいいなと思った記事を2~3点あげておきます。色々読んだけど、個人的にはイチカワユウさんのが好きです。考え方としては洗練されてるし(つまりなぜ「クローゼット」や「カミングアウト」があるのかといったことまで掘り下げて考えている点)、文章も難しくなく、すぐ読み終わります。若い人にも読みやすいんじゃないかと。プライバシーの問題とか他人の秘密の守秘義務といった論点が、「異性愛者」の好意や無理解から来る勝手な議論で「なんかズレてる?」ってことが少しでも判るかなと思います。
「カムアウト=秘密の告白」とは限らない!--「自分へのカムアウト」の大切さ - #あたシモ
「自分がゲイと自覚する前の自分はゲイだったのか」というのをよく考える。わたしにとって、この問題への答えは、イエスであり、ノーでもある。
「カムアウト=秘密の告白」だと思ってない?「秘密の告白型」アプローチへの違和感について考えてみた - #あたシモ
でもさ、それを、あなたが知らなかったのは、常にわたしたちが「隠していた」せいなの?
基本的なこと。「カミングアウト」されても「好きだ」と告白されてるわけではないので勘違いしないとか、フツーに当たり前のこと。基本。
「カミングアウト」と「アウティング」の議論がすごく変な方向に行ってて、色々と頭を冷やしてくれる記事。「カミングアウト」されて誰にも相談できないなんて、変だと思います。いい機会ですので、信頼出来る人とゆっくり腰を据えて相談してみましょう。
悪い人は誰?
報道後にBuzzFeedJapanがA君の実家を取材しています。ご両親が学校側に説明を求めると「ショックなことをお伝えします」「息子さんは、同性愛者でした」などと告げたそうです。
私は読んでて自分のことのように腹が立ちました。これが死んだ自分の子だったらと思うと、ご両親の怒りはどれほどのものだったでしょうか。胸が痛みます。
「同性愛者」だと何がどうして「ショック」なんでしょうか。
A君は同級生のZ君の持ち物を見ただけで発作を起こしています。
見ただけで吐いてしまい、家に逃げ帰ったり、建物の陰に隠れたりしている。そんな自分が辛い。なぜこんな思いをしなくてはならないのか。腹立たしいし、悲しい。
「アウティング」があったのは6月24日、数週間後の7月上旬には母に自殺をほのめかし、1カ月以後から自死まで発作が継続しています。A君が陥っている状態は「パニック障害(発作)」などと表記されていますが、しかし、はっきり原因となった体験があるわけで、1ヵ月経った後も継続して苦しんでいます。A君の状態は、激しい暴力を受けたり、非常に強い精神的ダメージを受けた人が陥る「フラッシュバック」や「PTSD」と言った方が良さそうです。関係者はA君の症状に「原因となる体験がある」ことを過小評価していないでしょうか。彼は「アウティング」で受けた苦痛を何度も反復して追体験しているはずです。LINEで「アウティング」されてますから、6月24日以後、A君は時としてLINEで人と何気ない会話を交わすのもきっと大変だったのではないでしょうか。
A君はファッションに興味を持ち、スポーツ、音楽に打ち込み、大学では司法試験サークルの部長までする活発で社交的な青年だったようです。
好きな人に「カミングアウト」している点もそうです。勇気の要ることですよね。「アウティング」があった後も、大学の相談室、教授や職員、保険センター、はてはゲイ当事者の弁護士と、自死するまでに様々な人に相談し、極限の精神状態だったと思いますが、状況を変える努力をしています。いざという時のために記録も残しています。およそ同年代の標準より意志も強く、思考力もあり、行動出来る青年だったのではないでしょうか。その青年が自死にまで追い込まれました。彼が自ら進んで死を選んだとは私にはとても思えません。苦しかったでしょうし、無念だったでしょう。よく頑張ったと思います。
次のツイートは、個人的に印象に残ったツイートです。
「あいつゲイなんだって」「シッ!守秘義務を守って!」って世の中と、「あいつゲイなんだって」「はぁ、だから?」って世の中だったらどっちが同性愛者にとって過ごしやすいかって話で、アウティングを行った人間ひとりを悪としてタコ殴りにしたって何の解決にもならないわ。
— BSディム (@BS_dim) 2016年8月5日
一橋法科大学院の学生さんが、同性に恋したことを勝手に言いふらされ、学校にも医療機関受診を勧められるなどして亡くなられた件、深く心を痛めています。弱者ぶるなとか告白した方が悪いとかいう反応もありますが、誰が悪いって話じゃない。耳を貸さず、心を休め、繰り返さないためにいきたいものです
— まきむぅ(牧村朝子) (@makimuuuuuu) 2016年8月6日
大学を責めるのは酷という言葉を見かけるけれど、セクシャリティを暴露されたとしても「彼がゲイだからってそれが何?」とみんなに言ってもらえるような環境を作ることが重要なので、その一歩のためにも認識の甘い組織は責められておくべきで、責める意味や必要性は実はアウティングした相手よりもある
— 星井七億 (@nanaoku_h) 2016年8月5日
私は今回の事件には「自分のしたことは間違っていた」「自分は良くないことをした」と反省すべき人がいるはずだと思います。その人たちは世間からちゃんと責められるべきだと思います。
そして、何がいけなかったのか。誰に責任があるのか。こういう時にこういう対応をすることはNGだ。この対応は妥当だった。この対応はしてはいけなかった。こういう場合にはこういう対応をすること。など、はっきり「やって良いこと」と「やってはいけないこと」を評価し、確認すべきではないかと思います。
こうした悲劇を防ぐためには、「何をして良くて」「何をしたらダメなのか」私たちが事件からしっかり学ぶしかないのではないでしょうか。
私が事件の報道を知ったのは、ちょうど会社で仕事の区切りが付き、夕方に休憩室で一休みしていたところでした。どこかでもう一人の自分が苦しんで死んだような気がしてならず、ニュースを読んでしばらくの間、休憩室で泣いていました。この事件で私と同じような体験をした人は少なくないでしょう。
ヘイトクライムは本人だけでなく、属性を共有する人々全体がごっそり傷を負います。今回、同性愛とその属性を共有出来る人々が受けたダメージは計り知れません。
A君は「カミングアウト」した後、同級生のZ君の返事に次のように伝えています。
「悲しいけどすげー嬉しかった」
ネットでは「やっぱりストレートへのカミングアウトはするもんじゃない」といった意見もよく見かけました。事件がきっかけで「同性愛者」の「カミングアウト」や「告白」に人々が過敏になったり、萎縮してしまうのが悲しいです。
こんな結末になったけど、私はA君がZ君に自分の気持ちを打ち明けたことは素晴らしいことだったと思うし、絶対に君は間違ってはいなかったと思います。
しかし、Z君のしたことは取り返しのつかないことでした。
世の中には「同性愛」をテーマにした数多くの小説、漫画、映画、アートなどの作品があります。その多くは性別や制度、掟を超えて、人が人を好きになることや、本当の自分に人が気づくことの素晴らしさを訴えています。人々の何割かの人が「同性愛」に気づきますが、「同性愛」はなぜ存在しているのでしょうか。
「カミングアウト」や「告白」はもちろん無理にするものではありませんが、「同性愛」はそれで人が生きる意味について多くの事を人に伝えています。
A君のことを想うと、その死を無駄にしないためには、同性愛の人も異性愛の人も安心して「好きだ」の「いやいやお前のことは嫌いだ」のと自由に、気ままに、互いに安心して言える世の中を作ることだと思います。
A君のご冥福をお祈りします。
ひばりちゃんでした。
LGBTに関して、大学ができること、沢山あると思います。こちらの資料も是非。 https://t.co/jICpZ5Zunw pic.twitter.com/8JWgRNAJq0
— LGBT基礎知識+α (@lgbtjp_bot) 2016年8月5日
QWRCの「LGBTと医療福祉<改訂版>」のパンフレット
http://qwrc.org/2016iryoufukushicmyk.pdf
NHK福祉ポータル「ハートネット」
NHKオンライン | 自殺と向き合う - 生き心地のよい社会のために
しらかば診療所
平カウンセリングルーム
セクシュアル・マイノリティのためのカウンセリングを受けつけています - Taira Counseling Room