私はこれまで、都内で一人暮らしをしながらアトリエ系と呼ばれる建築設計事務所を2社経験しました。著名な建築家の下で日々研鑽を積んでいましたが、これらのアトリエ事務所の給料はどちらも手取りで16万円でした。最低賃金ギリギリの給料での生活はどのようなものなのか。本日は当時の生活費の内訳を公開します。当時の年収や家賃等々、お金がない中、どのような内訳でやりくりしていたかをご紹介します。
組織設計事務所に近い大型案件を手がけに社会保険加入、ただし給料はアトリエ事務所並みのA社
A社は、代表が強力な権限を持ちながらも、ある程度の事務所規模と組織化された枠組み持っていました。それゆえ、大きな企業からの依頼も多く、取組むプロジェクトの質としては組織設計事務所に近い会社でした。一方、サービス残業前提の長時間労働と給料の安さだけは小さいアトリエ事務所と変わりません。
アトリエ事務所A社での基本待遇と生活費の内訳
A社の待遇は組織設計事務所ほどではないにせよ、他の多くのアトリエ事務所に比べたら恵まれていたと言えます。ボーナスはありませんでしたが社会保険が完備されており、額面月収が21.8万円程度で通勤定期代もきちんと支払ってくれました。ただし、ほぼ毎日0時まで業務があり、締め切り前は当然徹夜となるような生活でした。
・年収260万円(手取り190万円)
・月収21.8万(手取り16万)
・月残業+休日出勤時間 100~150時間/月 (max180時間くらい) ※残業代未払い
・社会保険あり
・通勤交通費支給/文具もある程度は事務所が負担
・住民税無し(新卒入所のため)
住居については、終電が遅い路線の駅が前提条件となり、都内の比較的安いエリアで7万円の築古物件を選びました。築年数が古い分、一般的なレベルの広さの1Kで、キッチンも使えるレベルの広さでした。最も、平日に調理をする暇は全くありませんでしたが。
生活費の内訳を見ると家賃については少々高めでしたが、翌年以降の昇給がある程度確定していたことと、引越しし直す手間とお金を考えてギリギリのラインを選んだつもりです。水道光熱費は1万円程、携帯電話とインターネットの合計で1.2万くらいでした。当時は格安SIMやLINE等で通話することも一般的ではなかったため、携帯電話については割高でした。
食費については3食ともほぼ外食になりました。一時期お弁当を作っていた事もありますが、忙しくなり徹夜が多くなると追いつかなくなりました。朝は菓子パン、昼は500円のお弁当(揚げ物ばかりしか無かった)か時々定食屋のランチ、夜は牛丼チェーンというパターンが多かったです。飲物もペットボトルを買っていたりしたので1日で1500円程度はかかっていたと思います。
給料からこれらを抜いて残ったお金が交際費やその他貯金になります。結構キツかったですが、社会人1年目で若かった事や忙しすぎてお金を使う機会が人に比べて少なかったことから、なんとかなっていたように思います。また、当時意識はしていませんでしたが、今思えば住民税がかからなかった事も大きいです。
お金がなくてギリギリでしたが、ここでの生活費の内訳がアトリエ事務所勤務かつ都内で一人暮らしという形態の場合でも一応社会人らしく生活しているように見える最低ラインだったように思います。2社目のアトリエ事務所経験を経て感じた事ですが、社会保険に加入している事が、A社で精神的にそこまで焦らなかった原因の一つだったように思います。
所長と自分2人だけの社会保険未加入のアトリエ事務所B社
アトリエ事務所B社は、大学の教員を務める建築家が運営する個人設計事務所でした。著名な業界紙に掲載されるような建築作品を生み出す熱量は凄まじく、他では得難い環境でした。一方、良くも悪くも建築に全てのエネルギーを注いでいた事もあり、事務所の売上げについて所長はあまり気がまわっていなかったように思いますし、スタッフは完全に修行という位置づけでした。
アトリエ事務所B社での基本待遇と生活費の内訳
B社は、A社に比べ、経済的により厳しい条件となっています。入口の時点で出口を意識しておかないといけないと感じた一方、入所時に将来の昇給目安の話が出ていたので、少し安心したのを今でも覚えています。
・年収200万円(手取り200万円)
・月収16.2万(手取り16.2万)
・月残業+休日出勤時間 100~180時間/月 (max230時間くらい)※残業代未払い
・社会保険無し
・交通費支給無し
・仕事道具は全て自費
・住民税無し(前年度収入が少なかったため)
給料は額面16.2万円で社会保険は無く、通勤交通費の支給もありませんでした。なので、額面がほぼイコールで手取り額となりました。また、事務所負担で買えるものはほとんど無く、仕事上で使う電話連絡も自費、というか給料に含まれているという考え方でした。
私の場合、住民税算定に係る期間の前年度収入がたまたま低かった事もあり、初年度は住民税無し、国民年金については役所で申請を出したところ全額免除となり助かりました。国民健康保険についても前年度収入が少なかったので4000円程度だったので、その事務所での1年目はなんとか払うことができました。
さて、既にお気づきかと思いますが、アトリエ事務所スタッフの割に家賃がここでも割高です。当時の住居選択については正直かなり困りました。通勤交通費の支給がないという事もありましたが、同時に事務所周辺に住む事を所長が実質的に強制していたからです。ただし、都心に位置する事務所の周辺は、自転車通勤圏でも家賃が高額でした。
また、居住可能エリアが限られていたため、同じようなアトリエ勤務の友人と家賃を折半しようにも、わざわざ高いところで探すメリットが相手にはありません。また、今程シェアハウスも普及していませんでした。探す時期や時間が限られていたせいもありますが、事務所から遠すぎず、風呂・トイレ付きの7万円の物件に決めました。
風呂なし物件で銭湯も考えましたが、当時銭湯は一回450円と正直贅沢な価格に思えましたし、そもそも銭湯の開いている時間に帰宅できる保証もないので避けました。そして何より、入社時の口約束で2年目以降は月20万円以上に昇給するという話が決め手となりました。
携帯電話の費用については、通話し放題プランに変更したので増額になりました。ただ、これをしないと業務の電話代で給料が吹っ飛んでしまいます。また、国民健康保険料は安いとは言え生活費の負担となりました。食費については、Aアトリエの時より少しずつ削りました。牛丼290円(当時)に対してどのくらい高いか安いかというのを基準として意識していたように思います。交際費については1万円ですが、Aアトリエ事務所以上の忙しさだったことや、額面月収が大分下がっていた事から節約志向が強くなったこともありとても慎重に使っていました。
アトリエ事務所入社前の口約束が反故にされて、生活が困窮
アトリエ時代を通して最も厳しかったのは、Bアトリエ事務所での待遇に関する約束(口約束)が完全に反古にされてしまった事です。初年度は税金をたまたま安く済ませる事ができたので、厳しい給料ながらもギリギリなんとかなっていました。
ただ、2年目以降はそうも行きません。ほんとうにお金がなくなると思ったので、当初の話のような昇給をお願いできないか食い下がりました。ちなみに、この時所内の主要なプロジェクトを複数メインで担当しており、その事実を元に交渉に臨みましたが、さんざん非難されて殆ど効果はありませんでした。
この時ほど、「小さい会社・設計事務所に入社するあなたの強い味方、労働条件通知書を確認しよう|建築士のための労働基準法入門」にあるようなきちんとした書面を提示してもらっておけば良かったと後悔した事はありません。所長とは常にやり取りでは後手に回り、人格を否定されるような発言もありましたので、書面に残すことは難しくても、「建築設計業界の労働トラブルを無料相談できる最初の窓口、労働局活用ガイド|建築士のための労働法入門」のように、駆け込み寺のような選択肢を把握しておけばよかったとも感じています。
アトリエ時代に困った出費あれこれ
生活費のゆとりは常に無かったわけですが、日々の生活を送るだけならギリギリ収支のバランスは保っていました。しかし、アトリエ事務所員といってもやはり社会人。どうしても+αでお金が必要になる場面が出てきます。
結婚式関係のお誘い、お金がなくてもできる事
社会人ともなると結婚式関連のお誘いが一気に増えます。大変嬉しく思う一方、それなりの出費になる事も事実です。1次会のご祝儀で3万円、2次会で1万円程度の場合が多かったですが、かなり限られた生活費から4万円を毎回捻出する事は残念ながらできませんでした。業務の忙しさも理由の一つではありましたが、大半は欠席せざるを得ませんでした。ちなみに、そんな場合はせめて祝電を送ると良いでしょう。モノによりますが、1,000円程度でも送ることができます。お金がない生活を送っていたとしても、人との縁は大切にしましょう。もちろん、出席できるのが一番良いですがね。
一級建築士の受験対策費、ローンも組めるが後の生活の負担に
忙しいアトリエ事務所に勤めていても、頭の片隅には一級建築士の受験がちらついているのではないでしょうか。しかし、建築士試験の対策にもある程度お金が必要です。対策として資格学校の一級建築士受験のためのコースを受講するのが一般的だと思いますが、もうお分かりの通り、私の給料から資格学校の費用を捻出する事は不可能でした。そこで、学科については独学可能な教材を揃え、節約に励みました(それでも7~8万しましたが)。
ただし、製図に関しては廉価で効果的な方法が見当たらなかった事もあり、借金して資格学校に通う事になりました。ローンで分割払いが可能という話も聞きましたが、私の場合ありがたい事に親から借りることができました。情けない話ではありますが、こればっかりは当時の状況ではどうしようもなかったと思います。
飲み会は参加方法を工夫しよう
アトリエ事務所の日常は多忙ではありましたが、たまには飲み会に参加する機会もありました。しかし、うっかりすると一晩で1万円近く飛んでしまう危険もあり、日々の生活費を圧迫してしまいます。私の場合、飲み会にスタートから参加する事は殆どありませんでした。仕事の都合で遅くなるというのももちろんありますが、後半から顔を出せばほぼ飲み食いは終わっているので、その分割勘を安くして貰えたからです。同様の理由で、行くとしても1次会からではなく必ず2次会からでした。
引越し費用は見落としがち
見落としがちですが、引越しするにもまとまったお金が必要です。この費用を貯めるのはかなり難しいと思います。途中で安いところに移るのも、高いところに移るのも不可能でした。なので、あまりに極端に安い物件を選ぶ際は注意しましょう。ちゃんと昇給の見込みが無いと身動きが取れなくなります。
都心一人暮らしでアトリエ事務所勤務の場合、最低手取り年収は200万円
2つのアトリエ時代の生活費内訳を振り返ると、1つ共通点があることに気がつきます。年収で200万円前後が限界生存ラインであるという事です。おそらく、時間的にもう少しゆとりがあれば、自炊で食費を浮かせるとか、副業も可能かもしれません。しかし、ほとんどの時間を事務所で過ごすような場合には、この200万円が一つの目安になるのではないでしょうか。
年収200万円のアトリエ事務所勤務、学びもあったが2年が限界だった
いわゆるアトリエ事務所と呼ばれるような事務所で建築に関わることでの多くの学びがありました。大手ゼネコンや組織設計事務所に比べて、事務所代表個人の個性が色濃くでますし、そういった人を近くで見る事で得る事も多いでしょう。
ただ、Bアトリエの場合、建築の技術力は高まったものの、所長は大学関連からの収入に頼っていたため、ビジネスとして全くまわっていませんでした。所員に対する姿勢も極めて高圧的で所員が定着しなかったこともあり、事務所として経験の蓄積や成長が皆無でした。その結果、所長は他の建築家と比べて建築家としての高みに繋がるような仕事を逃し続けてきましたし、所員は独立するときに役立つであろう、まともな設計事務所の運営ノウハウを身につけることができませんでした。
また、徹夜を繰り返しながら給料が安くて生活がギリギリという状態は、2年が限界でした。お金がない状態が2年近く続くと、お金以外の何か別のリスクが発生した場合、生活を支えきれない可能性が高く、精神的に一気に追いつめられます。
いわゆる「とりあえず3年」なんて悠長な事言っている余裕はありません。実際にこの時にギリギリの選択を続けたことで、体調を崩すなどのトラブルを経験したときに、経済的な余裕がなく、仕事探しの選択肢が限定されることになりました。
また、アトリエ事務所の給料が安いと言っても実際は幅があります。アトリエ事務所の中には、最低賃金を割っている設計事務所もありますが、中途で20万円以上の給料がもらえるアトリエ事務所もたくさんあります。
「その設計事務所、教授の紹介で入社しても大丈夫ですか?建築業界間違えだらけの仕事探し」のように、行き先は慎重に選び、実のある経験を積んでいきましょう。
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