国民が抱く憤りも、機能しない法律に対するいらだちも、理解していないのではないか。

 都市再生機構(UR)をめぐる口利き疑惑で元秘書が改めて不起訴になったのを受け、甘利明衆院議員の事務所が出したコメントのことだ。「まさか元秘書らが法に触れるようなことをすることはないと信じていた。不起訴に安堵(あんど)した」とある。

 元秘書は、URと土地交渉をしていた業者から、補償金の増額を働きかけるよう頼まれた。2人は、まず業者がURに内容証明郵便を送り、続いて甘利事務所が接触することを決めた。

 指示をうけた別の秘書が約束なしにUR本社を訪れ、回答状況をただした。やがて補償金の上積みがあり、支払いがあったその日に、業者は元秘書に現金500万円を渡した。

 この事実の流れを見て、まともな政治活動と感じる人がどれだけいるだろうか。

 元秘書はあっせん利得処罰法違反の疑いで告発されたが、立件に必要な「議員の権限に基づく影響力」を行使した証拠がないとして、いったん不起訴になった。これに、市民から選ばれた検察審査会が異を唱えた。

 「有力議員の秘書があえて約束なしに、交渉を担当していない本社に乗り込んだのは、その行動が影響を与えうると判断したと考えるのが自然」「URがわざわざ応対したのも、そうしないと不利益を受ける恐れがあると判断したとみるのが自然」と述べ、再捜査を求めた。

 元秘書の行いすら、この法で罰せられないとすれば、かねての指摘通り、ザル法と言わざるを得ない。そんな思いが検審の議決からうかがえる。だが不起訴の結論は変わらなかった。

 一般に、検察が法令を厳格に解釈し、刑罰権の発動に抑制的なのは結構だ。しかし今回、検審が示したまっとうな市民感覚をふまえ、裁判所に判断を求める道はなかったか。ザル法に命を吹きこむ好機を逃し、幕引きとなったのは釈然としない。

 もちろん、幕が引かれたのは刑事責任の追及であって、甘利氏の監督責任や道義的責任は残されたままだ。国会閉会にあわせたように体調は回復し、自身をふくむ関係者の不起訴も確定した。いまこそ約束していた調査結果を明らかにし、自らの見解を語らなければならない。

 国民は甘利氏に十分な時間を与えた。次は氏が十分な時間を確保して記者会見し、国会でも質問にしっかり答える番だ。閣僚を辞めたときに語った「政治家としての美学」「政治家としての矜持(きょうじ)」が問われている。