鳩山邦夫氏、十二指腸潰瘍で死去 通夜には安倍首相も参列

2016年6月23日6時0分  スポーツ報知

 法相や総務相などを歴任した自民党衆院議員の鳩山邦夫(はとやま・くにお)氏が21日午前11時35分、十二指腸潰瘍のため都内の病院で死去していたことが22日、分かった。67歳だった。妻のエミリーさんが喪主を務め、近親者のみで密葬を行う。22日夜、都内で通夜が営まれ、安倍晋三首相が参列し、弔問した。後日お別れの会を執り行う予定で、死去に伴う衆院福岡6区の補欠選挙は、10月23日投開票の見通しとなった。

 事務所関係者などによると、鳩山氏は20日に都内の自宅で具合が悪くなったため、家族が119番通報して救急搬送。搬送先の病院で、潰瘍による出血が判明した。その後は小康状態となり、21日朝の時点では意識もあったが、再び出血。そのまま帰らぬ人となった。最期はエミリーさんら、ごく一部の親族がみとった。

 今月1日の国会閉会時に姿を見せた際、激やせしていたために体調不安がささやかれ、入退院を繰り返していたとする関係者もいるが、本人は、22日の参院選公示日も福岡の自民党候補者の応援のため、現地入りを予定していた。

 1948年東京都生まれ。曽祖父の鳩山和夫元衆院議長を筆頭に、祖父は一郎元首相、父は威一郎元外相と4代続けての政治家一族。兄・由紀夫氏も首相を務めた。母方の祖父は、ブリヂストン創業者の石橋正二郎氏。東大卒業後に田中角栄元首相や父の秘書を経て、1976年の衆院選で初当選。衆院議員を13期務めた。

 この間、93年には自民党を離党し、由紀夫氏と96年に旧民主党を結党。99年には東京都知事選に臨んだが、石原慎太郎氏に敗れた。その後の2000年に自民党に復党したが、10年に離党。12年に再度、復党した。07年の第1次安倍改造内閣と福田内閣では法相、麻生内閣では総務相を務めた。法務相時代は、4回にわたって計13人の死刑を執行した。

 由紀夫氏とは旧民主党で兄弟タッグを組んだが、その後は互いを批判し、不仲とも言われた。ただ、この日、由紀夫氏は報道各社に文書で「2週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診をしたのですが、『今はその気がないよ』との返事でした。何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限りです」と悼んだ。

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