2016年8月15日14時58分
枚方市の元小中学校教諭小嶋令子(のりこ)さん(80)が、終戦前後の記憶を30年以上にわたって地元の子どもたちに語り継いでいる。米軍の戦闘機からの機銃掃射、終戦直後の餓死や病死――。こうした経験を「忘れてはならない戦争の恐ろしさ」と題して講演している。
防空頭巾をかぶって薪を運ぶ子どもたちの列に、機銃掃射を浴びせる戦闘機。四條畷市の国民学校初等科(現在の小学校)の4年生だった時の体験を描いた水彩画(縦約70センチ、横約100センチ)で、講演で子どもたちが理解しやすいよう自ら絵筆を握って仕上げた。
40代の頃、当時勤めていた枚方市の小学校で戦中戦後の記憶を語り始めた。中学校の美術教師を最後に定年退職し、その後は、声をかけられると小学校や公民館に赴き、数十回の講演を重ねてきた。
教師経験を生かし、講演では子どもにわかりやすく伝えるための様々な工夫をしてきた。「勝った勝った勝ったぞ日本は、どこにも負けない強い国……」と旗を持って歌ったり、灯火管制の時に明かりが漏れないよう電球にかぶせた黒い覆いを見せたり。当時使っていた弁当箱や水筒を持参することもある。
防空頭巾は実際に子どもにかぶらせ、爆風などから身を守るための「伏せ」の姿勢を再現してみせる。その際、耳の穴を親指で塞ぎ、他の指で目を隠し、口は開けるよう細かく指示した。そうしないと無事ではいられなかったと伝えた。
戦争が終わっても大変な暮らしが続いた。
両親を戦争で失った小学生の兄弟がいた。近くの家に預けられたが、食事の時間になると外に出された。かわいそうで時々食べ物を渡しにいったが、ある日、兄が亡くなり、10日ほど後に二つ下の弟も亡くなった。「リンゴ箱のようなものに入れられ、墓に担がれていった」と振り返る。
講演を聞いた子どもからは様々な感想が寄せられた。「平和を築く主人公になります」「誰かのいらだち、にくしみのせいで、戦争はおこる。みんながまきこまれる」。中には「こんな話、聞かなきゃよかった」と漏らす子もいた。「嫌やった?」と尋ねると、「もう今日から好き嫌い言われへん、食べ残しできへんし」という言葉が返ってきた。「よう聞いてくれてありがとう」。そう感謝した。
戦後は折に触れ、平和の大切さを実感してきた。終戦の日の、覆いを外した裸電球が部屋の隅々を照らす明るさ。空襲警報が鳴らない静けさ。長男の成人式には「これが兵隊検査でなくてよかった」としみじみ思った。
昨年9月の安全保障関連法の成立や憲法改正の動きなど、今の社会には不安を感じることが多い。「憲法なんか変えないで、戦争は起こさないでほしい。穏やかな気持ちで、一人ひとりを大切にする人生を次の世代にもずっと送らせてやりたい」
今年もすでに3回、講演に赴いた。体がもつ限り、求められる限り、活動は続けていくつもりだ。
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