破壊は一度で終わらない

クリステンセン教授は、破壊的と呼ぶにふさわしい企業とは、既存の企業が見過ごしていたセグメントに狙いを定めたり、より低価格でふさわしい機能を提供して市場に足場を築く企業と定義している。立ち上げ時から破壊的イノベーションを意識していた、月額980円のオンライン学習サービス「スタディサプリ」は、まさにこの定義に該当するだろう。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2016年9月号より、1週間の期間限定で公開中。

破壊的イノベーションを
いかに起こすか

山口文洋(やまぐち・ふみひろ)
リクルートマーケティングパートナーズ 代表取締役社長
1978年生まれ。ベンチャー企業にてマーケティング、システム開発を経験。2006年、リクルート(当時)入社。進学事業本部にて事業戦略・統括を担当したのち、社内の新規事業コンテストで「スタディサプリ」(旧・受験サプリ)を提案。グランプリを獲得し立ち上げを手掛ける。2015年4月より現職。

 スタディサプリ(2016年2月までの名称は「受験サプリ」)を考えたのは5、6年前のことだ。当時、リクルートの経営陣の中では『イノベーションのジレンマ』や『ブルー・オーシャン戦略』がよく読まれていた。既存のものとは本質的に異なる新たなバリュープロポジション、価値を持つサービスを発掘して破壊的なイノベーションを起こせとしきりに語られていた。

 その頃、私は高校生向けの情報誌やウェブサイトの戦略担当をしていた。この分野でイノベーティブなサービスはないか、高校生が集まってくれるものはないかと考えた時、思い出したのが、自分が資格受験時に通っていた予備校の映像授業だった。

 当時はYouTubeやiPhoneの利用者層が広がり、今後は高校生も当たり前のように携帯で動画を見る時代になると考えられた。それならばカリスマ講師の授業をネット配信すればどうか。低価格でいつでもどこでもそれを見ることができれば、人気を集めることは間違いない。

 このアイデアをぜひ事業化したいと思い、社内の新規事業コンテストに参加した。まず市場調査を行ったところ、大手の塾や予備校、町の小規模な塾なども含めて月謝は月1万5000円程度が多かった。高額な予備校では3万円、5万円というところもある。ところが、塾・予備校の収益性は驚くほど低かった。

 生徒の獲得競争にしのぎを削る大手予備校各社はそれぞれ数百億円の売上げがある。高校生は1学年約110万人、3学年で330万人いる。だがトップ予備校でも生徒は13万人程度でしかない。売上げがたとえば400億円だとすると、一人当たり年間30万円。それだけのお金を取りながら、なぜ利益率が低いのか。そこから受験産業のコスト構造、ビジネスモデルに大いに興味を持った。

 コスト構造をシミュレートしてみると、校舎などの不動産費と講師、さらに学校を運営管理するチューターや事務員などの人件費、教材の印刷費がかかる。そのため、たしかに利益は出そうにない。少子化が進む中で持続的に成長を続けるためには、個別指導や医学部、東大対策などの付加価値を与え、一人当たりの月謝を上げなければならない。

 塾・予備校以外で競合になりうる通信教育の業界構造も調べたが、1500億円を超えるような規模を持つ大手企業は、これまた低価格のビジネスに転換することは難しいだろうと結論づけた。たとえばスタディサプリは月額980円で、1年間利用してもらい、やっと1万円弱の料金になる。小・中・高の生徒は12学年合わせても1500万人。つまり現在の売上げを維持するには日本の小・中・高校生全員を会員にしなければならない。

教育業界の新市場を探す

 教育業界の構造を調べて気がついたのは、既存の塾・予備校は、1学年110万人いても所得上位の3分の1、親の生活水準が「中の上」以上をメインターゲットにしていることだ。そこでスタディサプリでは、塾・予備校に通っていない3分の2の子どもたちを対象にしようと考えた(図表「スタディサプリが狙う新市場」を参照)。

 その3分の2のうち、半分は進学予定がなく、もともと塾に行く気のない子どもたちだ。しかし残り半分は、本当は塾に行きたいけれど、家計を考えたら親に無理は言えないと我慢している層である。この層は、まさに既存の企業に見過ごされていた。

 また、塾・予備校に通う層も1科目に月1万円以上をかけている。複数の科目を受講したくとも、そこまで費用をかけられない家庭も少なくないはずだ。塾を利用している子どもたちの併用も想定したところ、その狙いは当たった。

 こうした子どもたちの個人需要に加え、教育産業にはもう一つ巨大なマーケットがある。いま私たちが懸命に切り拓いている学校市場だ。たとえば公立高校では年間、一人当たり約2万円の副教材費を使っており、その中から大手塾の模擬試験や英単語教材などを購入している。2万円に高校生330万人を掛けると660億円の大きな市場になる。私立高校は教材費をもっと使っているから市場はさらに膨らむ。

 私たちのスタディサプリは、この分野でも破壊的なイノベーションを起こした。授業の動画とテキストや入試の過去問、さらに年3回の模擬テストを含めて月980円という価格は、年2万円の教材費の中で十分にまかなえる。

 いままでの教材からスタディサプリに変更する学校が増えており、現実に売上げの半分は、学校を通じてのものである。

他社が模倣できない質を担保する

 我々の事業の最大の障壁は、著名講師の方々をどう巻き込むかにあった。コンテンツの質が事業の成否を左右することは明白で、一流の講師でなければ魅力が生まれない。講師の方とのコネクションがまったくない状況ではあったが、口説き文句は用意していた。

 カリスマ講師と呼ばれる方々は、学校の先生以上に教育者としての志や情熱を持っている。その中でのジレンマは、有名になればなるほど東大コース、医学部コースなど少人数コースを任されるようになることだった。教育は誰に対しても開けたものであるべきなのに、カリスマ講師は親が富裕層など限られた人にしか発信できなくなっていたのである。

 その点、映像授業であれば年間何万、何十万もの子どもたちに教えることができる。情熱を持って教育に携わっておられるのなら、その教えをもっと広めませんかという問い掛けに、多くの方が賛同してくれた。

 もちろん、スタディサプリもすべてがうまく運んだわけではない。当初、カスタマー調査をもとに価格を月5000円と設定したが、これは大失敗だった。既存のサービスに対して5000円はたしかに低価格といえるが、インターネットのオンライン課金サービスとして考えると高額すぎたのだ。それならば思い切って価格を下げたほうがいい。折しも国内進出してきたHuluなどを見習い、時代の感覚をもとに3桁の価格で再スタートしたところ、ユーザーが集まってくれた。

経営理論の役割

 スタディサプリを立ち上げる際に、破壊的イノベーションなどの理論を意識したことは前に述べた。私は経営理論が実務にも、また自分たちの事業を広める際のツールとしても役立つと思っている。私は何かアイデアが浮かんだ時、これはどのフレームで説明できるのかと思いをはせる。何かしらの戦略の勝ちパターンのフレームに収まれば説明しやすく、周囲の人から論理的共感も得やすい。

 逆にどのフレームにも当てはまらないが、すごいアイデアだと思ったものに対しては、新しい理論が構築できるものなのか、あるいはそもそもアイデアが間違っているのか、理論を壁打ち相手にして思考を進めていく。

 そもそもリクルートは、自分たちの成功と失敗を科学することが大好きな会社である。ゼネラル・エレクトリックのクロトンビル研修所(現ジョン・F・ウェルチ・リーダーシップ開発研究所)を模したビジネススクールを社内に設置し、30代、40代を対象にした次世代経営者研修や30歳前後の研修を実施していた。そこでは、リクルートが過去に成功した事例、失敗した事例をケーススタディ化している。

 年何回かの合宿研修の前には、何センチものぶ厚い資料が送られてくる。その中のケーススタディには、当時の経営データなどの資料も提供され、最後の1枚には「あなたはこの事業の本部長に就任しました。あなたは新しい事業計画と戦略を描かなければなりません、それを次の研修で発表してください」などと書かれている。

 たとえば、イノベーションのジレンマが参考資料となっているケーススタディでは、資料としてクレイトン・クリステンセン教授の書籍も同封されており、本と資料を読みながら、その事業が置かれている課題と、立て直すための戦略を練り上げていく。

 私はこうしたケーススタディを20以上こなしてきた。リクルートの幹部社員はどの事業も経営データを見せられ、ある程度トレーニングを受けている。その経験によって事業の歴史とフレーム、理論が頭の中に入っており、どの事業に移っても経営ができる。このことは大きな強みとなっている。

破壊的イノベーターの視点と
それに立ち向かう視点

 私は常に頭の中に、サービスのプロダクトライフサイクルを置いている。いまどの象限にあり、いつ次の象限に移るのか。

 スタディサプリを立ち上げた頃とは立場が変わり、現在はブライダル事業のゼクシィをはじめ、7つのサービスを持つ会社の社長を務めている。スタディサプリやクイッパーで破壊的イノベーションを仕掛ける一方、ゼクシィやカーセンサーなどイノベーションのジレンマに陥っている事業も抱える。要するに、一日のうち何時間かは破壊的イノベーターの立場で考え、後の時間はジレンマを抱える立場で頭をめぐらせているのである。それを毎日繰り返していることが、私にとって得がたい経験になっている。

 たとえば、中古車事業のカーセンサーは数年前、ライバルに完膚なきまでやられた「負け犬」だった。いまはV字回復を遂げ、「スター」に戻ったが、カーセンサーにとっての破壊的イノベーターは常に意識している。たとえば現物を見ずクリック一つで中古車を買えるC2Cのeコマースモデルなどは、中古車業界にとっての脅威となる。他社の動きをベンチマークしつつ、自分たちでも同じようなビジネスを始めた。本業を継続しつつ、イノベーションを実験的に進める事業運営はゼクシィにおいても実行している。

イノベーションは
一度きりでは終わらない

 スタディサプリはまだキャズム(アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間の深い溝のこと。この溝を超えると新製品の普及が加速する)を超えておらず、インフルエンサーやアーリーアダプターの段階だろう。このあと一気にキャズムを超えてレイトマジョリティまで到達した時、売上げはしっかりとついてくる。また、社会的大義や社会貢献性もあることで、事業を担う社員の意欲も高い。

 新規事業は、既存事業と同じ組織で進めると押し潰されてしまう。スタディサプリも強制的に場所や部署、人員を分けてきたが、この2016年4月にスタディサプリやリクナビ進学の部署を統合して「まなび事業本部」が生まれた。小学校や中学校、東南アジアや中南米で拡張を図っているため、全体ではまだ投資フェーズだが、高校生領域では黒字化を果たしビジネスとして目処が立ってきた。

 これまでは、ライバルがイノベーションのジレンマに陥っていたことで、長く類似サービスが出てこなかったが、最近ようやくフォロワーも登場しつつある。私たちもこのタイミングでバリューアップし、これまでとは異なる次元に進む計画を立てている。

 私たちは破壊的イノベーションを起こしたが、次なるイノベーションによって逆に食われるかもしれないという危機感を忘れてはいない。それに対応して、破壊的イノベーションを継続する必要性を感じている。クリステンセン教授の理論は、私の中でいまもしっかりと活き続けているのである。

◆クリステンセンの最新論文や日本人識者による寄稿は『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2016年9月号に掲載されています。

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1995年、クレイトン・クリステンセ ンは「破壊的イノベーション」を論じた論文を発表し、その2年後、ベストセラーとなった『イノベーションのジレンマ』を上梓した。この20年で最も影響力 のある経営理論といわれる「破壊的イノベーション」の考え方がいまだに色あせないのは、この現象があらゆる分野で起き、その影響力がますます加速している からだ。当初、ハードディスク市場で見られた現象は、いまやあらゆる業界で脅威となっており、破壊的イノベーションにいかに向き合うかは、すべての企業の 喫緊の課題であろう。本特集ではクリステンセン自身が、この理論の発展の軌跡を執筆するほか、日本の識者4人に、この脅威からの突破口を論じてもらう。

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