挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
「先輩の妹じゃありません!」 作者:さき

第1章『私と先輩のネクタイ争奪戦』※ヒロイン視点ダイジェスト

1/122

※書籍化につき主人公視点での一章を削除致しました。
※一章のみヒロイン視点になります。
 
 兄の芝浦宗佐は、妹の私が見ても平凡な高校生だ。
 中世的な顔つきに、たまに体育の授業で活躍する程度の運動神経。勉強については……これに関しては色々と言いたいことがあるけれど、それはさておき。
 とにかく兄は平凡で……、

 それでいてとても優しくて、素敵で、そして可愛い女の子に人気がある。

そんな兄が……大好きだ。



「宗にぃ、早く起きないと遅刻するよ」

 そう扉の隙間から顔を覗かせて声をかければ、部屋の隅に見えるベッドの布団がもぞと動いた。
 聞こえてくるのは「んぅー」という声と、次いで「あと5分」というなんとも言えない言葉。一昨日も昨日も聞いた言葉で、そして今日も既に五度目である。
 この声の主は兄の芝浦宗佐。
 私が宗にぃと呼ぶ彼は朝に弱く、まず本来の起床時刻に目覚まし時計が鳴り、続いて携帯電話のアラームが鳴り、お母さんが声をかけ、私が声をかけ……と、この手順を踏まないと起きてこない。
 今がその最終工程なのは言うまでもなく、扉の近くに転がっているポケットティッシュを拾ってベッドの山へと投げつけてみた。宗にぃの部屋は散らかっている、投げるものはたくさんある。

「珊瑚……兄に物を投げるなんて……」
「起きない宗にぃが悪いの。次はこの靴下……は触るのが嫌だから、こっちのお菓子……は私が没収」
「横暴だぁ……」

 宗にぃがモゾモゾと布団を動かしながら訴える。
 だけど起きない方が悪いのだ。私は宗にぃの訴えを無視して、お菓子の袋を――念のため賞味期限を確認したうえで――制服のポケットに入れて、再び「もう起きなよ」と声をかけた。
 布団の山がモゾと動くが、起きてくる気配はない。枕元にゲーム機が置いてあるあたり、きっと昨夜遅くまで遊んでいたのだろう。

「私、先に学校に行くからね」
「大袈裟だな珊瑚、まだ余裕が……」

 余裕があるとでも言おうとしたのか、枕元の携帯電話を見る宗にぃの動きが止まる。
 なんでこう毎朝飽きることなく同じことを繰り返せるのか。そんなことを考えつつ、私は溜息をついてそっと扉を閉じた。

「お母さん、宗にぃ起きたよ」

 そう報告しながら階段を下り、そのまま玄関に置いてあった鞄を手に取る。宗にぃの部屋から派手な音が聞こえてくるのは、今の時間を知って慌ててベッドから降りたからだ。正確には、慌てすぎるあまり散らかる雑誌や服に足を滑らせて転んだと言うべきか。
 次いで階段を駆け下りて、掻きこむように朝食を食べるのだろう。
 見ないでも容易に想像できる光景を思い描き、私は溜息交じりにお母さんに挨拶をして家を出た。

 今家を出れば、まだ学校には余裕を持って登校できる。
 ……今、家を出れば。




「朝早く起きる方法ってないかなぁ」
「珊瑚ちゃん、朝が辛いの!? なら実稲がモーニングコールしてあげる!」
「私じゃなくて宗にぃの話」
「顔面に水をぶちまけるのはどうかしら」

 私の相談に対し両極端な発言をしてくるのは、友達の実稲ちゃん。
 やたらと可愛い女の子が多いこの蒼坂高校の中でも、彼女の外見はトップを争う。そのうえ雑誌のモデルをしているのだから、凄い女の子……なのだが、いかんせん性格が難有だ。我儘で気分屋で、興味のない事には取り繕うことすらしない。
 今も宗にぃに関しては興味がないと言いたげに、「それより、ねぇ珊瑚ちゃん」とあっさりと話題を変えてしまった。

「ねぇ見て、実稲のリボン可愛いでしょ!」
「あ、本当だ。実稲ちゃんのことそんなにちゃんと見てなかったから気付かなかったけど、また新しいリボンにしたんだね」
「シビアな珊瑚ちゃんも素敵。このリボン、撮影で使ったやつなの。気に入ったから買い取っちゃった」

 嬉しそうに実稲ちゃんがシャツの胸元にかかるリボンに手を添える。
 綺麗な色の布、縁には細かなレースが控えめながらに飾られている。隅に施された刺繍はブランドのロゴなのだろうか、生憎とブランドには詳しくないので良くわからないが、確かに可愛いリボンだ。
 正直に褒めれば、嬉しかったのだろう実稲ちゃんが高い声をあげた。朝から元気なのは良いことだが、ちょっと落ち着いて貰いたい。

「可愛いでしょ! それで……もし良ければ、珊瑚ちゃんのリボンと交換したいなって。友情の証に、互いのリボンを」
「無理」
「友情の証に互いのリボンを交換しあうの!」
「無理。それに私ネクタイだし」
「友情のっ」
「繰り返しても無理」

 悉く却下すれば、三度目にして実稲ちゃんが諦めの表情を見せた。
 幼さがだいぶ残る顔つきは喜怒哀楽の変化が分かりやすく、しょんぼりとしたその表情に周囲の男の子達が僅かにざわついたのが分かった。視線が注がれる……私ではなく、実稲ちゃんに。

 実稲ちゃんは男の子に人気がある。
 可愛くてお洒落なのだから当然といえば当然。私からしてみれば難有りな我儘も、彼女に惚れている男の子達からしてみれば可愛さに繋がるようだ。『我儘なお姫様』きっとそんなイメージなのだろう。
 体系は……私も人のことを言えるわけではないが、なんともお互いまだまだこれからだ。だがこれもまた一部の男の子達からしてみれば魅力になるらしい。よく分からない世界である。

 そんな実稲ちゃんが「相変わらずつれないんだから」と私を睨んでくる。
 といってもその表情も尖らせた唇もわざとらしく、拗ねているアピールでしかないのは目に見えて明らか。構ってほしい時に彼女が使う常套手段だ。
 だがそんな分かりやすい拗ね方も男の子達からしてみれば可愛いの一言に尽きるらしく、彼等はうっとりと実稲ちゃんを見つめ、「東雲は我儘(わがまま)だなぁ」なんて浮かれた声色で話している。中には「俺に言ってくれればなんでも叶えてやるのに」なんて事まで口にしている子もいて、これには呆れしか湧かない。

 拗ねた表情で私を見つめてくる実稲ちゃん。
 それを見つめる男の子達。そんな男の子達と実稲ちゃんを不満そうに見る他の女の子達……。

 うんざりだと溜息をついて、私は授業が始まるからと纏わりつく実稲ちゃんを追い払った。




 蒼坂高校には幾つかジンクスがある。
 その一つが
『ネクタイとリボンを交換した男女は結ばれる』
 というものだ。実稲ちゃんはこのジンクスを『友情』に置き換えて、私のリボンと交換しようと強請ってきたわけである。

 元々の規定では男子はネクタイ・女子はリボンと決められているが、かといって厳しく強いられているわけではない。むしろ他校に比べても校則は緩いほうで、どちらを着用していても自由。それどころか半分近くの生徒が面倒という理由から着けていない。
 そんな状態から生まれたのがこのジンクスだ。
 恋愛に絡めたジンクスは何とも高校生らしいもので、教室を見回せば数人の女子生徒が胸元にネクタイを下げ、そして鞄にリボンを着けている男子生徒もいる。
 そして私の胸元にも……。

「それ宗佐のなのか?」

 そう意外そうに尋ねてくるのは、二年生の敷島健吾先輩。
 宗にぃの友人である彼は――本人はよく「ただのクラスメイト、なんだったら顔見知り、いっそ赤の他人に戻してもらいたいぐらいだ」とぼやいているけれど――見た目は少し怖いが、実際は面倒見が良く話しやすい人だ。
 ……そもそも、面倒見が良くないと宗にぃの友達は続けられない。
 そんな健吾先輩に、対して私は胸を張ってネクタイを見せつけた。裏に刺繍されているS・Sの文字は、紛れもない『芝浦宗佐』のものだ。

「そうですよ、宗にぃに貰ったんです」
「いやいや待てよ、お前だって芝浦珊瑚でイニシャルS・Sだ。どうせ見栄張って自分で買ったんだろ」
「そんな切なくなることするくらいなら、宗にぃの部屋から盗んだ方がまだマシです。というか、正真正銘、宗にぃのネクタイですし直接本人から貰ったんです」
「そんなまさか、さすがにそれは……」

 それは無いだろう、とでも言いたげな健吾先輩の言葉に、手洗い場から戻ってきた宗にぃの言葉が被さる。

「珊瑚のネクタイなら、俺があげたやつだよ」

 と。
 その口調は酷くあっさりとしていて、他意なんて微塵も無い事が分かる。

 確かにこのネクタイは私が宗にぃから貰ったものだ。
 私が蒼坂高校への入学が決まった時、お祝いに貰ったのだ。今でも鮮明に思い出せる。はっきりと「宗にぃのネクタイが欲しい」と告げた私に、宗にぃはそこにある願いも思いも何も気付かず、ジンクスを知っておいてなお淡々と「こんなんで良いのか?」とネクタイをくれたのだ。

『もっと別の物でも良いんだけど。携帯のカバーとか、この前欲しがってたのあっただろ』
『良いの。宗にぃが今着けてるネクタイが欲しいの』
『まぁ、珊瑚が欲しいって言うなら良いけど。でも女子の制服にはリボンの方が可愛い気もするんだけどなぁ』

 そんな会話をしていたことを今でも思い出せる。
 そうして彼は、自分の首元からネクタイを外し、あっさりと私に手渡してくれたのだ。『入学おめでとう』という言葉と共に、屈託なく笑いながら……。

 少しでも照れて欲しかった。
 いっそ「恋人に思われたらどうするんだ」ぐらいの事を言ってほしかった。
 そうすれば、私の気持ちも少しは晴れただろう。宗にぃの中で『女の子』として存在出来ていると思えただろう。

 そんな当時のことを思い出しつつネクタイを撫でれば、「芝浦君!」と切羽詰まった声が聞こえてきた。
 見れば、同性の私でもクラクラしてしまう程に愛らしい顔つきの女の子が一人。
 彼女は月見弥生先輩。
 宗にぃのクラスメイトで……そして、宗にぃが一年生の時から想いを寄せている人。実際に見るよりも先に、何度も繰り返しその名前を宗にぃの口から聞いた。
 そのたびに私の胸は締め付けらえるような痛みを覚え、そして本人を前にすると、その勝ち目のない可愛らしさに敗北感を覚える。

「し、芝浦君。その子にネクタイあげちゃったの!?」
「え、どうしたの月見さん。その子って、珊瑚のこと?」
「珊瑚ちゃんっていうの……し、芝浦君の……もしかして……芝浦君の……」

 月見先輩が動揺を隠しきれずに私に視線を向けてくる。
 その表情が、瞳が、震える声が、全てが「まさか……」と言いたげではないか。きっと宗にぃのネクタイを持つ私に対して、今までにないほどの強力な恋敵の出現を感じ取っているのだろう。
 だからこそ私は堂々と、

「恋人です!」

 と嘘を吐いた。

「そんな、芝浦君の……」
「一つ屋根の下で暮らす恋人です!」
「ひ、一つ屋根の下……ど、同棲……!」
「あ、そうでした、わたし隣のおばぁちゃんちに居ることが多いから、二つ屋根の下に暮らす恋人です!」

 適度に訂正しつつ嘘を吐き続ければ、月見先輩が驚愕といった表情を浮かべる。
 時に私の言葉を繰り返し、時に息を呑む、なんと素晴らしいリアクションではないか。この際だから悉く正論を叩き付けて邪魔してくる健吾先輩を一切無視して、もう少し月見先輩を混乱に陥れよう……。
 なんてことを考えていると、健吾先輩があっさりと「こいつは宗佐の妹だ!」と結論を言い放ってしまった。

 なんて面白くない。
 もうちょっと月見先輩の反応を楽しみたかったのに。
 そう健吾先輩を睨みつけて視線で訴えれば、逆に咎めるような表情で返されてしまった。
 健吾先輩曰く、月見先輩は宗にぃ絡みでは冗談が通じなくなるらしい。
 試しにと更に「宗にぃのお母さんと仲が良い」と告げてみれば、月見先輩が更に表情を強張らせた。「そんなに仲が良いのっ……!?」という声は中々に緊迫感を感じさせる。

 なるほど確かに、これは冗談が通じない。
 私は宗にぃの妹なんだから、宗にぃのお母さんは私のお母さんでもある。普通なら直ぐに気付くはずなんだけど……。

 そんな呆れを抱きつつも話をしていると、宗にぃがまるで発言の許可を求めるようにそろっと手を上げた。話題に着いていけずにいたのか、「本題に戻っていい?」という声は妹ながらになんだか情けない。
 その声に健吾先輩が宗にぃを呼び、私の胸元のネクタイと宗にぃを交互に見やった。

「宗佐、これ本当にお前のなのか?」
「そうだよ。珊瑚が入学祝いに欲しいっていうから、あげたんだ」
「深い意味は?」
「深い意味って?」

 ん? と宗にぃが首を傾げる。その表情は誤魔化しや照れ隠しなど一切無く、本気で疑問を抱いていると言いたげだ。頭上にポンポンと疑問符が浮かび上がりかねない。
 そんな宗にぃの返事に、健吾先輩がジッとこちらに視線をやってきた。
 物言いたげなその視線。彼の言わんとしていることを察して、私は返事もせずにそっぽを向くことで返した。誤魔化すにしてもこれは白々しかっただろうか。
 だけどこれは健吾先輩が悪い。なにせこの流れで私に視線をやるなんて非道すぎる、そのうえ、

「おい、そのネクタイに意味はあるのか?」

 なんて聞いてくる。
 それに対して私は本音を返せるわけがなく、しれっとそっぽを向いたまま、

「身につけることに意義があるんです」

 と返してやった。
 健吾先輩が肩を竦め、次いで宗にぃに視線をやるのが横目で見える。
 そうして彼が溜息交じりに呟く、

「宗佐はまったくその気が無いみたいだが」

 という言葉に、更には宗にぃまでが平然と、

「二本持ってたし、イニシャルも同じだし」

 と続くのだ。
 何気ない彼等の言葉が私の胸に突き刺さる。首をジワジワと締め付けられているような、このネクタイが首に食い込んで胸まで絡んで締め上げてくるような、そんな錯覚さえ覚えてしまう。
「分かってるから、言わないでよ」
 なんて、そんなことを訴えられたらどんなに楽だろうか。

 それでも私は平然と気丈に振る舞うしかない。
 宗にぃのネクタイを自慢して、健吾先輩の指摘には分かりやすく無視をして、そうして月見先輩をまるで『ライバル』のように敵視して……。本当はライバルになんてなれないのに。
 そんな会話を続けていると、月見先輩が小さな吐息と共にポツリと呟いた。

「いいなぁ、芝浦君のネクタイ……」

 心の声が漏れたような、どこか熱っぽい声。その声は消え入りそうな程に小さいが、それでも私の耳にはちゃんと届いた。……きっと、同じように近くにいる宗にぃにも届いたはずだ。
 現に宗にぃは「えっ……つ、月見さん?」と驚いた顔をして彼女を見ている。その瞬間に月見先輩の頬がポッと赤くなった。

 その姿も、表情も、まるで『芝浦君が好き』と言っているようなものではないか。

 月見先輩は迂闊だ。自分の想いを隠しきれていない。
 今まで何度も、誰が聞いても好意に気付けそうなことを口にしたり、宗にぃをジッと見つめたりしている。そして宗にぃはそのたびに彼女の行動に気付き、そして、

「月見さんが相手なら誰だって喜んでネクタイあげると思うよ! むしろ、俺だってあげたいくらいなんだから!」

 と、まったく頓珍漢なことを言って返すのだ。
 それも爽やかに、満面の笑みで。たとえばこれが赤くなっていれば照れ隠しに思えるし、頬を引きつらせていれば嫌悪を隠してのことだと考えられるだろう。だが宗にぃはそんな器用な男でも裏のある男でもない。ただ一言『鈍感な男』なのだ。
 今の発言も本気で思ってのものなのだろう。本気で、月見先輩が自分ではない(・・・・・)誰かを好きで、その人のネクタイを欲しがっている……と。そして純粋に「自分だってあげたくらいだ」と彼女に告げたのだ。

 その瞬間に漂った冷え切ったこの空気と言ったらない。

 健吾先輩がわなわなと震える。この展開にきっと彼も痺れを切らしたのだろう、宗にぃに掴みかかろうと手を伸ばし……そして、彼の手が宙を描いた。
 宗にぃの体が、あっという間に月見先輩の親衛隊達に担がれてしまう。

『月見先輩の親衛隊』とは字面の通り、月見先輩を慕う非公式な組織だ。他にも蒼坂高校には数人の女の子達の親衛隊達が居り、日々自分達の惚れた女の子達を見守ったりと活動している。
 そしてそんな親衛隊達に慕われ見守られている女の子達は、どういうわけか宗にぃに惚れているのだから不思議な話だ。そして妹として……誰より先に宗にぃを好きになった身として迷惑この上ない。
 そんな親衛隊達は当然だが宗にぃに対して敵意を抱いており、今もきっと会話を聞いていて堪忍袋の緒が切れたのだろう。度々その緒は切れているような気もするが、悪いのは宗にぃだ。
 兄がご迷惑おかけします……と、宗にぃを担いで連れ去っていく親衛隊達に向けて心の中で呟く。

 どうやら健吾先輩も同じな考えだったのか、連れ去れる宗にぃを眺めつつ呑気に手を振っていた。名指しで助けを求められてもこの態度なのだから、そこに友情があるのか疑わしいところである。
 そうして彼は私に視線を向けて、宗にぃを追わないのかと聞いてきた。

「随分と落ち着いてるな。助けにいかないのか、妹」
「多少は痛い目にあった方が良いかな、という小悪魔的な考えです」
「同感」
「妹ってのはちょっと意地悪で生意気なくらいが調度良いんですよ。それに……」

 健吾先輩に冗談めいたことを返し、次いでチラと月見先輩に視線をやった。
 そこにいる月見先輩はといえば、ズンと重苦しい音がしそうなほどに陰鬱とした空気を纏っており、顔を上げる気力もないと項垂れていた。同性の私ですら見惚れてしまいそうな可愛らしい顔つきも、今は虚脱感を前面に押し出している。

 だがそれも当然だろう。なにせ宗にぃの鈍感さは尋常ではない。
 日頃可愛らしい女の子達に奪い合われ、そして男の子達に嫉妬され、それでも一人の好意にも気付かないのだ。
 女の子達のアプローチに対して笑いながら「勘違いしそうだよ」と話していた時は、学校よりも医者に行かせるべきかと本気で悩んだほどである。――「いっそ病院に閉じ込めておけばいいのに」とは健吾先輩の言葉。なかなかに辛辣だ――

 そんな宗にぃの鈍感さに月見先輩が溜息をつく。もしかしたら「芝浦君が気付いてくれた?」と僅かにでも期待をしたのだろうか。そこからのあの鈍感を極めた一言なのだから、確かにこれは心が折れかねない。
 思わず同情が勝り、月見先輩の顔を覗き込んだ。普段は大きく綺麗な瞳が今は虚ろに濁っている。

「月見先輩……宗にぃは悪気があるわけじゃないんです。ただちょっと鈍感で、ちょっとと言うか、どうしようもなく鈍感で、もう本当にこっちが泣きたくなるくらいに鈍感なだけなんです」

 言いすぎかな?
 いや、もっと言ってもいいくらいか。

「そう、だよね……ありがとう珊瑚ちゃん。芝浦君、こういうことに鈍いもんね……」
「そうですよ。相手はあの宗にぃなんですから、これくらいで落ち込んでたら身が持ちませんよ」

 ね! と励ます様に声をかければ、月見先輩がゆっくりと頷いて笑みを浮かべた。先程まで死んだ魚のようだった瞳に僅かに光が宿っている。
 そうして月見先輩は連れていかれた宗にぃを追いかけて教室を去っていった。パタパタと足早に去っていけば彼女の柔らかな髪がふわりと揺れ、教室に残っていた男子生徒が横目でその姿を見送る。親衛隊に入っていなくても、男の子は誰だって彼女を可愛いと思うのだ。

 ……誰だって。
 …………宗にぃだって。

「……意外だな」
「健吾先輩、意外ってなにがですか?」
「いや、月見を励ましてたから。これぞチャンスとばかりに追撃でもするかと思った」
「健吾先輩の中の私はどんだけ非道なんですか。それに、他でもない月見先輩相手にそんなことしませんよ」

 きっぱりとそう告げた瞬間、教室内にチャイムが鳴り響いた。
 休み時間の終わりを知らせるチャイム……。まずい!と私が慌てて走りだせば、健吾先輩が「急げ」と茶化してくるのが背中越しに聞こえてきた。


+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ