どうせブスなら、気持ちのいいブスになりたい
今回のテーマは、「サバサバブス」である。
人間、誰しも「なりたい自分」というのがあるだろう。私も出来るなら、やはり美人になりたい。
それは今も思ってるし、おそらく一生思うだろうから、「『美人に生まれていたら、こんなはずじゃなかった』と、思うだけの人生だった」みたいな終焉を迎えると思う。
つまり、神に「美人にしてやろう」と言われたら、飛びつきたい気持ちを抑えて「やぶさかではない」と言うつもりだ。
だが、もし「なりたい自分にしてやろう。ただし、ブスのまま」と言われたら、とりあえず「全部ダメってことじゃねえか!」と、神にローリングソバットを食らわせたあと、〝じゃあもう顔はブスのままだとしたら、自分はどういうブスになりたいか〟という理想のブスについて考えるだろう。
「理想のブス」「なりたいブス」。人生長し、と言えど、このようなテーマで物を考える日がくるとは思わなかった。こんなストイックな妄想、なかなかお目にかかれない。
それをあえて突き詰めていくと、おそらく私は、上記の「サバサバブス」になりたいのだと思う。
もちろん、「私、毒舌なんで」と前置きして、笑いのない悪口をまき散らす「自称サバサバブス」のことではない。口は悪いにしても、毒蝮三太夫師匠を女体化したようなブスだ。
今、恐ろしく性欲が減退するようなことを言ってしまった気がするが、どうせブスなら、気持ちのいいブスになりたいという話である。
それには自身も、己のブスをネタにした大爆笑ギャグを二億個ぐらい持っていないとダメだ。逆に言うと、二億個ギャグが創り出せるほどのブスということになってしまうが、それを悲観したいのが「サバサバブス」である。
ここで注意したいのが、決して「笑われる」ブスであってはいけない。自らが「笑わせにいく」ブスでなければいけないのだ。もちろん、「私ブスだし」と言いながら「そんなことないよ」と言われるのを全裸待機しているブスはダメだし、通報していい。
明るくて面白いだけではなく「一目置かれるブス」であれ
そして、これは「自称サバサバブス」が、一番勘違いしていることだが、よく「私はサバサバ系だから、女より男の中にいる方が楽なの」という女がいるが、普通、男の集団の中に女が一人いたら、その男たちが乳児でない限りは、男たちは女に気を使うものなので楽なのは当たり前である。
そのレベルが高くなると、〝オタサーの姫〟や〝アナタハンの女王〟になったりするのだが、男の中にいるのが楽なのは、その女の性格がサバサバだからではなく、単なる男の気づかいによって成り立っている場合が多く、むしろただの「女の中に入れなかった女、他人に気を使われないと嫌な女」である可能性が高い。
本当にスカッと爽やかなサバサバ系なら、絶対に男女共に好かれるはずである。つまり、サバサバブスも、そうでなければならない。
好かれるといっても、ただ愉快なブスというだけではいけない。
「おもしろブス」と「舐められブス」は紙一重であり、男からは、いじると面白いブス、女からは、合コンで笑いを取ってくれる上に、自分の引き立て役になってくれるブスとして扱われることもままある。
よって、明るくて面白いだけではなく「一目置かれるブス」でなければならない。女からは頼りになるが、敵に回したくはないと思われ、男からは「こいつ、チンコはないにしてもキンタマは6個ついているだろう」という、女でありながら兄貴的存在のブスだ。
それは確かに、素晴らしいブスだが「モテないだろう」と言われるかもしれない。だが、ここまで考えて気づいた。「モテは別にいいんじゃないか」と。
私は、とにかく幼少期から性格が暗いのと、コミュニケーション能力が低いのがコンプレックスであった。また、社会性が著しく低いため、自分のことでさえろくにできず、他人に頼られるなど、夢のまた夢なのである。そこから上記のような、「理想のブス像」が生まれたわけであり、そこにモテがいるかというと、絶対いるというわけではない。
もし、この妄想が「顔も中身も理想通りにしてやる」だったら「じゃあ、石油王と結婚できる女になる」など、発想のIQが3くらいになったはずである。ある意味、「顔はブス」という縛りを入れることにより、自分が真に求めているものがわかった。
皆様も「自分が佐々木希だったら」のような絵空ごとよりは、あえてブス前提、むしろ今よりブスと化して、そこから何を求めるかを考えると、本当の目的や目標が見えてくるかもしれない。
理想のサバサバブスは、知性や漢気とキンタマ6つを持つ女
でも、モテとまではいかなくても、その漢気と6つの輝くキンタマに惚れ込んだイケメンがブスを見初める、みたいなストーリーぐらいはあってもいいんじゃないかと思われるかもしれないが、それも逆に台無しである。
それでは、どんなに気のいいブスでも、やっぱり男に相手にされなきゃダメであり、「男に愛されるのが女の幸せなんだ」という前時代的な話になってしまう。『アナと雪の女王』だって、王子様は必ずしもいなくていい、というストーリーだったのがヒットした理由の一つと言われている。
よって、サバサバブスが主人公の『ブスとブスの女王』は「ブスに惚れるイケメン王子はいてもいなくてもいい」くらいでなければいけない。
結論として、私のなりたい理想のサバサバブスとは「知性とユーモア、漢気があり、男女ともに好かれ一目置かれるキンタマを6つ持った女」ということになる。
「もし、美人になったら」も絵空事だが、この理想のブスも「もし、宝くじで6億円当たったら」ぐらい現実味のない話である。
どうせありえない話なら、やはり私は「美人になったら」を妄想した方が正しいような気がする。