蹴球探訪
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【スポーツ】[テニス]錦織が銅メダル 日本勢96年ぶりの快挙2016年8月16日 紙面から
◇リオ五輪 男子シングルス男子シングルスの3位決定戦で第4シードの錦織圭(26)=日清食品=は6−2、6−7、6−3で第3シードのナダル(スペイン)を破り、銅メダルを獲得した。日本勢のメダル獲得は、1920年アントワープ大会で熊谷一弥が男子シングルスで銀、熊谷が柏尾誠一郎と組んだ同ダブルスで銀メダルを獲得して以来96年ぶりの快挙となった。決勝は第2シードのA・マリー(英国)が7−5、4−6、6−2、7−5でデルポトロ(アルゼンチン)を下し、2連覇を達成した。 渾身(こんしん)の力を込めて放った185キロのサーブに、ナダルはしゃがみ込んでラケットを差し出すだけだった。2時間49分の死闘に終止符を打った錦織は、日が傾き始めたリオの空に高々と両腕を突き上げた。1920年アントワープ大会で獲得した、全競技通じて日本五輪史上最古のメダルから96年。歴史を動かした錦織は日の丸を身にまとい「日本のために戦うのは心地良かった」と喜びに浸った。 負の要素はいくつもあった。四大大会優勝14度を誇る北京五輪金メダリストのナダルとは通算対戦成績1勝9敗と大きく負け越していた。また、3位決定戦は四大大会やツアーにはなく、準決勝でマリー(英国)に完敗した気持ちの切り替えも注視されていた。 跳び上がって打つ代名詞「エアK」も繰り出し、第1セットを先取。第2セットも5−2と追い詰めたが「メダルを意識して、硬くなった」と、2度のブレークバックを含む4ゲームを連取され、最後はタイブレークの末にセットを落とした。 「何度も気持ちが折れそうになった」が、流れを変えたのは最終セット直前の「トイレットブレーク」だった。10分を超える中断で着替えを済ませ、気持ちを落ち着かせた錦織とは対照的に、ナダルはいら立ちだけを募らせた。最終セットに突入した試合の勝率が歴代最高78%超という勝負強さを発揮。第4ゲームをブレークすると、そのまま押し切った。 5歳でラケットを握り、小学1年から両親に連れられ「グリーンテニススクール」(松江市)に入った。当時指導した柏井正樹さん(56)は「能力、ゲームセンスもそろっていた」と振り返る。小学生の頃から高校生に勝つこともあり、島根大で大学生相手に練習していた。13歳で単身渡米するまで過ごした松江市の立乃木小学校卒業時には、学校の広報誌に「日本一 次はその上 世界一」と川柳を詠んだ。 18歳で出場した2008年北京大会は1回戦敗退、12年ロンドン大会は88年ぶりの8強進出。順調に階段を上り、3度目の五輪でメダルを手にした。表彰式で日本テニス界が待ち焦がれたメダルを首に掛けられ「重かった。いろんな思いが巡った」と実感を込めた。 今月末から四大大会の全米オープンが早くも始まる。ここからさらなる高みを目指す戦いが始まる。4年後の東京五輪に向け「正直、ちょっと楽しみ。今までにない感覚が出てきた」と意欲を示した。東京では、この日見上げた表彰台の一番高い場所に立つ。 (山本直弘) PR情報
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