去る6月18日、日本に初上陸した「FailCon Japan」。前回のJay Adelson氏と初回のnanapiのけんすう氏に続く今回のレポートでは、株式会社クラウドワークス 代表取締役社長・吉田浩一郎氏による「市場と仲間の選び方:1億の赤字と役員の離反で学んだこと」と題されたセッションを紹介。
クラウドワークス創業から、わずか2年で14億円の資金調達を実現した吉田氏。一見、順風満帆そうに見える吉田氏の起業家人生には、どんな苦難があったのだろうか。
キャリアアップの果てにあった起業という道
神戸の中高一貫校を出た吉田氏は、詩人で劇作家の寺山修司に憧れて演劇を志したものの、劇団経営に失敗して借金を背負うことに。それを機に入社したパイオニアでは、カーナビのルートセールスに従事する。新規営業をやりたいと転職した外資系企業では、新規事業の立ち上げを経験。次は会社を作ろうと大前研一氏のビジネススクールに入ったのが29歳のことだった。
そこで出会った堀江貴文氏や孫泰三氏から刺激を受け、インターネット業界を目指そうと、2004年に役員としてドリコムにジョインすることになる。その後、2006年2月にドリコムはマザーズに上場。自信をつけた吉田氏は「これなら自分にもできるだろう」と、とりあえず起業したのだが…。
「何をやっていいのかわからなくて、どんどんお金が減っていく。とにかく恐怖心しかなかったです。声がかかったものには、やみくもに手を出していました」(吉田氏)
自社サービスを作るために、ひたすらもがいた3年間
起業当初の吉田氏がチャレンジしたビジネスとは、どれも嘘みたいにぶっ飛んだものばかりだった。いきなり、上海の森ビルでワインビジネスを始めようとしたり、ドバイでバングラデシュ人とベトナム人の派遣業をしようとしたり、マレーシア中部に10億円で国を作ろうとしたり…。
「営業力はあったので、日本でのコンサルや受託で儲かってはいたんです。そのお金を、アジアや新規事業に全部投資していました。やる前に分かれよって感じですが、初めての起業って、こんなもんなんですよね。藁にもすがる思いというか」(吉田氏)
そんな数々の紆余曲折を経てたどり着いたのが、男性専門のスカートの販売だ。有名ブランドの巻きスカートのような『メンズスカート』を集めたECサイトを作ったのである。
「超当たって、いろんなメディアで『これからはスカート男子だ!』と取りあげられたんですけど、みなさん想像がつくようにですね、市場が小さすぎたんですよね(笑)。数百万円かけて、月々20〜30万円はいちおう売上が立つんですよ。そういう中で事業をやめると全部損になる。これがいわゆるサンク・コストですよね」(吉田氏)
一度立ち上げた事業を撤退することは容易ではないと知り、起業は初めから一番大きな市場を狙わないと、成功しないと学んだのだという。
役員の離反に直面して…
「こんな感じでいろんなことをやっていたんですけど、あるとき、日本のアパレルをベトナムで売るという事業を始めました。これが大当たりで、現地でもめちゃくちゃ売れたんですよ。現地に店も作って、ECも立ち上げて。日本国内の受託仕事で売り上げた利益を、最終的に1億円くらいベトナムに突っ込みました。でも在庫処分の仕方がわからないので、ベトナムにどんどん服が溜まっていく。非常に鬱屈した気持ちで大変でした」(吉田氏)
そんなとき追い打ちをかけるように、日本の収益を支えていた事業の担当役員が、取引先を全部持って独立してしまった。のちに、半年ほど前から着々と準備を進めていたことがわかり、憎んで憎んで、寝ても覚めても顔が目に浮かぶほど憎んだのだという。
「でもまぁ、考えてみればそりゃそうですよね。だって、日本で稼ぎ頭の事業があるのに、その利益を全部ベトナム担当役員が使うんですから、収益事業の方は面白くない。これもベンチャーあるあるですね」(吉田氏)
そして、さらに追い打ちをかけるように、ベトナム担当役員も「これ以上赤字を出し続けるのは精神的にキツイ」と離職を決めた。
「両方の担当役員から見放されて、もう絶望的だと思いました」と、当時を振り返る。
今だからこそわかる「Fail」の原因
吉田氏は、自分の「Fail」の原因を、次の5つにまとめた。
1:起業が単なるお金儲けになっていた
お金儲けなんて、夢がない。夢があったら、もしかしたら役員もついてきていたかもしれないと、今は思う。
2:自分の強みに特化していなかった
営業に強いはずなのに、コンサルやアパレルだと、自分の強みは何も活かせない。
3:事業を絞り込めなかった
怖くて5つくらいやっていると、担当役員は100%なのに自分は5分の1しかコミットできなくて、自分がボトルネックになってしまう。
4:会員登録などの仕組みがなかった
取引先を簡単に持っていかれないよう、会員登録のような利用者を囲い込む仕組みを用意しておくべきだった。
5:自分のお金だけでやろうとしていた
ベンチャーキャピタルのことをよく知らなくて、なんか怪しい人だなくらいに思って、自分のお金と借りたお金だけでやっていた。失敗して初めて出資の意味がわかった。社会には成功者が作った大きなエコシステムがあって、出資を受けるということは、エコシステムに入るチケットを手に入れるようなもの。そういう人たちに入ってもらうことで、いっしょに押し上げてもらえることがわかった。
「名誉やお金じゃなくて新しい価値をもたらし人に感謝されたい。人とのつながりによって生まれる喜びや感謝こそが、私自身が求めているものなんだとすごくすっきりした」と語る吉田氏。インターネットの分野で法人営業の経験を活かせる成長産業はないかと見つけたのが、クラウドソーシングだった。
「不退転の覚悟でやらないとダメだと思ったので、車も売って、2500万円の財産もすべて突っ込んで、完全に退路を断ちました。これほど迷いのない状態だと、みなさんから驚くほど応援していただけて、14億円もの出資をいただいています」(吉田氏)
「これだけの失敗があったからこそ、今のクラウドワークスでは、この3年間ノートラブルで経営ができている」とし、失敗を失敗のまま終わらせない、不屈の起業家魂をのぞかせたのだった。
(野本纏花)