第百七十五段 一遍会「掲示板」(平成二十七年長月九月)に日録を掲載せしこと。

9月30日(水)
一遍会の平成27年度上期収支決算(案)を取りまとめ、銀行をまわり確認する。当初予算の7割をキープしており順調に推移している。
公民館図書館で3冊貸し出し。
@東山緑『世阿弥』(東方出版1999)
A佐藤弘夫『日本中世の国家と仏教』(吉川弘文館2010)
B関川夏央『昭和三十年代演習』(岩波書店2013)
午後、関川夏央『昭和三十年代演習』を通読する。平成25年の冬季子規塾で関川氏の「子規と漱石の友情」を聞いたが、その時、歴史にめっぽう詳しい文芸評論家の印象を受けた。昭和三十年代は、慶応大学大学、鐘紡就職、結婚・長男次男誕生、本社人事部転勤という人生の骨格を決めた時代でもあり、関川史観との同感と「ずれ」を感じながらの読書となった。
大垣会の案内(11月21日土曜)来る。昭和33年から38年までの5年間を過ごした母店工場でもある。今年も参加の予定。
【メモ】
「愛松亭」:漱石が数ヶ月二階に居住したが一階は図画担当の高瀬半哉教諭。後に漱石の主治医となる真鍋嘉一郎が書生として同宿を希望したが断っている。(関川夏央『子規、最後の八年』(講談社2011)
9月29日(火)
早田啓子『一遍 ―その思想と生涯』(東京堂2013)再読。「神託」に関して「虫食いの神詠(能「名取ノ老女」)」を知る。 神と人の意思疎通には下記4つがある。(金井清光『時衆文芸研究』)
1、夢の中に神が現れて神意を告げる。
2、神霊が人間に憑き、その人間の口を借りて神意を伝える。
3、虫食いの神詠
4、神格を有する人間が和歌を詠ずる。
朝の内に作務1時間、昨日の刈った草を堆肥として積み重ねる作業のみ。日中、家人と「壱湯の守」(奥道後)に出かけ、ランチバイキングと露天温泉で4時間のんびりとリフレッシュする。
夜8時「十六夜の月」を眺め、「モンスター ムーン」の夜空鑑賞は終わる。次回は10数年後とか。立待ち月(17日)、居待ち月(18日)、寝待月(19日)と続く。二十日月は更待月(ふけまちづき)で、二十一日月以降は・・・・・。平安時代の夜は暗闇でありさぞかし月は・・・の感がする。
9月28日(月)
午前中、書斎と書庫整理。楽しみな作業である。気温が28度に上がる。
午後、NHKBSプレミアムで「ザ・ベストテレビ2015」を見る。
@日本放送文化大賞「NNNドキュメント マザーズ〜特別養子縁組と真実告知」(中京テレビ放送)
A文化庁芸術祭賞「君が僕の息子について教えてくれたこと」(NHK)
Bギャラクシー賞「QABドキュメンタリー 裂かれる海?辺野古 動き出した基地建設」(琉球朝日放送)
特にAは自閉症の男が対話はできないが文字盤を通して豊かな表現をする。彼のエッセイが翻訳されて世界の自閉症の子供を持つ親に伝わり、自閉症の子に対する対応が変わっていく。感動的なドキュメンタリーである。専門家のコメントで自閉症の患者の脳内の「欠落部分」を補足するために脳内で新しい「追加部分」が補充される。今後、脳内で何が欠けているかでなく、何が追加されたかを調査し、その部分を伸ばすことが自閉症の治療よりも優先されるべきかの指摘は、強烈な衝撃を受けた。人生を考えるヒントを得たように思う。
夕2時間作務(裏庭の除草)。宇和から栗が届く。夜、早田啓子『一遍 ―その思想と生涯』(東京堂2013)再読。「補論 一遍の和歌」では「総ての表現活動或いはまた自然の生起さえ名号に帰一している」と結論付けている。
今宵は仲秋の「満月」である。昨夜と特に変わった月ではないが、「月々に月見る月 は多けれど 月見る月はこの月の月」を口にしながら月見をする。
9月27日(日)
10月度「一遍会ニュース」を取りまとめる。トピックスは、@宝厳寺彼岸大施餓鬼 A県歴博秋の行事 B全日本仏教徒会議愛媛大会 C大正大学「時宗閲覧室」設置 を掲載する。
第四日曜日の道後朝市(湯あがり市)をのぞく。閑散としており、お客も少ないが出店も少ない。「一遍グッズ」を販売している三好隆さん(商店街振興会理事長)と立ち話。朝市も10年経つとマンネリ化して悪循環が続いている由。ターゲットが観光客なのか地元の人なのか、魅力ある商品は殆んど見当たらない。 
渋柿(熟し柿)を近所に配る。100年近い古木の柿だが、出回っている柿の味とは一味も二味も違い、シニアに大好評である。
昼NHK「市川染五郎 ラスベガスの歌舞伎」を観る。出し物は「鯉つかみ」。ラスベガスのもっとも著名なホテルの前の池の中に特設舞台がセットされ、バックには大仕掛けの噴水が映像を映し出す。日本語が分からなくとも、男と女(実は鯉の化け物)、仇討ちとくれば、それぞれの国に伝わる昔話と関連付けて楽しんだことだろう。家人と数年前にラスベガスに出かけたときに立ち寄ったホテルだし、豪華な噴水ショウを眺めただけに「土地勘」と「雰囲気」も承知していたので大いに楽しめた。
午後2時間作務(ケール畑ほか)。夜はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」と古典芸能「誓願寺」(遊行上人と和泉式部)を楽しむ。満月か、東天に大きな月が浮かぶ。室町期の「仲秋の名月」も同じか。
9月26日(土)
HP一遍会の10月度版の更新作業開始。八束武夫氏から「一遍会報」掲載論文の校正が届く。訂正する。第372号の編集は完了する。
「幻想神空海」の前半は夢枕獏の随想的な空海論である。「理趣経」の(危険な)解釈が、なかなか面白い。
午後2時間作務(畑の除草など)。「漱石と子規」交流懇親会の案内あり、残念ながら大阪出張中で断る。10、11月の予定が立て込んできた。土・日は殆んどがバッティングである。恒例行事を優先するしかあるまい。
TVで評判であった「表参道高校合唱部」が終わったが見ていなかった。Gyaoで最終回分を視聴する。ストーリーは単純だが「劇中劇」は面白い。ハッピィーエンドで離婚がなくなり家族を取り戻すという、めでたし、めだたし。
9月25日(金)
テレビ「失楽園」のヒロインを演じた女優川島なお美の訃報が流れる。上演中の芝居を降板してから10日ほどである。「胆管癌」である。松山子規会の和田克司さん(77才)が7月に亡くなったが、京大病院で「胆管癌」手術をして数日後に息を引き取った。死亡率の高い悪性腫瘍とのことである。お悔やみ申し上げる次第である。
10月25日開催の県民文化祭(フェスティバル)の入場予約。道後公民館図書室で秋の夜長用の本を物色する。
@夢枕獏「幻想神空海」(マガジンハウス2014)
A長尾誠夫「子規と漱石のプレイボール」(ぴあ2014)
Bドナルド・キーン「正岡子規」(新潮社2012)
「幻想神空海」の後半は夢枕獏と宮崎信也(高野山真言宗般若院住職)の対談。一気に読む。
午後、作務2時間(畑の除草など)。気温27度で汗をかく。夜、「しこく戦後70年コンサート 名曲でつづる四国の歴史と風景」75分を楽しむ。司会は松本明子、徳田章アナ。
9月24日(木)
一晩降り続いた雨が昼前にやっと止む。『一遍会報』第372号(10月例会配布)の割付が完了、八束武夫氏に「河野氏の遠祖を探る 河野氏は本当に越智姓か」の校正を依頼。10月度例会発表の「一遍の師 聖達上人と伊予河野氏」の資料を教示していただいた大宰府の杢尾幹雄氏に講話レジュメを送る。例会までにコメントが届けば、早速修正なり補強をしたい。
田中弘道理事から室町期の伊予の「弥勒寺院」についての照会あり。考古学では道後に白鳳期の土器が発掘されるのだが、道後における弥勒寺院の特定は難しい。午後、竹村牧男『日本佛教のあゆみ―信と行』(NHKこころの時代)を精読す。
9月23日(水)
宝厳寺彼岸大施餓鬼に出席。一遍聖の第727回忌に当たる。一遍会からは、小沼代表、今村理事と3名が参加。川崎玄倫兼務住職(尾道・海徳寺住職)と初めて話をする。陽子さんも本山(清浄光寺)から帰寺しており、明るい笑顔にほっとする。昨年10月の「第4回人権啓発土曜講座」以来である。法要のあと島崎雄三総代から宝厳寺再建の経過と今後の取り組みが発表。スプリンクラー(sprinkler)は予算1億円で手が出ないとの報告に納得する。建設中の本堂、一遍上人堂の木組みを観察する。帰途、伊佐爾波神社を参拝し、義安寺の墓参を済ませる。30度近い気温で疲れが出る。
裏庭の蔓の植物は「へちま」であることがやっと判明。(子規博の石垣に糸瓜のつるがひろがっている)。へちまは糸瓜。いとの「と」がいろは歌の「へち間」とは、江戸の風流に感心する。『寺社と民衆』Jから「近世後期の俗聖の身分向上をめぐる一考察」(石塚勝)を読む。
夜、椿の湯。入浴後ホールでNHK「歴史秘話ヒストリア」で「忠犬ハチ公・真実の物語」を見る。今春、東大農学部の入り口に設置された「上野英三郎教授とハチ公」を見るべく上京しただけに大いに興味わく。
@渋谷のハチ公は二代目であり、製作者は父子であったこと。
A上野英三郎教授夫人は「未入籍」で、博士の死後上野家を終われ、ハチ公ともども郊外に転居したこと
B渋谷駅利用者、駅員の「ハチ公」へのまなざしなど。
【メモ】
聖の8特徴:隠遁性、苦行性、遊行性(廻国性)、呪術性、世俗性、集団性、勧進性、唱導性
(五来重『増補〜高野聖』角川)
9月22日(火)
秋の大型連休も傘寿老人には無縁か。引き続き「一遍と聖達上人」の基本資料の調査を続ける。聖達上人の終の寺院(原山松岡院知恩寺)につき京都西六条慶証寺玄智景耀著『大谷本願寺通紀』に知恩寺の記載を見つける。『寺社と民衆』Jから「一向諸伝の成立について」(井澤隆浩)、「『一遍聖絵』の中の一遍伝記」(石原勝)らの論文を読む。
日中、断続的に2時間ほど作務(表庭の除草)。夜、「椿の湯」。
9月21日(月)
朝6時から、松山子規会向きの「一遍聖の法歌」のレジュメを取りまとめる。「一遍と聖達上人」に関して、弘安の役での河野通有と大村家信との「出会い」を確認する。
朝食後、庭木の剪定作業。例年秋祭り前の恒例行事だが、ことしも無事作業が完了した。カイヅカ、カシ、サルスベリなど。一本2時間はたっぷりかかる。16時終了。
「椿の湯」で疲れと汗を流す。秋の大型連休で温泉街は賑わう。温泉はミニお盆の混雑振りである。
【メモ】
一遍と聖達上人の類似性
@一遍は伊予河野家の別府流。弘安の役で活躍した河野通有とは従兄弟。
A聖達上人は肥前大村家嫡男。弘安の役で活躍した大村家信とは叔(伯父)父・甥か、父子か、従兄弟か。
B河野通有と大村家信とは弘安の役に参戦した大将同士。一遍と聖達上人は、当然、この出会いは知っていた。
新たなドラマが展開する。
9月20日(日)
昨日(19日)の@湯築城歴史塾A松山子規会Bえひめふるさと塾の論文を「復習」する。漱石の『愚見数則』の「豪傑論」は、12月の松山子規会講話「一遍の法話」で活用させてもらうことにした。午後、彼岸の入りでもあり、義安寺の墓苑に出かけ、線香を供え、シキミの水を補充する。帰途、ふなやの庭園にある足湯に20分ほど浸かる。長屋門前の川の清掃と草引き1時間。のんびりした休日となる。
夜はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」を観る。
9月19日(土)
多忙な秋晴れの一日となる。
10時から子規博で「湯築城歴史塾」Bに出席。講師は斉藤久士(県埋蔵文化財センター)、テーマは「中世前期の道後と湯築城」である。正確には中世前期には湯築城は築城されていない。考古学的分析で、道後地区には@文京・今市周辺地区 A堀の内地区 B道後地区 C石手地区 D樽味地区 E祝谷地区 F郊外地区 の内、11世紀から14世紀にかけて切れ目なく土器や遺跡が「発見」されているのが道後地区であることを知る。文京地区は11世紀から13世紀中葉まで、石手地区は12世紀中葉からである。
@石手寺裏五輪塔(花崗岩製)14世紀前半 
A義安寺宝篋印塔(河野通時 伊予白石製 14世紀中葉)も再確認の必要あり。配布資料にミス多く残念。
同時開催の子規博による「子規忌記念行事」には参加できず。
13時半」から松山子規会9月例会参加(正宗寺)。子規忌墓前祭、本堂での法要の後、講演は井手康夫会長の「井手淳二郎について(康夫父)」。内容は別として、子規忌に相応しいテーマとは思えない。如何なものか。
例会終了後、境内の「坊ちゃん列車」の中で今村威氏と一遍会の現状と今後について意見交換する。一遍会は、引き続き2年間、小沼・今村・三好体制で運営することを確認し、協力を要請する。三越で「柿右衛門展」、新装オープンの「アエル」二階の「明屋書店」の新展開の店舗設計を観察する。若者カルチュアのオアシスに化ける可能性はあるが、採算的には疑問が残る。
18時から「えひめふるさと塾」(第21回)出席(国際ホテル)。講師は武内哲志氏(松山坊ちゃん会 会長)テーマは「漱石赴任当時の松山中学―『保恵会雑誌』よりー」。老生も関心があり、先年伊予史談会でも発表した内容であるが、資料に『保恵会雑誌』の記事をフル活用したのが切り口として新鮮であり大いに参考になった。特に「『坊ちゃん』に反映した『愚見数則』の内容」は有益且重宝である。名刺交換する。
加戸守行(顧問、前知事)や金本房夫(市教委 委員長)両氏から中学校社会科教科書(歴史)採択に当たって「東京書籍」から「育鵬社」の「新しい日本の歴史」に代わったことについての経過説明があり、同社の真鍋栄一代表からも謝辞があった。個人的には「一遍と子規が掲載された教科書」の採択を多くの人に働きかけてきたので正直嬉しい。
22時帰宅。NHK「経世済民の男達 鬼と呼ばれた男〜松永安左衛門」を見て就寝する。
【メモ】
命に安んずるものは君子なり。命を覆すものは豪傑なり。命を怨むものは婦女なり、命を免れんとするものは、小人なり。」『愚見数則』夏目金之助(漱石)『保恵会雑誌』四七号(明治28年11月)この年、子規と漱石は「愚陀仏庵」で40数日起居を共にするが子規の「一遍は伊予国一の豪傑だ」とする記述の「豪傑」には「命を覆すものは豪傑なり」の真意が隠されていたのではないか。
9月18日(金)
松山子規会12月度例会の「一遍聖の法歌」は、子規会員向きに構成を考え直す。
1)中学校検定教科書の中での一遍と子規
2)子規の中での一遍 〜一遍は「豪傑」か〜 
昼、大和屋本館に家人と出掛ける。ランチ&温泉入浴で2,700円。伊予銀の招待である。先月は「山の手ホテル」、来月はどのホテルにするか。ロビーは大和屋がピカイチである。何時間居ても誰何されないのが有難い。露天風呂は一人だったので、松山子規会での「一遍聖の法歌」の構成をほぼ取りまとめる。
夜NHKTV「一路」を見る。時代劇の娯楽大作は、クライマックスに向けて更に盛り上がってきた。23時就寝したが、安保法案の参議院採決は「進行中」であった。「18日未明」に決着らしい。
9月17日(木)
昨夜から降ったり止んだりの天候である。外出もままならず一遍会業務に集中する。
1)10月度例会予告をマスコミ、ミニコミに流す。
2)「一遍会報」第373号(10月号)の編集。9月23日の宝厳寺の大施餓鬼法要の取材を待って割付をしたい。
第374号(11月号)は「一遍上人の法歌」が中心になる。10月度例会講話「一遍の師 聖達上人と伊予河野氏」は、昨日の県図書館での調査を加えて@年表 A「一遍聖絵」抜粋 B細部解説 に分けてレジュメを取り纏めた。
作業中、参院平和安全法制特別委員会で同時進行中の集団的自衛権の限定的な行使容認を含む安全保障関連法案の審議が気になり度々報道をチェックする。夕方には与党などの賛成多数で可決された。民主党は最後まで「反対 反対」で、代案を提出しなかった(というより提出できなかった)。隠れ民主党フアンとしては、政権に再度挑戦するには代案を出すべきだと考える。このままでは、永久野党化の道を歩むことになろう。
9月16日(水)
宝厳寺大施餓鬼(9月23日)につき小沼代表、蜂須賀理事と打ち合わせ、一遍会理事改選につき大西会員と打ち合わせ。
午後、県立図書館に『一遍会報』寄贈。一遍の師である聖達上人について@『角川日本歴史地名大辞典』A平凡社版『日本歴史地名大系』の各福岡県、佐賀県本B『福岡県百科事典』(西日本新聞社)を中心に事績、寺院等を調査する。
60年前にイギリス中世経済史を専攻した学徒として、最新刊であるアンガス・マディソン著『世界経済史 紀元1年―2030年』(岩波2015)貸し出し、秋の夜長にじっくり読み込んでみたい。「知者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」というが、マディソンは歴史に学び2030年の世界をどのように予測したのか・・・興味と関心が強く湧いてくる。
雨の中「椿の湯」に出掛ける。気温は25度を越えず、急速に秋になってきた。
9月15日(火)
朝6時から家人と義安寺の墓苑の草引きと整美。線香とシキミを供えて秋彼岸の準備は完了する。一遍会9月度収支チェック。喜捨分が14,235円、有難い。
前園実知雄氏に「一遍会報」贈呈。蜂須賀理事から宝厳寺大施餓鬼の案内(9月23日13:00〜)午後、『文芸春秋』I通読。
夕、家人と「松竹大歌舞伎 中村翫雀改め四代目中村鴈治郎襲名披露」を観劇(ひめぎんホール)。父子三代の競演である。
1、双蝶々曲輪日記 引窓(鴈治郎、壱太郎、寿太郎、亀鶴、男女蔵、佐団次)
2、口上(坂田藤十郎ほか)
3、連獅子(扇雀,虎之介)
21時半過ぎ帰宅。
(メモ)
上方歌舞伎は不勉強であるが・・・・・
1)坂田藤十郎一家
坂田藤十郎(三代目二郎、二代目扇雀 山城屋)
妹:女優の中村玉緒
夫人:元宝塚スターで参議院議長だった扇千景
長男:四代目中村鴈治郎(成駒屋)、その子に中村壱太郎(成駒屋)、
次男:三代目中村扇雀(成駒屋)、その子に中村虎之介(成駒屋)
2)「連獅子」坊主
清涼山に修行に来た日蓮宗の僧と一遍時宗の僧が、教義論争の末、題目(日蓮宗)と念仏(時宗)を互いに取り違えてしまうというもの。日蓮宗の「蓮坊」は京の本圀寺から、時宗の「念坊」は大和黒谷から来たとしている。黒谷といえば法然上人ゆかりでしょうが・・・明治初期の時宗の位置づけを垣間見た感じ。
9月14日(月)
半月ぶりに朝散歩。やっと体調が戻ったということか。伊佐爾波神社、義安寺コース。
午前中は、一遍会10月講話「一遍の師・聖達上人 関連年表」を作成し、『一遍聖絵』と「鹿島・知恩寺由来」との整合性を検討する。史実は別として、時系列的には問題なし。下記は興味ある記述。
@河野執行妻は薩摩国伊集院氏。聖達の肥前国大村一族とは縁戚ヵ。
A聖達上人継子「聖恵」が一遍遊行に加わる。
午後3時間、義安寺の墓苑の草引き。8分方完了。秋彼岸までには再度清掃の予定。「椿の湯」でのんびりする。、『一遍聖絵』と「法系図」から、聖達上人と河野通広、一遍の関連項目を取り纏め一覧にする。レジュメとしては一応完了する。
9月13日(日)
秋晴れの一日である。紅白の「まんじゅしゃげも」は、季節を忘れず、庭の片隅で咲いている。朝6時から2時間、家人と、剪定した松葉を十数枚のポリ袋にまとめる。表庭もスッキリした。体調はほぼ復調したが、入れ替わって家人が不調を訴える。
午前中は伊予史談会9月例会(県生活文化センター)出席。
1)井上淳氏(県教育委員会生涯学習課 専門学芸員)「松山城下屏風を読み解く」
2)松友武昭氏(会員)「続・松山古町の文芸」
「松山城下屏風」についての解説は初回ではないが、屏風を丹念に観察していないこともあり、その度に新鮮な「発見」がある。道後地区、とくに庄屋屋敷にまで筆が及んでいたら宝物を見るように真剣に眺めるのだろうが・・・今回は大街道川、中ノ川、大法寺川の記述がシカと頭に入った。石手川(湯山川)の城下町形成以前の流路について『土木史研究』第18号1998年が文献として掲載されている。
「続・松山古町の文芸」は、松友ワールドの世界である。貴重な文献紹介であるが、あまりに玉石混交である。時間をおいて、じっくりと整理してみたい。山内譲氏(松山大学教授)に『社寺と民衆』に寄稿された論文についての所見を伝える。
『戦乱の空間』(第14号)を求める。日和佐宣正論文「伊予国守護所湯築城とその城下について―「道後湯築城之図」等から考える―」に興味あり。
午後、書斎で一遍会10月度例会講話「一遍の師・聖達上人と伊予河野氏」の構成を考える。まずは関連年表をエクセルをつかって作成を開始する。通広から一遍の父子と聖達上人の関連だが50年に及ぶ。どのような関連年表になるのか見当がつかない。夜、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は史実とは関係ないドラマだろうが・・・・・
9月12日(土)
朝7時からシルバーセンター派遣の庭師2名で松3本の剪定始まる。夕方5時に終わる。
午後、一遍会9月例会。例会講師は老生でテーマは「一遍聖の法歌 ―捨・遊・念― 」である。90分たっぷりの話となる。興味を持った会員が3分の1、無関心が3分の1、眠り組が3分の1といったところか。仕上げは年末の松山子規会での同名の講演だから、何とか「歌のひじり 一遍」を松山市民に記憶してもらいたいものだ。
理事会では、@当面の一遍会の経営状態 A28・29年度役員人事 B宝厳寺との交渉をついて原案の了承を得る。マンネリのきらいはあるが、引き続き事務局を担当していきたい。のどの調子が悪かったので帰宅後ダウン。
9月11日(金)
午前中は、9月度例会講演「一遍聖の法歌」の一部加筆。三輩九品と八十一品法要について、解説つきで話すことにした。午後3時間、久しぶりに草引きの作務。椿の湯で休息。気管支炎が完全に治ったというわけでないが、まずは夏の病は快癒したと思う。夕、椿の湯。観光ボランティアのメンバー数人と会う。
NHK「ファミリーストーリー」はアイススケートの八木沼純子氏。松方正義、山本権兵衛9月13日の二人の総理を高祖父にもつ薩摩藩下の医師の系脈である。華麗ではあるが時代の中での苦労も多い。「先祖に励まされて」のコメントは同感である。
9月10日(木)
午前中は、9月度例会講演「一遍聖の法歌」についての最終点検。午後、表庭の柘植の垣根の剪定。来週は、庭木の剪定に取り掛からないと秋祭りまでに終わらない。道後の秋祭りは10月5・6・7日(月・火・水曜日)・・・町内会 松田副会長から祭り提灯の設置と点灯についての協力要請があった。
平成27年国勢調査の依頼。古茂田調査員は古茂田君の息子か。今回からはインターネットでの回答となる。『文芸春秋』I通読する。夜のTVで関東地区の豪雨による大水害のニュースが流れる。孤立した町中でのヘリコプターによる救出作業は夜間まで続く。
9月9日(水)
重陽の節句(菊節句)ではあるが、これほど季節的なズレを感じる節句もあるまい。今日も天候不順で、全国的には荒れ模平成27年様である。午前中は銀行周り(伊予銀行、三井住友銀行)と県図書館。病後でもあり疲れを感じる。午後は庭仕事は止めて、書斎で過ごす。依頼があった『子規会誌』に和田克司氏追悼文を取り纏める。
青山淳平氏から一遍立像プロジェクトの取りまとめの報告。『文芸春秋』I入手。戦後談話、中国・韓国問題のテーマ特集は一気に読ませる。
【⇒追悼文】
裸のつきあい
克司さんとは、小学校・中学校・高校の先輩、後輩に当たる。中学、高校は最上級生と新入生であり、当時のことは残念ながらあまり記憶に残っていない。卒業後は克司さんが京都で学者の道を歩み、当方は東京・大阪で実業界に身を投じたのでまったく無縁であった。
定年後に帰省し、先輩の浦屋薫さんの紹介で松山子規会、一遍会でお世話になることになった。当時、克司さんの実父 茂樹先生は時宗・宝厳寺の檀家総代でもあり、道後の旧家「和田家」について関心を持ち続けた。
克司さんとの改めての出会いは『松山発子規事典』編集委員の一人として、編集委員長である克司さんから有益な助言や的確な指針をいただくことからスタートした。編集会議でもそうであったが、例会や日常会話でも、流暢な「伊予弁」を語るのには正直驚いた。伊予弁での話の中で、子規さんや碧梧桐や虚子が一人歩きをするのには、これまた驚いた次第である。
 例会や編集会議が終わってそれぞれに家路に着くのだが、道後の住人として、夜十時前後に「椿の湯」に出かける。この時間帯に克司さんも「椿の湯」に来るので、脱衣場や浴槽でのおしゃべりとなる。昔から湯之町の子は「養生湯」、道後の子は「西湯」(「椿の湯」)と決まっていた。「本館に入らんのですか」と声を掛けたら「道後もんですから」の返事が戻ってきた。「伊予弁」以上に近親感が湧いた一瞬であった。温泉の帰りに和田邸の池畔に腰を据え、道後今昔を語ることもあった。
克司さんは極端に目が悪く温泉では眼鏡を外しているので「克司さん」と声を欠けない限り気がつかない。声が届くと「三好さん」と近づいてくる。七0歳台には見えない壮年の体躯で、見得を切れば「和田屋!」と声をかけたくなるほどの溌剌さで、今春三月の最後の裸の出会いでも健康体に見えた。病魔がこれほど早く、道後の逸材に、子規研究の偉才に襲いかかろうとは夢にも思わなかった。漱石と子規や虚子が湯船でのんびりと昼下がりに談笑したように、数年後に克司さんと「道後の古老」として、ゆったりと温泉文学を語りあいたいという贅沢な夢が永遠に消え去ったことが残念である。
今晩も温泉で寛ぎながら湯滝口の「十年の汗を道後の温泉に洗へ 子規」を眺める。有難うございました。
9月8日(火)
午前中、表庭の柘植の剪定。十数本あるのでたっぷり3時間かかる。午後は、恒例の友隣サミット(14:00〜17:00)。
夕、坂雲ミュージアム(石丸学芸員)から漱石の松山での最初の下宿先「愛松亭」についての問合せ。民放で、漱石松山赴任120年記念イベントとして、愚陀仏庵と並んで「愛松亭」を採り上げる由。「愛松亭」についての論文は拙論を含めて数が少ないので、この機会にマスコミで放映してもらえるのは有難い。松山子規会渡部さんから、「子規会誌」(147号)「和田克司先生追悼特集ページ」の原稿依頼あり。月末締め切りだが、優れた後輩に一文を以って追悼の意を表したい。
【⇒「子規会誌」編集部】
「子規会誌」147号(10月19日発行)は、和田克司先生追悼特集ページ設定の由、克司さんも「お慶び」だろうと思います。「追悼文」のご依頼、承知いたしました。とは云え、追悼に相応しい付き合いや思い出は残念ながらありません。会員のどなたも経験のない克司さんとの月1〜2回の「椿の湯」での「裸の付き合い」を一文にしようかと思います。よろしいでしょうか。
9月7日(月)
朝6時から書斎での作業。「一遍会9月度ニュース」を会員に流す。理事会資料を取りまとめる。例会で配布する資料はすべてまとまる。午後ダイキで300枚(35人分)コピーして例会の準備完了する。体調はやっと元に戻ったようだ。一週間ぶりに「椿の湯」に行く。
9月6日(日)
何十年振りに座敷で眠る。静寂すぎて不気味な感じがする。戦前は、一般庶民も静寂の中で月の光を愛でながら眠ったに相違あるまい。
11月開催の「人労会」の案内状が届く。「大垣会」とあわせて2つの「戦友会」には原則出席したい。京都の「隠れ家」を早々に予約する。京都と奈良の国立博物館を訪ねることにしたい。やっと平熱に戻る。思考力はゼロに近いが読書力はまずまず。『人物往来』昭和41年2月号「型破り軍人伝」を通読する。
9月5日(土)
秋晴れである。
坂村真民館の特別展「坂村真民と一遍上人」に提供する書籍、「一遍会報」その他を取りまとめる。来週末(12日)に館長に手渡す予定。体温は37度を下がらず。夕方からの「宝厳寺再建チャリティー演奏会」は欠席し、早めに就寝する。参った、参った。
父の代から愛読してきた『歴史読本』(旧『人物往来』)が次号で廃刊となる。お詫びの意味もあり『人物往来』昭和41年2月号「型破り軍人伝」を送付してきた。最近書肆に並んであるのは大判でカラー、写真・イラスト入りである。時流というべきか、残念ではある。
9月4日(金)
朝食前にコンビニで講話「一遍の法歌」をコピー。『一遍会報』372号の割付と校正作業。会報は前園実知雄「明日香村小山田遺跡と菖蒲池古墳」と吉岡一誠「観世流謡曲『誓願寺』における和泉式部と一遍上人」の2篇を掲載する。体調極端に悪し。終日ベッドで横になる。
9月3日(木)
体調不良。安眠できなかった。講話「一遍の法歌」中「一遍の法歌(総括98首)」の取りまとめ完了し、全資料まとまる。A4で14頁となった。家人につきあって三番町を歩く。セブンイレブンで弁当を買い城山公園のベンチで昼食。レストランとも違い、風情あり。NHKアートギャラリーで「第9回松山能面の会 新作能面展」(会長 上甲二郎 副会長 渡部修二)を見る。力作そろいである。この機会に能面の名称と謂れを勉強できた。
夕、宝厳寺木像プロジェクトに参加(ひめぎん本社)。今回は中山会長出席。両隣が西澤、前園さん。堀内さんが欠席。
@映像と資料「『一遍上人絵伝』に描かれた一遍」(杉野)
A映像と資料「全国に現存する一遍像について(三好)
B意見交換 見解が割れ、論者間の隔たり大きく、次回の日程も未定。五輪のエンブレムでも同様だが、宝厳寺檀家や文化人の希望意見を聴取する必要がありそうだ。
19時帰宅、夕食後入浴もせずダウン。
9月2日(水)
終日雨。但し断続的。体調やや快復する。
山折哲雄著『日本の息吹 しなやかに凛として 』(NHKこころをよむ2008)読了。
1)「般若心経」音韻論
ハンニャシンギョー
クウ、クウ、クウ、クウ、クウ、クウ、クウ(7回)
ムー、ムー、ムー、ムー、ムー、ムー、ムー
ムー、ムー、ムー、ムー、ムー、ムー、ムー
ムー、ムー、ムー、ムー、ムー、ムー、ムー(21回)
ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー
ハラソーギャーテー、ボージーソワカー
ハンニャシンギョー
2)世阿弥
「是非初心不可忘
 時々初心不可忘
 老後初心不可忘」(『花鏡』)
9月1日(火)
早朝から一遍会関連業務。終日、雨である。
1)HP一遍会9月度版更改
2)子規博9月度子規さん俳句観賞エッセイ執筆
3)11月度例会申し込み(公民館)
4)4〜8月度収支決算書作成(伊予銀行)
5)8月度メール返信完了
未処理の案件は例会講話を除いて完了する。
先週の腰痛で畑作と除草作業をギブアップしたので、この数日の長雨で草木が雑草を含めて一段と伸びた。自然は、なかなか80歳翁に休養を与えてくれない。