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“荒法師”豊田泰光氏逝く…「野武士軍団」支えた強打の遊撃手

“荒法師”豊田泰光氏逝く…「野武士軍団」支えた強打の遊撃手

 1年目はリーグ最多の45失策。「代えろ」という抗議が球団に殺到する一方で、本人は平然と構え、この向こう気の強さが当時の三原脩監督を喜ばせた。遊撃のレギュラーを獲得。当時の高校出新人の最多記録となる27本塁打を放った。

 56年には打率・325で首位打者を獲得。鉄腕・稲尾和久、怪童・中西太ら個性の色濃い「野武士軍団」の一人として、巨人を破った同年の日本シリーズでは最優秀選手に選ばれるなど大舞台に強い打者として活躍した。56年から日本シリーズを3連覇した西鉄の黄金時代の中心選手だった。球界のスターとして皇室とも親交があり、皇太子時代の天皇陛下と野球談議を交わされることもあったという。

 63年に国鉄(現ヤクルト)に移籍し、69年限りで引退。オールスター戦に9度出場、ベストナインには6度選出された。

 個性の強さは別格で「荒法師(荒々しい僧)」の異名を取った。仲良しグループとは無縁で群れることをよしとせず、年齢の上下に関係なく妥協はしなかった。コーチ専任でユニホームを着たのは72年、近鉄で1年だけだった。

 野球人には珍しく文才としても知られた。辛口の野球解説は鋭く、本紙をはじめとする新聞、テレビ、ラジオなど多方面での評論活動が評価され、2006年に野球殿堂入り。「一匹おおかみ」で個性的な豊田氏は、プロ野球史に確かな足跡を残した。

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