2016年

8月

23日

特集:電通 2016年8月23日号

第1部 利権と圧力

 

 ◇新国立8万人のウソから始まった

 ◇五輪と神宮外苑再開発の複合利権

 

後藤逸郎/池田正史/大堀達也/荒木宏香(編集部)

第1部 利権と圧力

 

 JSCは1955年設立の日本学校給食会を前身に、58年設立の国立競技場など文部省(当時)傘下の組織が行政改革で統合を繰り返し、2003年に現在の組織に。スポーツの振興と児童生徒の健康の保持増進を図るため、国立競技場や代々木第一、第二体育館をはじめとするスポーツ施設の運営などを行う。スポーツ振興くじ(toto)などの収益金を協議団体などに助成する独立行政法人。常勤職員は397人。新国立競技場の観客席数8万は、神宮外苑再開発のためにでっち上げられたウソだった。五輪は再開発利権のダシに使われた。

東京都の明治神宮外苑で8月初め、しぐれるようなセミの声をかき消し、築50年余りの都営霞ケ丘アパートの取り壊し作業が行われていた。都が示した1月30日の退去期限を過ぎて、なお残る3世帯の存在は高いフェンスが覆い隠す。まるで、新国立競技場建設を起点に、都心最後の手つかずの土地のひとつである神宮外苑再開発(18㌻写真、図1)と五輪が絡み合う複合利権を知られまいとするかのように。

 新国立競技場建設と神宮外苑再開発について、文部科学省傘下の日本スポーツ振興センター(JSC)は2012年8月、地元説明会を開き、19年日本ラグビーワールドカップ(W杯)開催用に8万人規模の新国立競技場建設のため、都営アパート住民を立ち退かせる考えを示した。

 しかし、8万人という数字の根拠は、この時も今も存在しない。

 日本ラグビー協会によると国際団体ワールドラグビー(WR)のW杯開催基準に観客席数はない。JSCは取材に対し「6万人が基準」といったん答えたが、直後に「日本ラグビー協会に聞いてほしい」と態度を翻した。一方、国際オリンピック委員会(IOC)の基準は6万人だ。国際サッカー連盟(FIFA)は、開幕・決勝戦で8万人との基準はある。ただ、JSCの説明会の約1年半前、日本は22年サッカーW杯の招致に失敗した。FIFAの規定により、日本でW杯開催が可能となるのは34年以降となっており、新国立競技場を8万人にしなければいけない理由はなかった。 8万人という数字はどこから出たのか。

◇謎のラグビーW杯議連決議

 

 地元説明会の9カ月前にあたる11年12月、「ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟(会長・西岡武夫参院議長)」が国立競技場8万人規模化と神宮外苑地区の都市計画の再整備を求める決議文をまとめた。国会ラグビークラブ顧問として決議文に名を連ねる森喜朗元首相は日本ラグビー協会長でもあるが、W杯開催基準に観客席数がないことを知らないはずがない。

 だが、JSCが12年3月に開いた第1回国立競技場有識者会議で、河野一郎JSC理事長は「8万人規模をスタートライン」とぶち上げた。根拠として挙げたのは、議連の決議文というお粗末さをいとわず、JSCは以後、8万人という数字を独り歩きさせていく。

 さらに不可解な事実がある。石原慎太郎知事(当時)は05年、16年東京五輪招致の意向を表明した。09年10 月のIOC総会でリオデジャネイロに負けるまでの招致活動で、東京都は国立競技場改修を見送り、メインスタジアム建設候補地を晴海(東京都中央区)とした。

 石原知事は05年12 月、国立競技場の敷地に観客数8万~10万人規模の施設を建設した場合、周辺の道路にはみ出すことなどを理由に、改修案に難色を示した。東京都がまとめた16 年五輪招致報告書は「敷地面積、各種法規制(中略)の観点から検討したところ、霞ケ丘地区でのオリンピックスタジアム整備は困難との結論に達した」とある。

 各種法規とは、国立競技場がある神宮外苑一帯の厳しい用途制限を指す。高さ15㍍制限の風致地区、緑地、文教地区、都市計画公園の建築許可など、日本一厳しい建築制限が、新国立競技場のような高層建築を不可能にしていた。

 こうした経緯から、鈴木俊一知事(79~95年)時代の湾岸開発失敗で塩漬けになった晴海を活用したい思惑もあって、16年五輪招致で東京都は、規制緩和や改修を否定した。

◇180度変わった都の方針

 

 だが、東京都は12年2月、IOCに20年東京五輪開催を申請。メインスタジアムは国立競技場を8万人規模改築へと方針転換した。この申請の2カ月前、ラグビーW杯議連は8万人規模決議をした。息の合った動きに続き、JSCは12年7月に国立競技場改修の国際コンペ概要を発表、同年8月の地元説明会に至る。

 


 JSCは同年11月、新国立競技場建設を含む一帯の再開発を可能にする都市計画変更のため、「神宮外苑地区地区計画」の地元説明会を開き、都営アパートの移転跡地に高さ約80㍍地上17階地下2階建ての新事務所建設方針を示した。自身は国立競技場に隣接する築20年の地上4階地下2階建て本部事務所を取り壊して、日本青年館と共に新事務所に入るという。東京都が翌13年6月に都市計画を変更し、一帯に高さ30~80㍍を認める前だ。

 住民の要望を一切聞かず、既定路線とするJSCに対し、住民から「人を泣かしてしまう計画でいいのか」「高飛車にみえる」と反発が相次ぎ、説明会は紛糾した。

 だが、JSCはその後も、東京都と足並みをそろえ、再開発の手続きを進める。そして、東京都と明治神宮、JSC、一般財団法人高度技術社会推進協会、伊藤忠商事、日本オラクル、三井不動産の7者は15年4月1日、「神宮外苑地区まちづくりに係る基本覚書」を締結した。「国立競技場の建替計画の具体化を契機に(中略)スポーツクラスターと魅力ある複合市街地を実現することを目標」に掲げる。

 明治神宮とJSCが、伊藤忠や三井不動産に空中権(図2)を売却して表参道に面したビルを高層化するとの観測がささやかれる。

 空中権はいわば、自分が建物を高くしない代わりに、隣接する他の地権者に建物を高くする権利を売れる仕組みだ。赤れんがのレトロな外観が特徴のJR東京駅の復元で活用された。この時は隣接していない土地も適用対象とする特例で、JR東日本は500億円を手に入れた。寺社など高層化を想定しない地権者にとって、錬金術のように資金を得られる。

 

 こうして、高さ制限が大幅緩和され、用途変更で商業地域となった一帯の土地の価値は急上昇した。ラグビー場や神宮球場の新設を含む巨大プロジェクトだが、奇妙なほど注目度は低い。

◇電通の外苑再開発企画書

 

 神宮外苑の再開発構想が持ち上がったのは、バブル崩壊前後の1980~90年代初めだ。当時、明治神宮で神職に仕えていた秋永勝彦雲八幡宮宮司は平成に入ったころ、後に再開発推進派として明治神宮宮司に就く上司が「神宮外苑の再開発を話していた」と証言する。

 05年3月、『週刊金曜日』が明治神宮のトラブルと神宮外苑再開発計画を報道。明治神宮内で、宮司を中心とする推進派と秋永氏ら慎重派の対立が表面化する。

 発端は、電通が作成した『GAIEN PROJECT「21世紀の杜」企画提案書』だ。A4用紙10枚構成で、表紙に「平成16年6月 dentsu」とある。「都志(ママ)再開発のすすめ」として、野球ドーム、陸上競技場、複合スポーツ施設、業務施設の整備をうたう。オリンピック誘致や国立競技場の新設も盛り込んである。依頼主は記されていない。

 五輪やW杯は再開発のきっかけに過ぎず、新国立競技場も脇役で、主役は神宮外苑再開発という巨大利権のシナリオを電通は描いたのか。「電通にそんな力はもうない」と一笑に付すのは、民主党(当時)政権時代に副文部科学相を務めた鈴木寛文科相補佐官だ。通商産業省(現経済産業省)から大学教授を経て、政界入り。20年五輪や22年サッカーW杯招致に携わるなど国際スポーツ外交を展開した。

 鈴木氏は、8万人規模の競技場建設にこだわった理由を情熱的に説明する。「英国ロンドンのウェンブリースタジアム(観客席9万人)を念頭に、東京をソフト面で再開発する拠点のひとつと考えた時、新国立競技場はあの場所に必要だった」。

 森元首相の信頼厚い鈴木氏は、明治神宮の中島精太郎宮司に再開発への協力を求めた。「景観や日本青年館の取り扱いで、もっともな要望を受けた再開発に前向きな考えをいただいた」という。

 

◇知事不在時に開発許可の異様

 

 しかし、JSCと東京都は条例違反してまで再開発を急いだ。

 JSCは13年12月20日、神宮外苑の樹木の伐採許可を都に申請した。条例で義務づけられた緑化計画書がなく、河野理事長名の誓約書1枚のみ。JSCは「都の指導に従った」とする。前例のない対応について、担当する都公園緑地課は「新国立競技場が特殊で重要な事業なので、組織的に判断、許可した」と主張する。

 驚くべきことに申請日はなんと、猪瀬直樹知事が徳洲会事件で辞意を表明した翌日だ。都が申請を許可したのは、猪瀬知事が辞任した3日後の同月27日だ。知事が事実上不在の時を狙ったのは明らかだ。猪瀬氏は「何かの力が働いたとしか考えられない」と今後の真相解明に意欲を示す。

 実は猪瀬知事は13年、森元首相の大会組織委員長就任が浮上した際、「JOCと東京都が決める」と反対した。森元首相は同年10月発売の『文芸春秋』11月号に、猪瀬知事を当てこする文章を寄せた。その約1カ月後に徳洲会事件が発覚した。「五輪は森元首相の利権」と訴え、先の都知事選を戦った山口敏夫元衆院議員は「ブレーンとしての電通、ゼネコン、スポーツ団体、都議会が悪の枢軸」「森元首相と電通が石原知事を御輿にかついで招致運動を展開した」と主張する。

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会はJOCと東京都が設立した。JOCとJSCは文部科学省の影響が強い。また、武藤敏郎組織委事務総長は森首相時代の大蔵(後に財務)次官だ。組織委理事の川井重勇都議会議長、高島直樹元都議会議長は同じ自民党だ。すべての人脈は森元首相につながる。森元首相に取材を申し込んだが、組織委は「日程が詰まっており、取材を受けることはできません」と拒否した。

 五輪利権に切り込む機運は高まっている。

 小池百合子知事は8月2日の就任会見で「都政ファースト」を掲げ、情報公開とオリンピック・パラリンピックの調査チーム設置を表明した。 ならば都市整備局をまず調査すべきだ。同局は4月1日付の「神宮外苑地区まちづくり」関連の公文書開示請求を拒否した。「未成熟な情報が(中略)誤解される」ことなどを理由に挙げる。

 また、同局は1月、都営アパート住民へ水道供給停止をほのめかす文書を送った。行政指導に従わないことを理由に水道供給を拒めないとの最高裁判例を知りながら、住民に移転を迫るのはなぜか。何もかもが「五輪第一主義」に染まる。

 IOCは8月3日、20年東京五輪で野球などの復活を決めた。地権者のJSCと明治神宮は、神宮球場建て替えを打ち出す可能性が高い。

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 電通が今回の件にどう関わったか、現時点では不明だが、利権や圧力と結び付けられる空気は、他ならぬ電通自身が育んできた。

 戦前は新聞、戦後はラジオ・テレビと、時代時代に伸長した広告媒体を利用し、電通は成長した。電通は広告枠を買い取るリスクを取って、競争を勝ち抜いた。

 高度経済成長時代を迎え、広告主の企業が規模を拡大し、テレビの視聴者が増え、消費者が次の商品を求めるサイクルが起きると、電通の「クライアント・ファースト(広告主第一主義)」は、広告主に抜群の効果を発揮した。また、広告主に不利な記事を差し止めることで重宝された。今回の特集取材で多くの人がそう証言する。

 だが、現在のビジネス環境で、昔同様に記事差し止めや広告出稿中止、下請けからのキックバックを行うことは、刑法や下請け法に違反する行為そのものだ。コンプライアンス(法令順守)を無視することは、上場企業の電通に許されない。

 また、電通が事業を伸ばしてきたスポーツ・マーケティングも潮目が変わった。FIFAの汚職、東京五輪招致の汚職疑惑に外国政府の司法のメスが入り、イメージダウンを恐れるスポンサーは強い不満を示す。広告効果そのものが低下すれば、電通のビジネスモデルは成り立たない。国際スポーツ汚職は電通の経営を揺るがしている。