せめてプリキュアのコスプレはゾーニングして欲しい、というお話。
http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/cos
上記エントリのブコメにいくつか障害者について言及したものがあった。
fujixe 「難しい話をするハメになった」と言うのは、機会が無ければそんな話をするつもりは無いということだろう。説明が大変なので幼児のうちは障害者を見せてはいけない、というのと何が違うのだろう。
oskimura 子供がショック受けるからゾーニングって理屈を許すと、同性愛者やトランスセクシャル、障害者、ホームレスなどをゾーニングして公共空間から追い出せって話にもなるぞ
それを見て、未就学児時代に出会った「マジョリティではない人」のことを思い出したので書いておく。
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3~5歳くらいのころは、近所に住んでいる子供の家に遊びに行くのと同じように、
近所のおじいさんおばあさんの家に遊びに行くことが珍しくなかった。
本人も把握しきれないほどたくさんの猫を飼っているおばあさんがいた。
まだ囲炉裏のある家のおばあさんは、怖い話の名手だった。囲炉裏のある部屋は広くて天井が高くて変な人形があった。
特に何にもなくたって、単に近所だという理由でよく遊んでもらった。
朝ご飯を食べてにこにこぷんが終わったら、一人で外に遊びに出て、おばあさんと遊んだり近所の子と遊んだりして、お昼と夕方のチャイムで家に帰った。
私が特別放置されていたわけではなく、地域性と時代の問題だと思う。近所の子供もみんなそんなもんだったから。
「ごめんください」という言葉はその頃にもう覚えていたと思う。
Aおばちゃんはそういう、「遊んでくれる近所の大人」のうちの一人だった。
Aおばちゃん、と呼んでいたが、おいくつだったのか今となっては定かではない。
Aおばちゃんは、足が深く曲がっていた。片足はしゃがんだ時のように曲がったままで、片足は真横にぴんと伸びたままだった。
家の中では、曲がったほうの足を踏みしめ、伸びたほうの足を引きずって移動していた。
家の外では車いすに乗っていた。なんかでかくてかっこいいやつだった。
一度、Aおばちゃんて足どうして曲がってんの、と聞いたら、河童につかまって曲げられたのだと言っていた。
何をして遊んでもらっていたのかは、今となってはよく覚えていない。
ただなんとなく遊びに行って、子供のおしゃべりに付き合ってもらったり、おばちゃんちで他の子と遊んでいたりした。
「アルプス一万尺」を友達のなかで私だけ知らなかったときに、教えてくれたのはAおばちゃんだったかもしれない。
今思えば彼女は身体障害者だったのだが、そもそもそういう概念さえなかった。
猫を山ほど飼っているおばあさんがいて、怖い話の名手のおばあさんがいた。
Aおばちゃんは、近所の、河童に足を曲げられてしまったおばちゃんであった。
小学生になるとさすがにほいほい遊びには行かなくなったが、冬休みはAおばちゃんちの雪かきをした。
地区子供会というのがあって、近所の子供でかわるがわる当番を決めて毎朝やっていた。
特にボランティアとか障害者の方のためにとかそういうお題目があった覚えがない。
なぜ自分達がやるのかという疑問もなかった。
1年生のころからそうしていたから、そういうもんだと思っていた。
おばちゃん来たよー、といって、家の前を雪かきして、じゃあねーと言って帰った。
そんなもんだった。