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今、墓参りから帰って参りました。

早朝から、出かけておりました。

先祖に手を合わせると、心が落ち着くのはなぜでしょう?

毎回、晴れやかな気持ちになります。

 

どんなことがあっても、先祖は守って下さってる。

そんな、気持ちになるのです。

 

さて、今日は未だに答えの出ない、ある体験話です。

今から、書きに入ります。

ASKA

 

 

未来に告ぐ

未来に告ぐ

 

 

容易く夢を見せてはならない

希望と親友面してはいけない

 

祈りを配下にしてはならない

可能と不可能を同等に扱わなければならない

 

誰にでも訪れる顔をしてはならない

処刑者に未来はあるか

 

未来が科学を導くのではない

科学が未来を切り開くのだ

 

昇る太陽を味方につけてはならない

太陽には帰るところがある

人はそれを沈むと呼んでいる

 

未来は過去を持つが

起こった責任は持たない

 

全能の神には未来は必要ない

すべてを知り、すべてを持っているからだ

 

だが

人間に未来は必要だ

生きてゆくためには信じるものがなくてはならないからだ

 

未来に告ぐ

人間の純粋を利用してはならない

剣道 2

「剣道はオリンピックに参加すべきではない」という、現役剣士の話が、よく目につきました。このブログが切っ掛けとなって、世間に物議をかもしたようですね。そうですね・・。日本の武道。相手を敬う精神の表れです。確かに、そうかもしれません。

 

僕は、ロンドンに住んでいるときに、家から、電車で40分かかるところで、剣道をしていました。そこは、教会でした。週に1回、剣士のために、教会が場を提供してくれていたのです。そこは、コンクリートの上に板を打ちつけてありましたので、日本の武道場の、あのしなりのある床とは違っていました。7人ほどの剣士が、自分たちでお金を出し合って、教会を借りていたのです。そこのリーダーは、日本で、5段を取得した人物でした。日本の剣道をイギリスに広めようと頑張っている剣士のひとりでした。テクニック的には、やはり、大きな差がり、皆、日本人の僕が行くと、全員が僕にかかってきます。教会を、道場と捉えておりますので、教会のドアの前では、深々とお辞儀をしてから、道場(教会)に、入って来ます。防具をつける所作、練習前の、黙想。そして「切り返し」「面打ち」そして「地稽古」。残心もしっかりあります。練習が終わると、ひとりひとり、正座をして深々と頭を床につけます。音符が共通語であるように、剣道も共通語だなぁと感じました。

 

ロンドンで、学ばせていただいたことがあります。「打たれることに動じない」と、いうことでした。いかに綺麗な剣道をするかに徹してしました。皆、日本の剣道の美を心がけながら練習に励んでいました。「五輪書(ごりんのしょ)」(宮本武蔵の書いた剣術における兵法書)なども、読破しておりました。日本の剣士で「五輪書」を読み切った剣士はどのくらいいるでしょうか。僕も、手には入れたものの、半分も読めませんでした。そのくらい日本の剣道に魅せられているのです。

 

3年おきに、「剣道世界選手権」が各国持ち回りで行われております。日本剣道の強さは、他国を圧倒しています。世界の剣士は、日本の剣道に目を凝らしています。皆、日本に学びたいのです。優勝戦などの審判は、ほぼ外国人です。公平さを保つためでしょう。それでも、日本剣道が勝利します。これは、ある意味、剣道のオリンピックです。「剣道世界選手権」と、いう名の。

 

世界選手権には参加しているに、オリンピックは拒否するという考えに少々疑問を感じての発言でした。連盟には、もっと、深い考えがおありなのでしょう。若輩の僕には追いつけない何かがあるのでしょう。

 

韓国は、数年前に「剣道の起源は韓国である」と、世界に向けて発信しました。韓国は、日本につづいての剣道大国です。発言権も強まってきています。韓国は、オリンピック種目に剣道を加えることを提言しています。やがて、いつかはそうなるでしょう。そうなった時に、怖いことがあります。物事には淘汰があります。日本の介在しないところで、いつの間にか、国際ルールが生まれてしまうということです。これだけ世界に広まった武道(敢えてスポーツ)です。いつの間にかできあがってしまう国際ルールを食い止めるためにも、日本は、日本剣道を強く世界に向けて発信しなければならないと思っています。オリンピックとなれば、国民はテレビの前で剣道に声援をおくります。世界選手権は、残念ながら、テレビ放送されません。この違いなのだと思っています。韓国剣道の、試合における大げさなアピール、審判への抗議。日本の剣道にはない姿ですが、それが、間違っているとは思いません。韓国剣道で根付いた姿であり、育った剣道だからです。正しいと思ってやっています。しかし、やはり見苦しい。日本古来の剣道を守るためには、剣道の発祥地、日本が世界へ向けて発信し「国際ルールを生ませない」という願いを込めての発言でした。ロンドンの剣士に出会わなければ、この考えはなかったでしょう。オリンピックで、日の丸の上がる光景を日本人として見てみたい。全世界に見て欲しい。ネットや、スポーツ新聞は、僕が連盟に対して要求しているように書きましたが、そうではありません。あくまで、一個人の思いです。ありがとうございました。

ASKA

 

 

創る者

創る者

 

 

壊れた光を修理した

破れた空を縫い合わせた

 

群衆に放つ言葉は

大統領の演説のようだった

勇敢な夜明けを迎え

パレードな1日を送り

ピラミッドのような眠りについた

 

という英雄の結末は

「孤独な余生を送った」と締めくくられることが多い

 

信念を貫くことは生きる理想だが

絶えず戦いに飲み込まれるものだ

 

生涯という政策は巧みにやらなければならない

ときに夢は心の解毒剤であらねばならない

 

想像という仕事には紹介がない

 

一日じゅう怠けているのか

一日じゅう働いているのか

実のところよくわからない

 

ビスケットを齧りながら飢えている

コーヒーを飲みながら乾いている

 

毎度発想には限界があって

自由という名の強制収容所に閉じ込められてしまう

解放への糸口をいつも探しているのだ

 

必死に自分の顔を掴み

自分が誰であるのか知ろうとする

 

指の隙間から流れ出した川を

人は涙と呼んでいる

 

泣くことは誰にでもできるが

泣けてしまうとは

本当に強いものだけに与えられた勲章だ

 

ロスタイムでゴールを決める

サッカー選手のような喜びを求めていたい

作品を創る者として

chamochamoさんへ

ご指摘有り難うございます。

そうですか?特定されてしまいますか?

中州には、たくさんホテルがあるので、外国の建築士が設計したホテルぐらいいくらでもあるだろうと思ってしまいました。

それでは、ご迷惑をおかけしますね。

すぐに書き直しましょう。

配慮が足らなかったですね。

今から、直ぐに書き直します。

ありがとう。

ASKA

リバーサイドホテル

今日は、暑い夏にとっておきの話をします。恐がりの方は、ここで目を逸らして下さい。こんな話も偶にはいいでしょ。

 

あれは、25年ほど前、パンフの写真を撮るために福岡へ戻った時のことです。

その日は、午前中に羽田を出発し、昼過ぎに福岡へ到着いたしました。大きなバッグを抱えていましたので、まず、ホテルにチェックインしようということになったのです。

 

そのホテルは、福岡市博多区中州のリバーサイドにありました。そのホテルはとてもオシャレな造りをしておりました。内装も、またオシャレが豊かで、エレベーターの中では、宿泊することになる部屋のデザインを思い浮かべていました。昔から、そうなんです。部屋好きなんです。僕の部屋は、エレベーターを出たところから見える廊下を、左に曲がった、いちばん奥の部屋でした。部屋のドアもイケてます。僕は手にした鍵を突っ込み、そして、右に捻り、ドアを開けました。グリーンをベースにした、居心地の良い空間が目の前に広がりました。しかし、足を踏み入れた瞬間に、なぜでしょう?

寒気がしたのです。部屋に流れている空調の風とは、違う風を感じたのです。あまり経験したことのない湿気を感じました。

 

「なんか、気持ち悪いなぁ・・。」

 

それが、その部屋の第一印象でした。インテリアは、どれもオシャレで、好みのタイプだったのですが、居心地が良いとは感じられませんでした。スタッフは、各自、チェックインをしており、30分後にロビーでの待ち合わせとなっていたのですが、僕は、そそくさと部屋を出ましたので、ひとり、ロビーで、みんなが集まるのを待ちました。20分程、ひとりで居たでしょうか。ガラス越しに見える中州の街は賑わっており、それを眺めていると、先ほどの部屋のことは忘れていました。そして、スタッフが、ひとり、ふたりと集まり、CHAGEも下りてきましたので、早速、撮影開始となりました。日差しが心地良く、カメラマンとも息が合い、その日は、順調な流れで撮影を終えたのです。食事から帰って来たのは、22時半頃だったでしょうか。翌日は、早朝からの撮影です。僕は、部屋に入ると、まずテレビを点けます。シーンとしているのが嫌いなのです。そして、数人の友人に電話をかけた後、シャワーを浴びました。昼に感じたこの部屋の第一印象は忘れていました。0時を回った頃には、ベッドに入りました。直ぐに、眠りについたと思います。そして、それは起こりました。何時頃なのかは分かりません。金縛りに遭ったのです。金縛りは、数えられないほど経験しております。その時に、人が出てくるか、出て来ないかが感覚で分かるのです。その日の金縛りは、人が出てくる種類のものでした。身体は動きません。声も上げられません。その時、突然腹の上に人が乗っかってきたのです。僕は、重たい瞼を必死に開け、それを確認しようとしました。ナイトランプは点けてありましたので、部屋は真っ暗ではなかったのです。開けた目に飛び込んできたのは、坊主頭の男の顔でした。じっと、僕の顔を覗き込んでいます。ただ、じっと・・。僕は、身体を捻り男を振り落とそうとしたのですが、身体が動きません。じっと見つめています。そして、男が口を開いたのです。

博多弁でした。僕に向かって喋りかけてきたのです。

 

「オレくさ・・。オレな。」

 

そこで、一旦言葉が止まりました。「何を伝えようとしてるのだろう・・」僕は、男の目から視線を外しませんでした。その時です。男が大声を上げながら、僕の首を絞めてきたのです。

 

「こうやって、殺されたったい!!」

 

ものすごい力です。僕は動けません。苦しい。男は力を弱めようとしません。

そのまま、気が遠くなって行きました。

 

起きたら、朝でした。カーテンの隙間から日差しが差し込んでいました。直ぐに、昨夜のことを思い出しました。あのまま、気絶してしまったのでしょう。

撮影は2泊3日でしたが、僕が宿泊するのは、1日だけだったのです。2日目は、実家に帰ることになっていましたので。いつも、そうですが、そんなことがあっても、朝を迎えると恐怖はなくなっているのです。そんな話をしても「またか?」と、言われるだけなので、昨夜のできごとは誰にも喋りませんでした。そして、その日の撮影も終わり、僕はひとり実家に戻りました。

 

 

翌日は、少し遅めの撮影開始となっていました。

 

集合場所は、そのホテルのロビーでした。空は快晴でした。写真日和です。撮影は、開始されました。直ぐに気がつきました。スタッフのひとりが言葉少なめなのです。僕たちのギャグについてきません。ずっと考え事をしているようでした。気になった僕は、そのスタッフに声をかけました。

 

「どうした?元気ないじゃん。」

「うん・・。」

「どうした?」

 

いつもは率先して喋ってくるのに、やはり変です。僕は、言葉をつづけました。

 

「どうしたよ?」

 

話すのをためらっている様子です。ポツリと喋りはじめました。

 

ASKA・・。」

「何?」

「昨夜、寝てるときにね・・」

 

瞬時に、分かりました。何が起こったのかを。僕は、そのスタッフが喋る前に言ったのです。

 

「坊主頭の男だろ!?」

 

顔色が変わります。

 

「何で分かったの!?」

「博多弁だったろ?」

「嘘でしょ?止めて!」

「『こうして、殺されたったい!』って、言ってきたろ?」

 

口に手を当てたまま、表情が固まっています。

 

「首を絞められたろ?」

 

唖然としています。

 

「何で!?」

「実は、その男。前の日に、オレのところに来たんだよ。」

 

そのホテルは、今も綺麗なままで中州の景色に溶け込んでいます。

信じるか、信じないかは、あなた次第です。

ASKA

 

PS.

今日は、今から家を出ます。

戻りは、決めていません。

それでは、行ってきます。

さぁ、みなさん。おやすもう。

明日の記事は、お盆に合わせた内容になっていました。

書き終わってから、お盆だと気づきました。

夏です。

こんな、できごとを話すのも悪くないでしょう。

一度きりにします。

本当にあった話ですから・・。

ASKA