本日は平成28年8月15日で、太平洋終戦から71年目の記念日です。ここでは、昭和50年代生まれの僕が、教わり、学んだことについて語ります。
親から教わった戦争は口伝
親も太平洋戦争を経験していない世代ですので、祖父母が体験したことを僕に伝える形の口伝でした。 兎にも角にも「悲惨なもの」「侵略戦争」「二度と繰り返してはならない」というニュアンスで、原爆が投下された広島や長崎の様相をはじめ、太平洋における悲惨な戦争の惨禍をリアルな描写で伝えられた気がします。
この頃から「戦争とは血みどろで人がたくさん死んで悲惨なものだ」という意識が僕の心に植えられます。これは今考えれば悪い影響ではなかったと考えていますが、地元北海道は左よりの北海道新聞がメディアの体勢を占めていて、両親も社会党支持派の左より思想だったので、多少の偏りはあったように思えます。
駐留米軍について非常に懐疑的な両親は、「日本はアメリカの傀儡である。」と、政治の話題になるたびにステレオのようにぼやいていましたが、その一方で戦力の保持、自衛隊の存在や軍隊化については否定派でした。子供心に「戦力の保持を否定するのに、他国の侵略から守ってくれる米軍まで否定するとはどういうことなのか」と、疑問に思っていたのも事実です。
祖父の樺太体験談
「ロシア(当時はソビエト連邦)は約束を破って攻めてきた」というのが祖父の口癖で、僕は「ふーん、ロシアは悪者か」などと何の疑問もなく感じていました。ですが、そこまでロシアにヘイトを募らせた覚えはありませんし、今でもロシアに対して悪い感情はありません。
それは、祖父はたびたび「ロシア人にカチューシャを教わった」と嬉しそうに話していたから。なんだ、そこまで酷い目に遭ったわけじゃなくて、それなりにロシア人と交流していたんじゃないか!そんな風に感じて、愛憎のような感情があるのだろうと幼心に察していたのかもしれません。
『はだしのゲン』
小学校の図書館本棚に並んでいたその本を読んで、驚愕しました。原爆を落とされた広島の人々の、目を覆いたくなるような惨状です。ショック、というのはこういうことをいうのでしょうね。まだ低学年だった僕にとって、それが鮮烈なインパクトを持って心に突き刺さったことはいうまでもありません。それ以降は「日本は唯一の被爆国で、アメリカはとんでもないことをしてくれた」という意識を増幅させていきます。
今でも小学校の図書館に『はだしのゲン』は置いてあるのでしょうか?歴史の歪曲云々はおいといても、子供が過去の戦争について興味を示すきっかけになるのであれば、インパクトを考えてもあながち悪いものではないと思うのですよね。描写がどこまでリアルかは存じませんが、実際にあった事実に目を伏せるよりもこういったコンテンツに子供の頃から触れられるというのは、意義が大きいように感じます。
歴史的教育
小学校高学年~中学校くらいですかね、授業で本格的に日本史について学ぶのは。そこでは、他の戦争もそうですけれど、太平洋戦争について学ぶ機会は間違いなくあります。今ではどのような教育内容になっているかわかりませんけれども、僕が教わったのは「侵略戦争をした日本と敗戦」です。構図は完全にこのようなものですね。軍部が台頭し、暴走。アジアの人々を多数巻き込み、惨禍を生み出した。そのきっかけは真珠湾奇襲という卑怯な手段であった。このような印象が強いです。
これが正しいとか、間違いであるというのは一概に言えないです。子供に対しての教育などは、時の政府の考え方ひとつでどうにでもなるのでしょう。歴史は曲解されるものだと、今では思っていますから。当時教わったことが嘘か本当かは、確かめるすべがない。その時分の僕はそれに対して少しの猜疑心も抱かずに、教科書に書いてあることをそのまま頭に放り込んでいます。子供は情報を精査する力が弱いです、なので教わったことに対しては忠実に飲み込んでしまう。これを踏まえたうえで、子供にどのような教育を施すべきかは、煮詰めても煮詰めたりないぐらいの議論を経て決定すべきもののように思えます。
右傾化したまとめサイトに染まりかける
走りは2chでしたが、極東の方々へのヘイトが凄まじかったですね。当時は傍観して「危ない人たちの偏った考え方である」としていましたが、これがまさか自分の中に入り込んでくるとは思いませんでした。それを容易にアシストしたのは「まとめサイト」ですね。まとめサイトは偏った右よりの思想が、あたかも真実であるかのごとく語られます。反論はあるにしても、都合の悪い部分はカットして編集するものだから、それが世間一般の多くの人が考えていることとして修飾されてしまうのです。
日常的にまとめサイトをみることで、特定のアジアの国や人に対して、知らずのうちにヘイトを蓄積させていきました。日本の戦争は侵略戦争ではなく、大義名分があってアジアの人々には少なからずの恩寵があった。にもかかわらず戦後70年を迎えようとしているというのに過去の謝罪について蒸し返し、日本を貶めようとしている。極端なものでは日本を乗っ取ろうとしていると真面目に論じる人もいるくらいです。
これが嘘か誠かはわかりませんが、恐ろしいのはまとめサイトを日常的に見ることによって「誠」のほうへ無意識のうちにリードされ、頭の中でそれが真実になってしまうということですね。自分なりに文献を調べるなどして検証したわけでもないのに、やれ侵略だ侵略でないというのはナンセンスだったと思います。
今でもまとめサイトは時間つぶしに見ることはありますが、半ば洗脳のような右傾化した考えに取り込まれないように気をつけるようになりました。少なからずのリテラシーが自分に身についた、ということなのかもしれません。
【今の考え】侵略戦争の否定と、自主防衛の正当性
正直、胸を張って語れるほどの歴史的造詣は自分にはありません。ですが、太平洋戦争で華々しい戦果の影で常に煽りを食っていたのは庶民だということは解っています。広島や長崎の人たちは言うに及ばず、肉親を戦争で亡くした人たちの悲しみは想像を絶するものだったに違いありません。生活必需品を戦争のために徴収され、自分たちの食うものもままならず、おまけに本土爆撃まで受けて戦火の中を逃げ惑う無辜の民のことを考えると、胸が痛くなります。
こういった悲劇を棚に上げて、戦争は必要悪だと断じる人の言は、極論であり危険です。確かに科学の発展には多大な貢献をしてきた面が戦争にはあるのでしょう。しかし、やはり歴史が語る悲劇を鑑みると、戦争は引き起こしてはならない、避けるべき事態だと思うのですよね。しかし、「戦争は駄目、とにかく駄目」では思考が停止してしまうのも事実。要はバランスでしょう。
親世代のように米軍は否定するにも関わらず戦力を放棄することは矛盾していると思います。僕は自衛隊は立派な侵略国への抑止力になりますし、アメリカと連携しているうちはそれが抑止力として働いているのであれば関係を維持すべきではないかと考えています。
もし、日本が自立して自分たちだけで防衛をしていくのであれば、やはり戦力の強化は必要です。「国防軍」になるから「軍隊じゃないか!」と脊髄反射のように反対する前に、そもそも侵略に対して裸でいるのは危険ですよ。もしですよ、近所に危ない人が住んでいて、いつ攻撃されるかわからない状況だったとします。それで普段から自宅に鍵をかけず、身を守る手段を持たずに安心して暮らせますか?そういうことです。
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右だ左だと極端な意見が多いインターネットですが、どちらかに傾倒するような思想は危険かもしれませんね。って、もしかすると僕も知らずのうちに何らかの思想にリードされて、国防軍を是認するような考えに至っているのかもしれませんが...。まぁ、まとめサイトを真に受けて右側に傾いていた頃よりは幾分かマシになった気もしますw
とりあえず戦争は起きてほしくないですねぇ。