(黒柳)宇宙を走るSLに乗った美しい女性と旅する少年。
ご存じの方も多いと思います。
アニメにもなりました『銀河鉄道999』。
その他にも『宇宙戦艦ヤマト』など宇宙を身近に感じさせてくださる漫画家でいらっしゃいます松本零士さん今日のお客様です。
よろしくお願いします。
よくいらしてくださいました。
楽しみにしておりました。
(拍手)本当にファンの方随分多くていらっしゃると思うんですが15歳で漫画家生活にお入りになりまして…。
63年ですねはい。
15歳でデビューなさいましたんで今63年の漫画家生活でいらっしゃるって。
皆さんもとてもファンの方多いと思います。
これは『宇宙戦艦ヤマト』ですね。
そうですね。
これもモデルがちゃんといて…。
あっそうなんですか?全てにあるんですよ。
全部モデルがある?そうです。
『ハーロック』なんかは私の歩く時の号令だったんです。
「ハーロックハーロック」って言って歩いて。
「ハーロックハーロック」ってお歩きになった…。
ただ人に聞かれると恥ずかしいので…鹿児島本線のそばに住んでましたのでゴゴゴーッと汽車が通る時に大声で「ハーロックハーロック」って言って…。
へえー。
宇宙への憧れがあって?そうですね。
これは『1000年女王』ですね。
かぐや姫の先祖ですね。
そうですね。
でまあできれば片道でもいいから行ってみたいというふうにお思いになったっていうことですけど。
そうですね。
凛とした女の人の顔がいつも同じみたいだってみんなから言われたりするんだけど実はひいひいひいおばあ様の…?それに似た顔を一生懸命描いたんですね。
奇麗な方ですよね。
でもお描きになるものが何となく似ている。
そうなんですよね。
でもこの方は本当に奇麗な方ですね。
そうですね。
これはもう絶世の美女で有名な人ですよね。
当時も奇麗で有名な方?これは私の母親の…隣が菩提寺で瑞安寺っていう…私の同級生の家なんですけどね。
お寺の倉庫から出てきたんですよ。
えー。
それがひいひいひいおばあ様にちょうどあたる方…。
あたる年代で100パーセントそうだとは言い切れないんですがしかしお顔のイメージですねそういったものは先祖が見てるのは間違いないですね。
なるほど。
お描きになるものがそっくりであるということなんですけど。
そうですね。
それで『宇宙戦艦ヤマト』とか色々お描きになってらっしゃるんですけども。
はい。
前にお話伺ったんですけどパンツをぎゅうぎゅう詰めにしまっておいたらキノコが生えたってお話…。
ええ。
これは本当です。
本当なんですか?パンツを…古くなって洗濯するとね痛いんですよね昔のパンツは。
そうなんですか?それでごみ箱に捨てたんですよ。
そしたら下宿のおばちゃんに怒られましてね。
「ごみ以外は捨てちゃ駄目だ」と言うんでさあ捨てる場所がないんですよ。
最初はこう破ってちぎっては地下鉄の駅…本郷三丁目にいましたから池袋〜銀座を往復しながら駅で降りてはごみ箱に少しずつ捨てたんですね。
面倒くさいので押し入れにどんどん放り込んだんですよ。
そしたらそこにキノコが生えたんです。
本当なんですってね。
ええ。
ヒトヨタケというんです。
ヒトヨタケ?ヒトヨタケ。
ものすごく奇麗な大きいキノコなんですね。
それでヒトヨタケというのは開けて数時間すると崩れてなくなるんですよ。
そうなんですか。
実は奥様からお話を係の者が伺いました。
そしたらば奥様が…「独身時代パンツをため込んでいたんで…それは知ってたが結婚したら見つからなかった」。
「でもガムテープで厳重に梱包して“極秘”と書いてある段ボールがクローゼットにあり何となく見当がついていたので出張した際に開けてみたら出るわ出るわ27枚」パンツがですね。
「もうおかしくて」って。
その中に…本当にキノコが生えてたっていうお話なんです。
それは本当に奥様が仰ったんですから…。
奥様は牧美也子様と仰います。
本当に…漫画家でいらっしゃるんですけど。
ご夫婦そろって漫画家。
でもあれですよねご夫婦そろって漫画家って割と珍しくありません?いや他にもいるはずなんですけどね。
何しろ同じ本郷…私は本郷三丁目の地下鉄の駅の裏。
えー女房は…正門前か赤門前の…反対側の1軒裏側に住んでたんです。
東大の?だからすぐそばです。
それで編集部との行き来が激しいもんですからどうしても出会いが激しくなるわけですね。
どうしても会わざるを得ない?そうですね。
それでご結婚になったっていう。
そうですね。
それでお二人はどのぐらい?結婚していらっしゃって。
23歳の時からですから今78ですから…私がですね。
だから引き算できる方はおわかりと思いますけど相当です。
それでそのお二人が住んでいらっしゃるお家をどういうわけか撮影してもいいと仰っていただいたのでどんな暮らしをしてらっしゃるか漫画家お二人のお家というのを映させていただきました。
ご自宅です。
ちょっと見せていただきました。
とてもね奇麗なふうになんか…。
何でも段ボールにおしまいになるのお好きなんですかね?これはやっぱりカットや何かが?飛行機の…禁煙になったのでこの座席をもう二束三文で捨てたというかたたき売られたんですね。
それでお買いになったんですか?そうです。
ところが今はものすごく高いんですね。
そうなんですか?ええ。
でもその当時は本当に安かったです。
これは応接間なんですがそれでもこれだけ色々なものが置いてあるんで…。
下宿やら…原稿や本や…。
すごいですね。
あっありましたありました。
これが撮影台ですね下宿で作ったですね。
ご自分でお作りになった?これで撮影がこれでできるっていう…。
そうです。
これですね。
奥様向こうにいらっしゃる。
本郷三丁目の下宿で作った5段マルチですね。
ほう…。
漫画映画を作ろうとしてアニメーションを作ろうとして作ったんですよ。
すごいですね。
ご自分で?ええそうです。
うまくできましたか?それは。
うまくできました。
あれで雑誌の写真やら漫画なんかの色々な遠近画のボケとか色んなものが入る…5段でこう色々切り抜いておいて撮影…こういう撮影をやりましたんでね。
ええ。
これは私の顔とセルに描いた絵なんですが。
ええ。
うまく…。
こういうふうに合成ができるわけですよ。
ご自分でお作りになった機械で?ええ。
それで漫画映画を作るのが夢だったんですが16秒作ったらお金が…もうフィルムが買えなくなりましてねそれで諦めたんですね。
そうですか。
お金かかるもんなんですね。
かかります。
アニメーションはものすごくお金かかります。
セルだってすごく高いですからね。
セルって…セロハンですか…?セルロイド?セルロイドの板に1枚ずつ絵を描いていくわけですね。
そうですよね。
1秒間24コマですかね?そうです。
それで裏側に色を塗って…裏側から色を塗るんですね。
そうなんですか。
今日は終戦記念日でございます。
それからまた私の絵を…顔を描いてくださったってすごく楽しみにしてますけど。
お元気な感じがしますよね。
元気ですねええ。
その元気なところがいいと仰ってとても…。
そんな感じで今日描いてきてくださったというのでコマーシャルを挟みまして皆さんちょっと…。
徹子メーテルというわけじゃないんですけどもお描きくださったそうなのですごく理想の女性だというふうに仰ってくださって描いてくだすったんでものすごく楽しみにしております。
あっ面白い。
うわー!えー!ご覧ください皆さん。
えー!すごい。
えーでもちょっとあれですね女王様みたいですね。
似顔を描くのあんまり上手じゃないですけど一人一人が生き生きとしなきゃいけないもんですからねそれで苦労しました。
すごい。
でも本当に奇麗で生き生きとしててなんか燦然と輝いてる感じがして。
いやあすごい気に入りました。
こんなに奇麗だったらいいなと思いますけど。
一番苦労したのは髪の毛のねこのなんていうか結び方その他男ですからわからないんでね。
そうですそうです。
それで苦労してあれを描いたんです。
こういう頭してる時ありますので。
三つ編みっていうんですけど。
わあ嬉しい。
本当に素敵な…。
でもさっき仰ったようにお描きになる女性はみんな優しいけど強い顔っていうふうにいつも仰ってる…。
そうですね。
子供の時から優しいけど怒らせると世にも恐ろしいという女性が自分の理想図だったんですね。
理想だったんですよ。
ちょっと今ご主人の話してて何なんですけど8月15日どう過ごしたかということをここに書いてある3冊の本にそれぞれ色んな方が書いていらっしゃるんですけど。
私びっくりしたんですけどこれ私なんです。
奥様がお描きになった…ちょっとよろしいですか?はいはい。
私8月15日青森に疎開しておりましてどんなふうだったかっていう写真を送ってそれでここに…。
それで当時の写真屋さんの写真なんでちょっとパッとしないんですけどこれが…これが私なんですね。
その…私この…これちょっと戦後すぐですけど。
この私を奥様が描いてくださったんです。
これが私なんですけど。
その顔をモデルに奥様が絵を描いてくださった…。
それで実は飛行機のようですが実はトンボなんですけど。
でもとても怖い東京大空襲があってこれからどうなるかわからない不安でいっぱいの70年前の私ですっていうふうに私が8月15日について書いた…。
それを奥様がこんなふうに表紙にもしてくださったんですね私も知らなかったんですけど。
だからご夫妻に描いていただいたということになるのでとても私光栄に思っております。
ありがとうございます。
奥様にどうぞよろしく仰ってくださいませ。
言っておきます。
はい。
『八月十五日』の中には松本さんのイラストも?入ってますね。
入って…。
そうですね。
これですね。
これですね。
こんな感じでしたか?その時。
矢落川というところで…ここで魚取りやってたんですよ。
それが8月15日。
そしたら「戦争が終わったぞ!」ってあのおっさんがメガホンで走りながら言ったので「家に帰らにゃなるまい」って言って家に帰ったら家が全部閉め切ってあるんですね。
それで裏口こじあけて入ったらうちのばあさんが上がり框に…伝来の日本刀を抜いてこう打ち粉を打って磨いてるんですね。
恐ろしい目付きで。
「それでどうするん?」って聞いたら「敵が来たらこれで刺し違えて死ぬのじゃ」と。
「お前も侍の子じゃけん覚悟せえ」と言うわけですね。
すごい。
でチビだからピンとこないんですよ。
小学校2年なんです私。
7歳です早生まれですから。
ああ敵が来たらチャンバラやるのかと思ったんですがそうじゃないんです。
家族で刺し違えて死ぬって…。
日本国落城の瞬間だったんですよ。
その時はね…。
お父様は戦闘機のパイロットで?そうです。
こういう父親でして。
すごい。
厳格でしてね「弱音を吐くな!」って言って弱音を吐くと怒られてたんですよ。
でもこのお父様は戦闘機に乗っていらしたんだけども南方のほうにいらっしゃって撃とうと思ったけど子供の顔がもう見えるようなところまで近くなった時に撃てなかったって?そうですね。
追い詰めて空中戦やってうまい…相当技量の高い相手を追い詰めて…。
しかしこれにも子供や家族がいるというので発射ボタンが非常に押しにくいわけですよ。
それでもしかしこれで部下が殺されてはと思うからもう心を鬼にして鬼となって撃ったということなんですね。
そういうつらい…空中戦というのは相手との一騎打ちですから非常につらいんだということでね。
その間我々は四国の母親の実家のほうにいましてなんていうんですか?宇和島のほうから来るのと真ん中を走ってくる矢落川との合体したところに五郎駅という駅がある…。
鉄道もそこで合体して松山のほうへ行くわけです。
ですからちょうど合体点ですからそこを機銃掃射し爆弾を落とし我々も機銃掃射を受けてるわけです。
毎日毎日そういうのを味わったわけですね。
ですからあの…ただ子供ですから大人ほどなんていうんでしょう?深刻な受け止め方はしてなかったんですよ。
でも撃ってる人の顔が見えるぐらい近くまで…?近く…。
それであの…タタタンタタタンって機銃掃射を浴びてその弾を拾ってですねみんなで山分けして花火と同じだと思って…不発弾なんですよ。
それをたたいてね…。
危ない。
危ない。
破裂してたら首から上なくなってますよ。
それは父親が2年半後に帰ってきて「ああ不発弾だな」と言うから「爆発せんよ」って床にたたきつけたら「バカ者!」って言って「死ぬぞ!」って言われましてね。
そういうのとそれから私の家が20メートルぐらいの高さのところにあったもんですから…横が瑞安寺っていうお寺ですね。
ゴー!という爆音がするので…。
見えないんですよ。
何も見えない。
そしたらいきなり木の下からグラマンF6Fっていうアメリカの艦載機…戦闘機が飛び出してきたんですよ。
うわー…。
ブーン!と。
そしてパイロットがこっちを見上げてニヤッと笑ったんですよ。
我々もニヤッと笑ったんですね。
そういう不思議な出会いもあるわけですよ。
真っ白い飛行服を着た…。
でも向こうは子供だと思ったからでしょうか?そうでしょうね。
自分より高い位置にいるもんですから。
下から上がってきたんですね。
水平に飛んできたんですよ低い位置をですね。
とにかくそれでもそんなすごい激戦の中からお父様は生きてお帰りになったし…当時の…。
おやじが帰ってきたのは嬉しかったですね。
でもまあ戦争…。
ただ戦争に負けるとこういうことになるわけです。
まあそうですよね。
これは北九州に戻ってあの服を着て…。
もう腹ぺこも腹ぺこ。
もう大変なんですよ。
関門海峡へ飛び込むことになったんです魚取りのために。
ええ。
沖まで泳いでいってそこで魚取りをして帰ってくるわけです。
それから貨物船が来るとその腹くぐりをやってたんです。
もうむちゃくちゃですよ。
今は全部遊泳禁止ですね。
ねえ危ない。
元気よくお父様は…まあそれでも…とても…。
ええ。
帰ってきてくれた…。
撃つことはできなかったけど帰っていらっしゃって。
帰っていらしてからはもうさっさと八百屋さんにおなりになったそうでございますけど。
公職追放ですからね。
ですから路上の八百屋をやってたんです。
へえー。
でもまあ生きて会えたのは本当によかったってね思います。
生きて帰ってくれたのは…。
今手に持っていらっしゃる本なんですけど。
これは九州漫画研究会というのを作って…同人誌ですね。
皆さんびっくりなさいますよこれ。
本としか思えないんですけど。
この中に…。
これあの…。
「九州漫画展」ってこれ…。
ちょっとご覧ください。
これは私の絵ですね。
これ松本零士さんなんですけど手描きの…。
そうですね。
本当に印刷としか見えない。
高校生か中学生の頃ですねこれね。
すごいですね。
もう全く印刷ですよね。
ええ。
水彩絵の具で塗ってるんですよ。
ちょっとこれ皆さんご覧になってください。
水彩絵の具だそうです。
本当に…。
「九州漫画展」って書いてありますけど。
手で描いてらっしゃるようには見えないけどこういうふうにしてでも漫画家になりたいと思っていらしてそのうちにとうとう憧れの手治虫さんの…。
手さんがですね誰も連れずに九州脱走事件っていうのがあったんですよ。
えー!フクニチ新聞という九州の福岡の新聞に連載してる時にこの漫画集団が九州にあるというのを知ってたんで誰も連れずに一人で来たんです。
それで「テツタイコウテツカ」っていう電報が来たんですよ。
濁点の抜いてある。
そこへ我々が駆け付けたわけですよ。
学生服のままで。
それであの…初めてその時…これですね。
手伝いに…。
本当だ。
18歳の時です。
高井研一郎君と左側が井上智君。
真ん中座ってるのが私。
実は学生服着てるんですけど冬だったので…。
そうですね。
襟巻きしてらっしゃる。
後ろにいらしたのが手さん。
そうです。
あの頃からベレーかぶってらしたんですね手さんってね。
そうですね。
そしてこの時にですね手さんが「どうして『くもとちゅうりっぷ』みたいな漫画を描くんだ?」と言われたんですよ。
私昆虫をテーマにした『みつばちマーヤの冒険』みたいなものばかり描いてたもんですからね。
『くもとちゅうりっぷ』っていうミュージカルアニメーションですね日本の最初で最後の。
戦争中昭和18年に…私は5歳幼稚園ですよ。
日曜日に姉が連れていってくれたんです明石の映画館に。
そしたら…手さんは15歳。
15歳の手少年は宝塚から来て同じ時にそれを見てたんです。
同じものを?ええ。
「何だ2人とも同じ時に見てたのか」って言ったら手さんはその旅館の畳の上ででんぐり返りましてね転がりましたよ。
「何だ一緒に見てたんじゃないか」と。
可愛いですね。
それで一緒にアニメーションに火がついてるわけですよ両方にね。
不思議な縁ですよね。
そうですよね。
で石森氏とは同年同月同日生まれなんですよ。
えー。
3人で自称「日本3大アニメマニア」と称して漫画映画を作ろうというんでさっきの撮影台なんかもそれで作ったんです。
そうなんですか。
できるかもしれないっていうことで?でも手さん早く亡くなったのが本当残念でしたね。
残念ですよね。
どうして亡くなられたのか…本当に残念です。
手さんはね忙しい時にはタクシーの中でも描くんですよ原稿を。
すごい。
船でも列車でも。
それなのに最後にお会いした時に「病院でお仕事ですか?」と聞いたら「いや何もしとらん。
何もしとらんよ」と言われて。
それはその時にはこれは本当に一大事なんだと思ったんですね。
それでそれから数日後ですよ。
亡くなられたのは。
それが最後の…。
最後に「お大事に」って言おうと思ったんですよ。
ところがもうね声が出なかったんです。
そう…。
それが永遠のお別れになりました。
お若かったですよねまだね。
ええ。
それと石森氏も同じ60歳で亡くなる…。
もう本当にね無念で。
3大アニメマニアが私一人になっちゃったんですよ。
松本さんは宇宙を舞台にした戦記物が多いんですけど戦争の何を伝えようと思ってそういつも描いていらっしゃるんですか?やはりそれぞれに家族があって人は…生命体というのは生きるために生まれてくるので死ぬために生まれてきたものは何もない。
誰もいない。
それを前提にやむを得ず戦って殺し合うというそういう物語を子供の頃から自覚してましてね。
今もそのおつもりでずっと描いていらっしゃる?そうです。
命は生きるために生まれてくるので死ぬために生まれてくるものはないと。
だから思想宗教信条民族感情お互いにこれを傷つけてはならないと。
仲よくみんな手を携えて一緒に頑張ってこの地球を守るというのがそれがテーマで色々な宇宙漫画を描いている…。
戦争とは可能性が消えることだというふうに仰ってます。
そうです。
ええ。
でもそれにしても今日は…さっきご覧になったと思いますけどもう一度。
自慢で…。
描いていただきました。
こんな素敵な私本当に…。
でも本当に…何でしょうね?なんか元気がみなぎってる人のように見えて…。
そうです。
元気いっぱいでないといけないというので…。
これを拝んで毎日家を出てくると…。
もう気に入っていただけて…。
ものすごく気に入りました。
嬉しいです。
ありがとうございました。
どうもありがとうございます。
それから奥様にも私の戦争中の…戦争中っていうか戦争が終わった時の私を描いてくだすって心から感謝していたとお伝え…。
はい。
言っておきます。
これからもどうぞお元気でお続けください。
わかりました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
2016/08/15(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 松本零士[字]
〜7歳で終戦…漫画に祈りを!〜松本零士さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
15歳でデビューしてから今年で63年!『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』など、宇宙を描き続ける漫画家・松本零士さんがゲスト。
◇番組内容
2回目の出演となる今回は「黒柳徹子」を描いたイラストを手土産に登場。「強くて優しい女性が理想」と語る松本さんにとって、黒柳さんは理想の女性だという。また、初出演時には『洗うのが面倒で押入れに詰め込んでいたパンツにキノコが生えた』というバンカラなエピソードを語ったが、今回は妻からある証言が…。ほか、松本さんと黒柳さんが語る戦争の記憶、そして宇宙を舞台に「戦記もの」を描き続ける“松本零士の思い”とは。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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