中 島 進
可哀そうな若者たち 〜誘導するべきか、株高、円安〜(10月30日掲載)
■ 株などに投資する余裕もないので株の乱高下など興味はないが、毎日、100円単位で上下するのを見ていると、損する人、もうかる人は確実に大量に出ているのだろう。株高になって、デパートの高級品が飛ぶように売れていると聞く。金持ちはどうやってもお金が入るのだろう。ホリエモンがもてはやされた時期には、若い投資家が続出し、1日で何100万円もうけたなどという話が飛び交った。
■ リーマンショック以降、一時、株バブルがなくなり、それなりに落ち着いていた。疑問だが、企業の利益が自社株の値上がりで大きく変わることも、実体経済の中でどう影響するのだろうか。商品力、技術力などで評価されるならまだしも、株ならどれでも買われる状況は異常だった。国もマスコミも株価に一喜一憂する状況も不気味だ。本質的に株はばくち的要素が強い。体を使わずひともうけする人を尊敬する気にはならない。
■ 政府は膨大な額の年金基金を使って株を買おうとしている。どの株を買うのか、誰が決めるのか知らないが、情報的には相当の価値を持つのだろう。これを政治家が主導して進めることにきなくささも感じる。いずれにせよ株高に頼る経済政策はどこかで破たんする気がしてならない。株が上がり続けることは不可能だ。世界が相手だから国内景気だけでは完結しない。
■ バブル期に崩壊を予想したエコノミストはほとんどいなかった。マスコミはどこそこ総研のエコノミストに予想を語らせる。バブル期に株はまだまだ上がると言い切っていた反省を見ることは少ない。リーマンショックを予想した人もほとんどいなかった。最近ようやく市場原理主義に反対する声が出始めた。金もうけの質を考え直そうという動きだ。不労所得的な金もうけは世界をダメにすると考える人も増えてきた。
■ 金持ちがもっと金持ちになると、その金がいずれは貧しい人たちへ回る、と今の政府は考えている。大企業がもうけることがまず第一番だと考えている。アメリカ的な経済論はどうなったか。わずか数%の金持ちの資産が90%の国民のそれと同じだという。昔、我が国の大会社の社長の報酬は社員平均の十倍あれば良いぐらいだった。日産のゴーン社長あたりから100倍以上になった。欧米的な思想なのだろう。家族主義的な大手企業が姿を消しつつある。
■ 戦後長きにわたり、我が国は均一化、均等化を目指す国だった。中流意識が国全体に広がってバブルを迎え、狂騒的な雰囲気に一気に変わった。それを今は国を挙げて再現しようとしている。株が上がり、土地価格が上がることを目標にしているように見える。私たち団塊の世代は良い時代を過ごしてきた。これからの若者たちが可哀そうだ。
地方創生の妙案は? 〜優秀な人材は都会に流出〜(10月28日掲載)
■ 地方創生はどうも言葉遊びの感じがしてならない。自立心と知恵を出せと言うが、国の優秀な役人からでさえ出ない答えを地方の人に求める構図がわからない。これまで中央集権的な施策しかしてこなかった政府が、一気に体質が変わるとも思えない。戦後あまりにも長く政府に委ねてきた地方自治体が、一足飛びに自立なんかできるのだろうか。地方公務員も国のお役人の感覚の延長線上でしか存在しえなかった。
■ 細川元総理が熊本県知事時代、バスの停留所1つ位置を変えるのに大変な作業を強いられたと、国の関与のひどさを語っていたのが象徴的だ。日本は完ぺきな官僚国家だと、彼は国政に打って出た。それでも官僚の壁は厚く、仕組みを変えることはできなかった。平成の大合併も、誰か熱心な総理が夢として語っていた記憶がない。地方財政健全化を考えた官僚の発想で進められたのだろう。結果、ここ、周南でも合併した周南市と光市は人口が減り、合併しなかった下松市だけが逆に微増した。
■ 全く関係ない話かも知れないが、東大入学者の大半が年収1,000万円以上の家庭だそうだ。貧しい家庭の子が苦学しながら東大に入学した、そんな美談も聞かなくなった。一つには国公立大学と私立大学の授業料に大きな差がなくなったこともあるかもしれない。私たちの時代、国公立大学の授業料は月1,000円だった。奨学金が8,000円もらえたから、アルバイトをすれば何とか大学に行ける学生が随分いた。庶民の暮らしが肌に染みついた官僚が少なくなったのか。それともそうした原体験を官僚になると忘れるのか。
■ 地方創生が困難なことは誰もが承知しているはずだ。複合汚染的に地方が廃れてきた。規制緩和の大義名分で、全国で金太郎飴のように大手流通業者が席巻した。石垣島でもイオングループは盛況だ。タクシー業界も新規参入も激しく、小さな会社は消滅、ドライバーの多くは定年退職後の人たちだ。農業者もほとんどが兼業だ。平野の少ない山間部では大規模農業など無理だ。知恵もある、工夫ができる人がイタリア料理向けの野菜を作ったり、優秀な果物類を栽培して生計を保っている。普通の人材では農業でさえ生き残れない。
■ 私の周りも優秀な人ほど都会に出てしまった。市も県も国も起業家を応援するという。優秀な人材がいなければ、起業しても成功例はまれになる。ましてや人口減で消費が落ち込んでいる田舎で成功するにはよほどのアイデアが必要だ。ごくまれな成功例を取り上げて、田舎でも十分起業できると訴えるのは詐欺行為に等しい。ここ30年で起業した会社で、今も隆々としているのは周南地区で皆無に等しい。さて、地方創生の妙案は?
「うちわのようでうちわでない」で辞任 〜止められない、止まらない、政治とカネ〜(10月23日掲載)
■ 「うちわのようでうちわでない」迷言を残して女性の法務大臣が辞めた。お金を配っても「お金のようでお金でない」と言うのだろうか。何とも程度の低さにあきれるだけだが、さわやかさが売りの小渕優子大臣までが、多額の政治資金を使っての観劇会招待で辞めた。庶民にはわからない金銭感覚に、二世議員の甘さを痛感する。父君が元総理ということもあって、潤沢な資金が集まるのだろう。子育て最中の大臣ともてはやされたが、お金の苦労を一切感じないで子育てしている人とはどうしても同化できない。
■ こんなことがあっても経団連は政治献金を再開するという。何百億円もの政党助成金を税金でまかなっているが、今回のような活動で使われても、なお資金を調達するのだろうか。多くの人員削減や、派遣社員の多用なども1つの要因で、史上最高益をあげたと胸を張る経団連の人たちは、生まれたお金を政治献金で還元するのだろうか。庶民は家計が赤字でも、確実に税金を取られる。企業は赤字だと税金は激減する。昔、大手銀行に公的資金が導入された時期があった。当分の間、それらは税金を払わなくてもすんだ。その間も庶民はわずかな給料からも税金を払い続けた。
■ 百歩譲って政治献金を良しとするなら、経団連は、断固として政治家にえりを正すことを要求することだ。ましてや今回は、経団連と極めて縁の深い経済産業相だ。国家のためにもっと働いてもらいたいと大義名分を掲げての献金ならなおさらだ。発言力が強い経団連だからこそ、一言が重くなるだろう。
■ 最近、地方議会の政務調査費の使い方が問題になった。どこかの号泣議員などは問題外だが、議員のモラルが取り上げられることが多々あった。山口県議会でも、柳居俊学議長がかつて政務調査費を使って地元に顔写真入りカレンダーを配ったと問題になった。訴えたのは地元周防大島町の住民だった。結局、使った約600万円を返済して一件落着になった。それでも彼は議長になった。今だったらマスコミも大きく取り上げただろう。時期が数年早くて助かった。お金と政治の話は尽きることがないだろう。政治家はそんなものだと市民が思い始めた。それが政治離れにつながっている。負の連鎖はとどまるところを知らない。「止められない、止まらない」政治家がかっぱえびせんに似てきた。
大手マスコミの権威主義 〜朝日新聞だけではない体質か?〜(10月14日掲載)
■ マスコミが、マスコミの話題の中心にすえられるのは珍しかった。朝日新聞の誤報事件で、仲間のマスコミが大騒動している。この際とばかりに朝日叩きが連日続き、天下の朝日新聞も大変だ。私たち地方の小さな新聞には縁がない話だが、報道機関のあり方については大いに関係する。我が社も誤報はゼロではないが、多くは名前や数字の間違いだ。事実関係の間違いはほとんど皆無に近いと自負している。
■ 今回の騒動を見てつくづく思うのが、マスコミの権威主義だ。自分たちが世の中で一番正しいと思い込んでいる。我が社も勇気がないが、子どもの交通事故死に出会うと、マスコミの多くは歩道にガードレールがなかったことを取り上げる。小学生が一人で道路に飛び出して車にはねられた事故でも、ガードレールの不備が原因ではなかったかと印象づける。小学生になった子どものしつけは、親が大きな責任を持つべきだ。しかし、なかなか子どもを失った親の気持ちを考えると、そうは報道しにくい。ここに伝える側のかっとうがある。
■ 象徴的なのが記者クラブの存在だ。昔、コンビナート企業某社の社長の会見で、事前に断りの電話があった。何でも徳山の記者クラブから「新周南と一緒じゃあ、記者会見を欠席する」と通告されたからだという。幹事社である支局を訪ねて、なぜかを聞いた。理由は「お宅は新聞協会に加盟してないから、公正な報道が守れない」だった。企業側主催の会見に、あなた方が報道姿勢をとやかく言う筋合いはなかろう、と反論したが、むべもなく断られた。これ一件で、マスコミの権威主義がわかる。
■ 腹が立った私は、当時、市役所内の記者クラブの部屋で昼間から麻雀していたことを取り上げた。市民の財産を無料で借りて、なおかつ職員が懸命に働いている役所内で麻雀をするとは何事かと。すぐに麻雀はしなくなった。ささやかな抵抗だった。自分たちはすべて許されるとおごっていた。今回、朝日新聞に大手マスコミの悪いところがたまたま出ただけだと思っている。
■ 私たちのような小さな地域だけで出している新聞は、批判的なことを書くとすぐさま反応が出る。相手だけでなく、その取り巻きから購読中止の電話が入る。しかし、地域のためと信じて、いけないことはいけない、良いことは良いと書くべきだと思っている。この30年間、多くの人から恨まれた。小さいがゆえにすべて自分でかぶってきた。その気構えが果たして大組織のマスコミにあるだろうか。報道する一人々々が責任を取る自覚があるだろうか。ちなみに先のコンビナート企業の社長会見への参加はいまだに許されていない。
社会実験の結果は? 〜反対を押し切る勇気を〜(10月9日掲載)
■ 周南市の銀座通で5日までの8日間、社会実験としてウッドデッキを作り、歩行者に優しい道をと、いわばオープンカフェ的な空間が作られた。道路はその間、片側交互通行になり、戸惑う人も多かった。反応はさまざまだったようだ。
■ おしゃれな空間でよかった、素敵な感じ、優しさを感じたなどという声の一方、交通の邪魔、なんであんな中途半端なことを、素敵な店もないのになど批判的な声もあった。社会実験としては、そんな多様な反応が大切だ。反対があるからとチャレンジをしないことが最も問題だ。新しいことに挑戦すれば、必ずどこかに不具合を感じる人がいる。
■ 新幹線の徳山駅は、もともと中山間地区に計画されていた。それを強引に現在地に持ってきたのは当時の高村坂彦市長だった。それでは街の発展にはつながらないと、すさまじい反対の声をはねのけた。沿線住民がムシロ旗を掲げて市役所に抗議に行ったという話は伝説になっている。その先頭に立った市会議員はその後、一番の高村市長の後援者になった。
■ 徳山駅の逆が岩国市だ。タヌキかイノシシが出そうなところに新幹線駅を作った。作るのは反対者もなく簡単だったが、その後、岩国市にほとんど貢献することなく、乗降客も少ない。首長の腹がすわっているかどうかが大きく明暗を分けた。将来、市民の生活にどう影響するか、反対の声に惑わされず決断した結果は大きな違いを生んだ。
■ パークタウン、ゆっくり歩いて楽しめる街を作ろうと決めた。決めた以上、どうしたら実現できるか、社会実験でも何でも、チャレンジしないことには始まらない。反発は予想できたことだ。中心市街地への思いは強く、協議会もでき、まちあい徳山という会社もできた。お陰でここ数年で20を超える店が新しくできた。しかし、その大半が飲食店だ。ゆっくり歩いてもらうには、もっと幅広い店舗が必要だ。セレクトショップやファッション系の店を増やしたければ、内装費の補助を大幅に増額することも可能だろう。一律が公正さだと役所は考えるが、街に何が必要か、大胆な決断が将来を決める。
■ 街をゆっくり歩くのに一番大切なのはトイレだ。何度も書くが、50億円近い税金を使った自由通路の上のトイレに、トイレットペーパーはない。年配女性や子ども連れが使えるトイレはほとんどないと言うと、場外舟券売場のオラレがあると言う。何という感覚だろう。舟券を買うおじさんたちが集まっている中に、子連れの若い女性が入れるか?近鉄松下百貨店に頼り切っていたトイレは、今こそ商店街も本気で考える時だ。駐車場、トイレの問題、商店街と行政が本気で論議する時だ。
なぜ沖縄に学ばない? 〜少子化対策の基本は明白〜(10月8日掲載)
■ 地方分権と言われて久しい。意味がよくわからないまま、全国で使われてきたが、最近は地方分権を訴える首長も少なくなり、むしろ昔のように中央官庁とのパイプの有無を言うようになった。中央集権はますます堅固になった感じだ。合併特例債を使った事業が全国を席巻、中央官庁の顔色をうかがう傾向が増した感じがする。
■ 気になるのが石破地方創生大臣の態度だ。やる気のない自治体や知恵を出さない自治体は相手にしない、と上から目線の発言が目立つ気がしてならない。やる気がない自治体など存在しない。どこも四苦八苦で、お金がない中、奮闘しているのが実情だ。地方が抱えているテーマがわかっていない。
■ 一番の問題は知恵だ。もちろん、地方公務員の中には、優れた知恵を持ち合わせた人もたくさんいるが、知恵を磨く機会も少ない公務員に多くを求めることはできない。たまたま首長のセンスが良く、意欲的な人物に恵まれた時、他の自治体とは一色も二色も変わった、注目される施策ができる。もしくは優れた部下を持ち、その力を引き出せる首長を持てた時、その自治体は輝いていく。まずは人材育成だ。
■ 国が決める市営住宅の基準だと、鹿野地区も、旧徳山市の市街地も一緒だ。若い夫婦が子育てしながら母親も働くなら、田舎では車は2台必要だ。2台分の駐車場がないと利用価値はないが、そうなると国の補助金はあてにできない。安価で子育ても可能な環境を作って何としても少子化を阻止するのだという気概がないと、そんな市営住宅は建てられない。
■ まだまだ、国の補助金規制の中で実際のニーズに合わないことはあるが、さらに重要なのは3世代同居、もしくはごく近いところに3世代が住める環境を作ることだ。国はなぜ全国で一番個人所得が低くて、一番出生率が高い沖縄に学ばないのか。なぜ一番豊かな東京が一番出生率が低いのか。女性にとって子どもを持つ要因はお金だけでないのは明白だ。近くに親が住んでいたり、隣近所がいざという時の助けになること。こんな単純で当たり前のことが、施策に盛り込まれない。国の補助金制度にないから、地方自治体も取り組まない。
■ 経済産業省の審議官を招いてセミナーがあった。地方の要望を聞こうというものだ。とにかく、窓口を1つにしない限り、どんな補助制度も一部の人にしか使えません、と発言した。縦割り行政の中、各省庁が繰り出すさまざまな施策をすべて掌握するのは到底無理だ。市や県庁、商工会議所なりにワンストップの場所を作ることが最も重要だと提言した。どこまで伝わるかわからないが、中央官僚の思いと、地方の思いを一致させることは至難の業だろう。それでも地方は何とか生きていく。
営業の達人に感動 〜トップセールス正下さんの話〜(10月2日掲載)
■ 私はかねがね営業の基本は生命保険会社の営業だと思っている。生保商品はどこも同じような中身で、今でこそ多様化しているが各社たいして差がない。売れる、売れないは基本的に営業マンの人間性が大きい。車の販売は各メーカーごとに種類も豊富で、お客の好みをつかめばいい。もちろん人間性を売ることは基本だが、生保ほど重要ではないだろう。生保会社で好成績を残す人は、きっと相当できた人だろうと思っている。
■ (株)みうらの社内報「むつみ」で会長の三浦義孝さんの文章にまた感動した。うわさは聞いていたが、第一生命のトップセールスウーマンとして有名な正下文子さんの「世界MDRT日本会」殿堂入り祝賀会での三浦さんのスピーチを記したものだ。30年前にはもう、正下さんの話は聞いていた。何でも、会った人には必ずハガキか手紙で礼状を書いている、すごい生保レディーとのことだった。その後も常にトップセールスを続けているという話だ。三浦さんの文章を読んで、改めて正下さんに一度話を聞きたくなった。
■ 正下さんの娘さん、吉田美智子さんの、お母さんを紹介するあいさつも載っている。「生きるというのは、魂を磨くことだといつも思っています。魂を磨くために、この仕事というのは、様々な人に会って、色々な困難にも遭い、でも凄く楽しいこともある。その中で、自分がどう生きていくか、自分を磨く場としては最高の場であると思います」。お母さんと同じ第一生命で働いている美智子さんが母親を尊敬し、慕っている気持ちが伝わってくる。
■ 生来、自堕落な私には到底真似のできない芸当で、正下さんのような生き方は無理なことはわかっている。しかし、正下さんと三浦さんの父君、三浦和雄さんとの最初の出会いで「せっかく来られたので、お茶の一杯でも飲んで帰ってください」と忙しかった和雄さんからの一言に、正下さんは生命保険人生の原点をみたそうだ。これなら私にもできそうだ。「一杯のお茶」を心がけることはできるかもしれない。
■ 世の中には達人と呼ばれる人がいる。そうした人の話を聞くと、才能はあるが、普通の人が多い。努力と言う言葉だけでは表せないが、日々の積み重ねを怠らない人が圧倒的に多い。私たち凡人と違うところはごく小さなことかも知れない。ほとんどの人が達人になれる可能性がある気になる。とは言え、普通の感覚ではできないのだ。萎えた気持ちを立ち直らせるのは、達人と言われる人の話を聞くのが一番だ。三浦さんは達人探しの達人かもしれない。
