【萬物相】夷をもって夷を制す

【萬物相】夷をもって夷を制す

 丙子胡乱(1636-37年の清の朝鮮侵略)の際、敵と同じくらい百姓に憎まれた人物が鄭命寿(チョン・ミョンス)という朝鮮人だった。捕虜になったものの清の言葉を学んで敵将の通訳官として朝鮮に戻り、幅を利かせた。朝鮮の内情を清に密告し、朝鮮の忠臣を死に追いやり、奸臣と結託して国政を牛耳った。朝鮮が国防に力を入れようとすれば飛んでいって告げ口するため、誰もが震え上がった。彼に賄賂(わいろ)を渡し、妻の親戚の官奴婢にまで官職を与えた。朝鮮には忠臣が多かったが、大国の権威を笠に着た鄭命寿らにはかなわなかった。

 1895年の乙未事変は、日本が朝鮮の王妃を殺害した野蛮な国家犯罪だった。だが、見たくない部分がある。朝鮮人の加担者だ。禹範善(ウ・ボムソン)は王室を守る訓練隊の大隊長だった。その彼が日本の軍人に王宮の門を開いてやり、殺害の現場を護衛した。前日、日本の公使に蛮行を催促したのも、斬りつけられて息を弾ませていた王妃に火をつけたのも禹範善だという記録がある。だが正義はまだ生きているようだ。大国にすりよってよい暮らしを手に入れた鄭命寿、禹範善ともに同胞の手で殺されたのだから。

 もっとも、はるかに論争の多い人物は興宣大院君だ。彼は日本軍の護衛を受け、王妃殺害時に王宮に入った。日本側は、彼を利用して事件を王宮内の暗闘に見せかけようとした。強制的に連れてこられたという説も、積極的に動いたという説もある。ともかく、結果的に彼は日本を助けた。世の中を見る目は暗かったとしても、愛国心だけは透徹していた人物が、なぜそんなことをしたのだろうか。国をすっかり忘れてしまうほど「自分たちの中の敵」が憎かったのだろうか。 

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
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